小言コウベイN

日々感じた風刺等について書いています。

生兵法

2015-09-16 19:16:50 | 日記

         27.09.17      生   兵   法        NO.920

 「生兵法はケガのもと」と言います。  なまじ兵法を知っている、つまり柔道ができる・空手ができる・

合気道ができると、その道の達人でもないのに、持ってる技能で戦おうとする。 そして大怪我をする。

上には上がいるし、相手がピストルや刃物を持っている場合だってあります。 そういう場合、なまじっ

かの護身術を持っていても、36計逃げるのが勝ちです。  それよりもそういう場所に近づかないこと

でしょう。

老人会や老人施設などで「元会社重役」とか「市会議員」だったとかいかにも自分が社会的地位の高

い立派な人間であるのかということを誇示する人がいますが、いずこにも上には上がいて、とても自分

のレベルでは対抗できないかを知り、愕然とすることがあると言います。

深作 惇郎の「天声人語」によると、あいりん地区で孤独死した老人が持参していた遺品から調査をし

たところ、その老人は東大の美学を出て海軍学校で教鞭を振るい、戦争中はスイスで暮していた人だ

ったという記述がある。   東大出が必ずしも偉い人とは限りませんが、老人の中にはそういう人だっ

ているということ知ることは大事ではないでしょうか?

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辛抱

2015-09-15 21:07:54 | 日記

        27.09.16       辛     抱        NO.919

 辛抱は「金」なりと言います。 でも、人間何でもかんでも辛抱できるものではありません。 それは当然

のことでしょう。 怒る時には怒り・怒鳴るべき時には怒鳴る必要もありでしょう。 なにも羊のように温和

なことが良いとは限らないのは当然でしょう。  でも、現代人に不足しているのは「感情的に」辛抱する

ということが欠如していると思われます。

叱られるとすぐに頭にきて「キレる」。 人を簡単に殺す。家に火をつける。 辛抱が足りないのです。 

「なる堪忍は誰もする ならぬ堪忍するが堪忍 堪忍の袋をいつも胸にかけ 破れたら縫え 破れたら

縫え」と・・・故人は言いました。

わが町で蛇蝎(だかつ・・・ヘビ・サソリ)のように忌み嫌われた夫婦がいました。  余程世間に対して不平

不満があったのでしょうか?  誰も相手にしないものだから余計に癇癪を起こしますが、彼らの境遇には

何らかの事情があるとみて、それなりのお付き合っていたところ、街から出て行く最後になって、仕事にな

る話が持ちこまれて、何とかそれなりのメリットを享受させてもらいました。

これ「辛抱は金」そのものです。

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斉藤隆夫

2015-09-14 19:57:37 | 日記

                27.09.15       斉  藤  隆  夫       NO.918

 斉藤隆夫という国会議員がいました。 戦前の昭和15年2月帝国議会で「反軍演説」をしたために、

警察・軍部に監視され暗殺の危機に瀕しながらも反戦を貫き、議会で除名処分を受けても聖戦美化・

国民の犠牲閑却・虚言妄言(国際正義・共存共栄・世界平和など)を糾弾し続けました。

選挙民もこの斉藤を支援し、翼賛体制の中で非翼賛の彼をトップ当選させるなど、選挙民もおろかで

はありませんでした。       それでも、時流の流れの中で種々の抑圧をうけて存在感が色あせて行き、

同時に日本はあの愚かな戦争へと傾斜して行ったのです。

以来75年、いまほど斉藤隆夫のような熱血政治家の出現が望まれるときはありません。

そして、言うまでもなく、そういう政治家を選ぶべき選挙民たらんことを求められる時代はありません。

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ドアーボーイ

2015-09-13 19:20:00 | 日記

         27.09.14    ド ア ー ・ ボ ー イ       NO.917

 中学卒、就職組・夜間高校進学希望者の就職先は、大阪駅前のタクシー乗り場のドアー・ボーイでした。 

3年半勤めました。直射日光から身を守るべき庇もない、炎天下の夏季はぶっ倒れるほどの灼熱地獄で、

厳寒の冬は目の前の水たまりが凍り付いて行くのが見えるほどの、身も心も凍る厳しい職場でした。

真面目さを買われて、何回か天満天神宮の結婚式場のドアー・ボーイに「抜擢」されたものでした。

ある雨の日タクシーに乗ろうとした盛装の新婦の履物が脱げて、車の下に転がって行きました。  

それを誰も拾おうともしない。 当然ドアーボーイが拾うものと思ってる。  衆目注視のなか、泥まみれに

なって車の下に這いつくばって拾ってあげたが、誰も有難うとも言わない、当然と思ってる。 

今、同じことをやってもどうとも思いませんが、その時の少年は「なんで俺がこんなことせんとアカンねん!」

と心の中で泣いていました。 楽は苦の種・苦は楽の種と言いますが、若い時にいくらこういう苦労をしたって、

人間の老後はどうなることはか知れませんが、若い時の苦労は人様の心の痛みや悲しみが、少しは理解で

きる人間になれるのではないかと思っています。

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親の心

2015-09-12 19:46:31 | 日記

          27.09.13     親  の  心       NO.916

 ・・・子知らず・・と言いますね。  信長は自分の後継者として光秀を心中で決めていました。 秀吉は

調子はいいが頭が悪い。  天下国家の覇権をゆだねるのは頭脳明晰な秀光を措いてほかにはない

と思っていました。  でも、そういうことは口に出して言わなかった。

むしろ、ちょっとしたミスでもガンガン叱りつけ、少々の手柄を立てても褒めもしなかった。 それは後継

者養成のための教育でした。  ところが、光秀はそういう信長の心中を伺い知ることが出来なかった

のです。 自分は信長に嫌われている。  いつかきっとイビリ殺されると思い込んでいたのです。

あるとき酒に酔った信長がキリスト教の宣教師から聞いていた、西洋の大統領について語り、日本の国

もいずれはそうあるべきだという構想を披歴したのです。

民・百姓が主権者となって、4年に一度交代する「棟梁」を選び、その棟梁が国を治める。  

 では、一体自分たち大名の地位や身分はどうなるんだ!   冗談じゃない! 民・百姓・商人なんか

が権力を握る!  そんな馬鹿な! ・・・そういう思いが昂じて、光秀はほとんどパニックに陥りました。

他の大名にも信長の「無謀」が伝播し、信長の身近にいて一番裏切りやすい立場の光秀が、他の大名

からけしかけられて本能寺で信長を「討った」のです。   「親の心子知らず」の典型です。

*池宮 彰一郎著 「本能寺」を参考にしました。

 

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