人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

尚氏第二王統【7】

2020年06月10日 00時00分26秒 | 日記

  琉球は東シナ海の中心にあって、地の利を生かし

中継交易によって、1550年ごろ最盛期を迎えていた

 

それは明国が解禁政策を行っていたからである

ところが清王朝(明王朝1644年倒れる)は

 

解禁政策を緩和した、中国の海商人は続々と

東南アジアへ進出していった

また西洋諸国も世界、アジアへ進出し交易の拠点を構えた

 

日本の鎖国政策、清国の解禁政策の上に成り立っていた

琉球の中継交易は失われ、琉球国経済は衰退していった

 

1589年尚寧が琉球国中山王七代目に即位した

その二十年後琉球国に薩摩藩が八十余りの軍船と

約三千の兵を持って侵攻して来た

 

琉球は戦う術もなく尚寧王は降伏した

わずか十一日の攻防戦で終結した

 

琉球は薩摩藩の付属国となり貢納を負い

奄美群島は琉球から分離され薩摩藩の直轄地となった

 

また琉球の貿易権、管轄など書いた

「掟十五か条」を認めさせられた

 

そのよう中でも琉球は明王朝にも朝貢を行い

冊封を受け続け明国と薩摩藩との両属という体制をとり

琉球は独立国家として体制を維持した

 

だが朝貢交易と外交の実権は薩摩藩が握り間接支配をした

また江戸幕府に使節を派遣する義務を負うことに成り

江戸幕府末期の1850年まで十八回行われた

 

琉球国は幕藩体制に組み込まれ

1879年(明治12年)廃藩置県まで続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする