人生黄昏時

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尚氏第二王統【8】

2020年06月15日 00時00分18秒 | 日記

  尚寧王の治世に薩摩藩の侵攻により奄美群島は

琉球から分離され薩摩藩の直轄領となり

琉球は薩摩藩の付属国になる

 

明国とは朝貢関係で冊封を受け続け両属体制と成り

琉球は独立国家として、なんとか体制を維持する事が出来た

 

尚寧王は苦難に満ちた琉球を三十二年治め

1620年五十六歳の時薨去

 

琉球は激変する国際情勢に翻弄される

西洋諸国のアジアへ進出、日本の開国、清国の解禁政策の緩和

 

琉球の中継交易は失われ国の経済は衰退

その上追い打ちをかけたのが、1644年明王朝が倒れ

 

内乱状態と成りわずかながら行われていた

交易も一時期出来なくなった

 

激変する国際情勢、グローバルかする世界

旧体制下の琉球は国として機能を果たすことが出来なかった

 

琉球の政治は混迷し、誰もが危機感を抱いていた

 

第二王統十代尚質王は、疲弊している国を立て直すため

羽地朝秀を1666年に行政最高高位摂政に任じた

 

羽地は国の構造改革に着手し財政再建

政教分離、祭祀の合理化

 

身分制度の系図を作らせ整備した

身分は系図によって守られ

身分は系図によって継承され

身分を制度化した

 

羽地は特に農業改革に力を注ぎ貿易の経済から

農業を国の経営に転換して疲弊していた琉球を蘇らせた

 

羽地の改革は蔡温へと受け継がれる

 

十三代目尚敬王(1713~1751年在位)の時

蔡温が三司官に任命され1728年に就任する

 

蔡温は強力なリーダーシップで農業、農地の地検

林業、土木、治水などの制度の整備

そして国政全般、新体制を完成させた

 

蔡温と羽地朝秀は琉球国の偉人として

現在でも国の恩人として尊敬されている

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