蔡温は閩から渡来した人々によって形成された
クニンダ(久米村)の出身である
閩とは現在の福建省の古名である
大勢の人々が渡って来たため
閩三十六世とも呼ばれた
三十六姓とは漠然とした数字で
大勢の人が閩から渡って来の意味
彼らは琉球から与えられた土地に定住し
自分の住む集落を唐栄、または唐中と呼び
後に久米村と称した
久米三十六姓は琉球国の外交や貿易の文書作成や通訳
そして造船、航海技術などを担う専門職能集団として
清国、東南アジア諸国との外交、貿易などの交渉を遂行し従事
久米村は琉球の外交・交易の拠点となった
また久米三十六姓によって儒学や漢語、社会組織、宗教
中国文化などの各分野に多大な影響を及ぼしている
それから王府の要職や学者、教育者
琉球の歴史書中山世譜を編纂した際鐸、
三司官の鄭迵(謝名利山)、蔡温、多くの政治家を
久米村から輩出して、琉球国の発展に寄与している
政治力、経済力を手にした久米三十六姓の地位は極めて高く
琉球の政治に深く影響を与えていく