人生黄昏時

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尚氏王統【7】

2020年05月05日 00時00分18秒 | 日記

 尚徳は二十一歳のとき尚氏王統七代目に即位

尚徳は強い行動力を発揮し国政を行ったと言われている

 

琉球の正史によると尚徳王は重臣の諫言も聞かず

臣下の粛清、女に現をぬかし行政を疎かにし

 

むやみに出兵し財を浪費し

酒色好みなどと暴君として記されている

 

しかし当時交易を行っていた、明国や

高麗東南アジアなどの、史書よると

琉球国尚徳王は有能盛んな王として見える

 

重臣のトップである金丸とは

度々政策が合わず確執が生じた、そのため金丸は

西原間切り内間に隠居している、1468年の頃

 

1469年4月22日尚徳王二十九歳の時急死する

病気か事故か暗殺か死因は不明である

そのため多くの憶測を呼んでいる

 

金丸を支持する家臣たちによるクーデタが起こり

尚徳の世子、次男、四男は殺害され一族の多くは追放

三男は乳母によって佐敷に落ち延びた

 

尚徳に関する多くの伝承伝説が語られ

墓や石碑が北は喜界島から本島

宮古諸島まで存在し語られている

 

金丸は重臣の推挙により中山王に即位する

金丸は尚を名乗り尚家を継承した

 

尚氏王統は七代続き64年で滅びた

 

尚氏王統とは、全く血の繋がりの無い

金丸が尚氏を名乗り尚円と名乗った

新しい王統の始まりである

コメント (1)
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