人生黄昏時

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尚氏第二王統【2】

2020年05月15日 00時00分24秒 | 日記

 金丸が重臣として使え、寵愛を受けていた

尚泰久王が1460年薨去

 

世子である尚徳王が二十一歳の時

尚氏王統七代目に1460年に即位した

 

若い尚徳王とは事ある事に意見が合わず

諫めても聞かず遂に確執が生じ

 

金丸は西原間切内間に隠居する事になった

1468年五十四歳の時である

 

その尚徳王が1469年4月22に、二十九歳の時急死する

病気か事故か暗殺か場所、死因も不明である

そのため現在までも憶測で語られている

 

琉球の歴史書によると

法司(三司官)たちは尚徳王の世子を王位に継承させ

即位させようと重臣たちを招集し会議を開いた

だが世子は国王として幼いと、問われ

その場で金丸を次期国王に推挙し全員一致で決定された

 

金丸は隠居先から首里城に迎えられ国王に即位した1470年

 

金丸は尚徳王の世子として、朝貢関係にある

明王朝に尚徳王の薨去を報告、請封し冊封を受け

 

金丸は名実ともに琉球国中山王に成り

尚氏を継承し、尚氏と名乗った

 

前尚氏と区別するために第二尚氏と呼ばれている

そうして金丸は、尚円と名乗った

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