尚寧王は(1564~1620年)は
1589年琉球国中山王七代目に即位する
尚寧王は尚真王の長男尚維衡の曾孫になる
尚維衡は長男でありながら、尚真王の後を継ぐ事はなかった
それは二代目尚宣威(在位半年)の娘が
母親だったためだと言われている
長男尚維衡・次男も三男・四男も尚真王の子でありながら
後を継ぐ事はなかった、母親が正室でありながらである
王位を継承したのは側室の子、五男
尚清が1527年三十歳の時四代目に即位
二十九年在位、尚清王1555年薨去
尚清王の世子尚元が1556年二十七歳の時五代目に即位
1572年、尚元王薨去、在位十七年
尚元王の第二子尚永が1573年十五歳の時六代目に即位し
1588年三十歳の時、尚元王薨去、在位十六年
尚永王には嗣子がいなかったため
尚永王の長女阿応理屋恵按司を妻としていた
尚寧が尚永王の後を継ぎ1589年即位する
尚寧王の在位中に琉球国にとって歴史的転換と成る
大きな事件が1609年に起こる