人生黄昏時

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儀間真常【1】

2020年08月15日 00時00分32秒 | 日記

  儀間真常とは、琉球国の殖産家

ウム(甘藷)の栽培方法と普及

 

木綿の栽培方法と木綿織の製法の普及

 

そしてウージ(サトウキビ)の栽培と

サーター(砂糖・黒糖)の製糖方法の普及し

琉球国の主要産業として、発展に尽力した人物

 

真常は父儀間親雲上真命と母真鍋の三男として1573年に誕生、

からなー(唐名)麻平衛、わらびなー(童名)真市

 

1593年父の跡を継ぎ、真和志間切儀間地頭となり

儀間親雲上真常と称した

 

1605年頃野国総監が中国から鉢植えにした

ウム(甘藷)の苗を持ち帰り、野国ムラで試作した

 

痩せた土地でも、また天候にも左右されない

ウム(芋)はよく身を付け

 

食べても美味しく、保存も出来

ムラ(村)の人々からも大変喜ばれた

 

琉球の島々は台風の通り道と言われるほど

毎年多い時は30個近くの台風に見舞われ、

 

また、干ばつも度々起き

飢餓の脅威にさらされ、時には餓死者も出た

 

作物が育たない、慢性的な飢えを、どう解消するか

当時の為政者の最大の関心事だった

 

甘藷の事を知った、真常は、野国総官に教えを請い

そして栽培方法の研究を重ね、

 

また国の推奨、奨励もあり

琉球各地にウム(芋)を普及させた

 

儀間真常は飢餓から多くの人々の命を救ったと評された

 

中国から伝わった唐芋は

琉球から薩摩に伝わり琉球芋言われ

 

薩摩から日本全国に伝わり

サツマイモと呼ばれている

 

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