尚泰は尚氏第二王統十九代王に
1848年6月8日、四歳の時即位
琉球は薩摩藩の付属国で清王朝と朝貢関係にあり
尚泰も1866年冊封を受けていた
両属体制でありながら
対外的には独立国として維持していた
1854年米国と修好条約を締結、さらに
フランス国と1855年に修好条約
1859年にはオランダ国とも修好条約を結んでいる
日本では、260年続いた江戸幕藩体制が崩壊し
明治新政府1868年(明治元年)に誕生した
274の大名から版籍奉還が行われ
領地と人民は新政府の所轄する事になった
新政府は1871年(明治4年)廃藩置県を断行し
行政改革である明治天皇を頂点とした
中央集権体制下の府と県に一元がした
新政府は琉球を1872年(明治4年)琉球藩とし
尚泰王を、藩王とした
藩を設置したのは、琉球を日本国へ帰属するための
方策の手順を踏むためのであった
琉球は執拗な反対運動を展開し撤回するよう
懇願を繰り返し抵抗するが
流れを変える事が出来なかった
1879年3月(明治12年)明治政府から松田道之が
随員、警官、軍隊合わせて約600人を共なって
首里城に入り琉球藩の廃止と沖縄県の設置を通達する
琉球国から、1872年(明治4年)琉球藩へ
1879年(明治12年)沖縄県へと日本の一県と成った
尚泰は侯爵に叙せられ、東京へ居を移す事に成った
尚氏第二王統は十九代王が続いて、410年で終焉した