小言コウベイN

日々感じた風刺等について書いています。

魚釣り

2015-09-21 19:00:50 | 日記

       27.09.22        魚  釣  り         NO.925

  魚釣りをしている人を見ると悲しいほど羨ましい。 自分もやってやれないことはないのだろが、いつ

釣れるのか解らない魚の喰い付きを何時間も待っている。  そして釣った魚をリリースする。

 わたしにはそんな贅沢な時間がありません。  小鮒釣りしかの川の少年時代もあったし、職場の同僚

や近所の有志と何回かは海釣にも出かけましたが、魚釣りは本当にそれっきり。

パチンコやマージャンもやったし、立ち飲みの酒も随分やりましたが、いま顧みて、なんて俺は時間貧乏

なんだろう…という思いがあります。  たまに電車に乗る時も・病院の診療待ち時間も、本を読んだり何

かを考えていて、ボーっとしている時間がありません。

一時期は孫が「爺ちゃん散歩しよう」などと言ってきましたが、小学校も高学年になるともうやってこない。

爺ちゃんなんて呼ばれることに少々の抵抗感がありましたが、それを通過しても、まだ、あくせく動いている。

それが健康の素と言えばそうかもしれませんが、とにかく忙しい人生でした。 でも、もう少し忙しい忙しい

といっておれたらいいとおもう。   老人 閑ありて 不善を為す  じゃないのかな?

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先生

2015-09-20 19:40:59 | 日記

        27.09.21      先     生         NO.924

 先生にだって、良い先生・普通の先生・悪い先生があります。  わたしの記憶にあるよい先生は、貧困

家庭で夢も希望もなく・どうしようもないワルガキだった私、卒業すれば船場の丁稚奉公に行くことになっ

ていた私に「昼働いて夜勉強する学校がある」「君ならできる!」とおだててくれた北野先生。  夜間高

校の入学式で「4年間で卒業できなくったっていい」「5年かかっても6年かかってもとにかく卒業しなさい」

「そうすれば自信がつく・人生は長い」「私だって病気に罹って4年も5年も遅れて卒業したのです」と語っ

てくれた竹田津先生は、自分の人生を左右するほどの立派な先生でした。

悪い先生にも出会いました。 「何べん言うたら解るんや!」「そんなことを教えてないだろう!」と動作の

いちいちにケチを付け、プライドをキズつけ・意気消沈させるマジックのY先生でした。

海軍大将だった山本五十六は言っています。

やって見せ 言って聞かせて させて見て 褒めてやらねば 人は育たぬ(動かぬ)。  まさに至言です。

良い先生に巡り合えるかどうかによって、人生変わります。

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迷い箸

2015-09-19 17:35:51 | 日記

       27.09.20      ま  よ  い  箸        NO.923

 さて、何を食べようかな・・・と持ち上げたお箸を食べ物の上でぐるぐる回して逡巡することは、お行儀が

悪いとされた。  最近はホテルなどのバイキングではそんな格好の人をよく見かけますが、あまり格好

の良いものではありません。   じっと見つめているのは良いとしても箸を持ってからうろうろしているの

はよろしくはありません。  反対に最近の子供達は出された食べ物を一種ごとに片付けて、同じものば

かりを食べるところから「バッカリ食べ」という言葉が出来た。

さて、バブル期に運よく買値の5倍ほどの値段で自宅を売却して(大儲けをして)、地価の安い地方都市

に引っ越した人が、ちょくちょくこの街に遊びにやってきては、喫茶店などで大儲けをした話を吹聴するも

んだから、彼が店に来るとほかのお客さんは「またあのひとか!?・・・」と鼻白んだものでした。

この人のように、お金の話「バッカリ」する人も、ひとに嫌われる。

因みに「ばっかり食べ」に対してあちらこちらの食べ物を均等に食べることを「三角食べというらしい」

*鼻白む・・・ちっとも面白くも可笑しくもない話に、その場が白けること。

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不動産

2015-09-18 19:29:54 | 日記

           27.09.19      不   動   産        NO.922

 何時のころだっか、姉小路佑の「動く不動産」という作品がありました。

不動産とは名の如くデンと構えて動かないものであるべきところ、地面師たちによっていつの間にやら

他人に権利が移って(動いて)いるという内容で、ちょっとした知識と度胸があれば誰だってやれそうな

手口を詳細に書いたものでした。

ところが近年の数次にわたる法改正と実務的な取り扱いの改正を経て、今では「法的」にはほとんどそ

のような侵奪は出来なくなりました。   ところが、例のバブルの崩壊と失われた数十年と言われる不

景気で、地価はどんどん下落し、駅前の一等地以外は下落傾向になっていますし、銀行の融資対象か

ら除外された狭小土地や交通利便が悪い地域・坂道が多くて高齢にとっては決してやさしくない環境の

地域では、家屋は老化するが建替えの費用は出したくない、と言って売却しようと思っても買い手がつ

かない不動産が増大し、不動産は今や「負」の財産になって来ました。

一昔前ならば、イザという時には「不動産」を売れば何とかなるという風潮がありましたが、世の中どん

どん変化してどうすれば老後の安心をつかめるのか・・・ちょっと難しくなって来ました。

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壊れる

2015-09-17 19:57:13 | 日記

      27.09.18      壊   れ   る        NO.921

 土器(かわらけ)の壊れて元の土くれ、サヨナラだけが人生だ・・・というような詩があったと記憶します。

それはともかくとして、形のあるものはいつかは必ず壊れるもの。   そういう意味では形のある人間

という個体そのものもいずれは壊れて、元の土くれになるのでしょうか?  個々の人間の命に限りが

あることは当然ながら、最近の事件を見ているとなにか人間そのものが崩壊してゆく過程にあるのでは

ないかと思えるものがあります。   今日も若い母親が産まれたばかりの自分の子供に暴力を振るい、

意識不明の状態に陥れたという報道がある。  そういう手合いは、おおむね家で料理を作ったことはな

いし、働く意欲もなく・家のなかは雑然としてゴミだらけ、本能の赴くままに異性と戯れ、遊びの邪魔にな

った子供を放置したり安易に殺害する。 犬・畜生だってそんなことはしないから、そういう人は犬・畜生

にも劣るというべきで、狂気の沙汰というほかない。育てられないのならば産まなければいいのであって、

それでももし生まれてしまったら殺さないで「赤ちゃんポスト」にでも入れればいい。

そういう能力がすらない者を果たして「人間」と認めてよいのだろうか?

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