あの東北大震災から、丸3年が経ちました。3年前の14:46分頃、私は自宅におりました。北海道でもかなり揺れまして、TVを見たら、恐ろしい事になっていました。
今日は各地で追悼式が行われ、地震が起きた時刻には黙祷を捧げた方も多かったと思います。
私はその時間には車を運転しておりまして、黙祷は出来ませんでした。
震災後は各出版社や新聞社が、震災特集の写真集などを相次いで出版しましたが、私の手元にも、
「サンデー毎日緊急増刊」号があり、今本棚から出して来ました。
自分の記憶では『北海道新聞社」の写真集を購入したと思ってましたが、記憶違いでした。
あの震災では、仙台市といわき市に大学の同級生が在住してまして、幸い同級生に死者は出なかったものの、
自宅が被災した同級生もいましたね。
私の中でも、だんだんあの大震災が風化している感は否めません。
それにもまして今でもビックリしているのは、大震災が起こるほんの数日前に、休刊していた『朝日ジャーナル』が緊急復刊して、その第二弾で、『日本破壊計画」と題して発売した事です。
もちろん大震災を予言した内容ではありませんが、今思うとタイトルが不気味ではあります。
この本で、名前しか知らなかった『辺見庸』の文章をじっくり読み、浜矩子、飯田哲也、内田樹、宮台真司、
などを知りました。山口二郎や金子勝、新藤宗幸なども投稿しています。
当時は民衆党が与党でしたが、徐々に民主党が混乱し始めて、日本の先行きも混沌とした時代でした。
そんな矢先の大震災だったのですね。
もう一度震災の写真集を観てから、寝る事にします。
今日は各地で追悼式が行われ、地震が起きた時刻には黙祷を捧げた方も多かったと思います。
私はその時間には車を運転しておりまして、黙祷は出来ませんでした。
震災後は各出版社や新聞社が、震災特集の写真集などを相次いで出版しましたが、私の手元にも、
「サンデー毎日緊急増刊」号があり、今本棚から出して来ました。
自分の記憶では『北海道新聞社」の写真集を購入したと思ってましたが、記憶違いでした。
あの震災では、仙台市といわき市に大学の同級生が在住してまして、幸い同級生に死者は出なかったものの、
自宅が被災した同級生もいましたね。
私の中でも、だんだんあの大震災が風化している感は否めません。
それにもまして今でもビックリしているのは、大震災が起こるほんの数日前に、休刊していた『朝日ジャーナル』が緊急復刊して、その第二弾で、『日本破壊計画」と題して発売した事です。
もちろん大震災を予言した内容ではありませんが、今思うとタイトルが不気味ではあります。
この本で、名前しか知らなかった『辺見庸』の文章をじっくり読み、浜矩子、飯田哲也、内田樹、宮台真司、
などを知りました。山口二郎や金子勝、新藤宗幸なども投稿しています。
当時は民衆党が与党でしたが、徐々に民主党が混乱し始めて、日本の先行きも混沌とした時代でした。
そんな矢先の大震災だったのですね。
もう一度震災の写真集を観てから、寝る事にします。