尚氏第二王統とは初代尚円王が1469年王位に即位
十九代続き410年琉球国を統治した王統
尚円王は現在の島尻郡伊是名村諸見
父尚稷・母瑞雲の二人兄弟の長男として
1415年生まれたと言われている
わらびなー(童名)は思徳金(うむとくがに)
思徳金が二十歳、弟は五歳の時両親が死去
家族で農業を営んでいたが
島は長い間雨が降らず干魃になり
なぜか思徳金の田だけ水があった事から
村人から盗水の嫌疑をかけられた
村に住む事が出来なくなり島を出て
国頭ムラに居住したと伝えられている
この伝承は、尚氏王統初代思紹王の父
佐銘川大主の伝承と類似したストーリーである
どちらがなぞったのか不明で後世の作と考えられている
思徳金家族は後に久志ムラなど経て首里に移住する
1441年、二十七歳の時
尚金福王の弟尚泰久に家臣として仕えた
思徳金は能力を発揮し三十八歳の時には
当時最高位黄冠に出世した
その後尚泰久が尚氏王統六代目に即位すると
西原間切内間地頭に任じられ采地を有するまで出世した
1459年には御物城御鎖側官(貿易長官)に就任
役人のトップ実力者に出世したのである
思徳金は自ら金丸と称した
しかし重臣として寵愛を受けていた尚泰久王が
1460年四十五歳で薨去した
金丸四十六歳のときである