尚真王は政治を中央集権体制化し
祭祀制度を階層化し、祭政一致を行い
王権を不動のものにし権力基盤を安定させた
1479年に朝貢関係にある、明国皇帝の冊封の儀式を受け
尚真王の地位は内外国の認知を得
外交関係を前提に
明国、日本、高麗、東南アジア諸国と貿易を行った
この海外交易は国の経済強化に繋がり
国の財源の元と成った
首里城の改築、増築、首里から那覇港に至る道路の整備
また地方制度の改革し地域を間切りにし、シマ(あざ)とした
尚真王は臨済宗を琉球に始めて伝えた
介隱承琥僧侶教えに深く尊信し自ら仏教の教えに
帰依し仏教の普及に最も尽力した王とされている
そして菩提寺として円覚寺の創建
琉球最大の破風墓(世界遺産に登録)
歴代の王と王妃が葬られている墓陵
1500年に八重山で起きたオヤケ アカハチの乱
1522年には与那国の鬼虎の乱など平定した
北は奄美群島から、南は宮古、八重山諸島まで支配した
尚真王は多くの業績を残し、琉球国を繁栄させ
王制を盤石の体制にした
尚真王は1527年、六十二歳の時薨去、在位五十年だった