北山グシク(城)は私が育ったシマ(島)今泊ムラに
1915年に管理を委任される
北山城は 北の島(地域)にある城と呼ばれていた
現在 ナチジングシク(今帰仁城)と呼ぶのが普通であるが
今帰仁城と言う呼び名は
私は成人に成ってから知ることになる
ナチジンマジリ(今帰仁村(そん))には
多くの御願所(拝所)や墳墓、祠
御嶽などが点在している
グスク(城)内には カラウカ、ピーヌカン
テンチジ アマチジ、ソイツギ などの拝所があり
歴史上の監守時代の碑
志慶真乙樽(しじまうとざる)の歌碑などがある
城下に以前(薩摩軍侵攻1609年前)あった
シマ(村)跡にも幾つかの御願所(拝所)がる
グスク(城)の後方に
琉球開闢七御嶽の一つクバ(クボ)御嶽がある
これらの聖地を巡礼するのが今帰仁ぬぶい(上り)といって
現在でも多くの巡礼者が訪れている
これらの御願所(ウガンジュ(拝所)には
数百年に及ぶ北山城の興亡の歴史が
口伝、野史、一門の家譜などによって語り継がれている