人生黄昏時

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儀間真常【2】

2020年08月20日 00時00分48秒 | 日記

  1605年頃中国から甘藷の苗を持ち帰り

野国ムラで栽培、痩せた土地でも天候に左右される事なく

 

よく育ち食べても美味しく保存も出来る事から

栽培法をムラ(村)の人々に広めた

 

琉球に始めてウム(芋)の苗を持ち帰った

野国総官とは

 

現在の嘉手納町野国ムラで出生(生没年不詳)

琉球名は与那覇裕初・からなー(唐名)は総世健

 

わらびなー(童名)はマチューと呼ばれていた

 

野国は出身地、総管は役職名である

 

明王朝との朝貢関係にあった琉球は毎年事に

進貢船を派遣していた野国は総官(事務職長)として

 

1605年頃進貢船に総官として乗船し

その時に持ち帰ったのが甘藷の苗である

 

この甘藷によって、台風や干ばつの災難の多い

琉球の人々が飢餓から救われた

 

私が住む嘉手納町では野国を

ウムウフシュ(芋大主)と呼びその偉業を称え

 

2005年に甘藷伝来400年蔡を大々的に行われ

総官の出身地にちなんで

 

野国芋と呼ぶ、野国いも宣言を行った

 

ウムの恩恵は儀間真常によって琉球全島に普及していった

 

1705年頃薩摩山川の前田利右衛門は船乗りで

琉球を訪れた時に、琉球芋を持ち帰り

薩摩領内で栽培し広めた

 

伊奈忠達が西日本に芋の栽培をひろめ

西日本で普及していた、サツマイモを

 

青木昆陽によって江戸に持ち込んで関東地方に広まり

そして日本全国へと普及していった

 

甘藷は琉球ではウムと呼ばれ薩摩では琉球芋

全国ではサツマイモと呼ばれている

 

日本全国が野国いもの恩恵を受けて来た

コメント
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