人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

蔡温 【4】

2020年08月05日 00時01分29秒 | 日記

  蔡温は、久米村の実力者で琉球の正史中山世譜(蔡鐸本)や

歴代法案の編集、漢詩集などを著した

 

父親蔡鐸の下で勉学に励み論語を始め

語学(日本語)など学びまた多くの書物を論破し

 

二十代前半で、トゥージ(通訳)に任命され

漢文の教師や講解師となる

 

1708年27歳の時に進貢存留役となり清国へ

トゥージとして赴任する

 

この2年間に儒学や書物の知識だけでは

何の役にも立たないとする「実学」の教えを学び

多くを学び、多くの知識を習得し、1710年に帰国する

 

1711年尚益王の世子尚敬の教師兼務役に任命される

1712年12代尚益王が死去する

 

1713年尚敬13歳の時、13代目王に即位する

祭温33歳の時に国師に就任し

国を指導する役割を担うことに成る

正義太夫となり首里赤平に土地を賜り転居する

 

1715年34歳で勝連間切神谷地頭職に任じられ

神谷親雲上となった

 

35歳の時申口座となり末吉地頭職となる

38歳で紫金太夫末吉親方となり

三司官となる資格を得る

 

祭温47歳の時王族、上級土族ら200余名の選挙によって

世あすたべ(三司官)に任命される

久米村から2人目の三司官である

 

祭温は名実ともに琉球国の実力者に成った

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