29.12.20 一 升 田 NO.1744
記憶は定かではありませんが江戸時代の税といえば地租が中心でした。
つまり、農地を所有したり・耕作して生産した米を「五公五民」つまり5割を幕府に収
め、自分たちの生活に充当したのは5割でした。
ところが収穫量というのはその年にできたコメの量を言うのではなくて、一反あたりの
生産量はしかじかであるべきであって、生産量が少なくっても容赦なく一定の量の年貢
米を徴収されたのです。
そういうことになりますと、そもそも平均の生産量が上がらない、やせた土地の百姓さ
んは、出来上がったすべてのコメを収めても足りないということが生じます。
「三反百姓水飲み百姓」という言葉は三反程度しか農地を持たない百姓さんは、地租を
収めると自分達が食べるコメがなくなり、水しか飲めないという悲哀を表す言葉でし
て、今の日本の貧困層と同じようなものですね。
生産量が上がらない土地を誰かにもらってもらい、自分は出稼ぎにでも出るという場合
に、田んぼ一反(300坪)当たり酒1升を付けてもらってもらったところから「一升
田」という言葉ができたようです。
ところで、土1升・金1升のバブルの時代を経て、これからの日本の土地事情は使用目的
がない・誰も買ってくれない・相続もできないが固定資産税だけを払い続けなけらばな
らないという土地が、どんどん出てくることでしょう。
現にそういう土地を合わせる九州全土に匹敵する面積になると報道されています。
近い将来には、一升田ならぬ「一升宅地」の出現が予想されます。