祭温は1728年47歳の時、王族・上級士族
200余名の選挙によって
世あすたべ(三司官)に任命される
三司官は3人制で、王府の実質的な行政最高責任者である
1609年薩摩藩の軍事侵攻により薩摩に支配され
琉球は幕藩体制へと組み込まれた
1666年羽地朝秀が摂政に任命され
羽地は幕藩体制という現実
どうしようもない現実を容認し
薩摩・幕藩体制との協調体制の倫理を導入し
古琉球の伝統を批判、否定し近世琉球へと
改革を断行し道を開いた、羽地の死去後
1728年に蔡温が世あすたべ(三司官)に任命され
羽地の改革を継承し、蔡温は持てる知識と
強力なリーダーシップを発揮し改革を押し進め
完成へと導いていく
蔡温も薩摩藩の支配と幕藩体制と言う現実を受容し
その枠内で独立国家としての道を摸索していく
まず国民(士族)の意識・イデオロギーの改革
新しい価値観を儒教の教えを置き
王府の経済的自立強化のため、新しい農業・林業の育成と
振興を図り国の近代化を推進し
また諸政策を実行していった
蔡温は多くの著作(18本)を著している
家内物語、独物語などは和文で記述されている
中世世譜(蔡温本)や図治要伝・簔翁片言は
国の政治や儒学的思索を説いた、漢文で記されている
蔡温最後の著作は自叙伝で
これらの著作は後世に大きな影響を与えた
蔡温は三司官職を25年間務め1762年80歳の時死去
蔡温は近世琉球を代表する大政治家である