浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 2 源氏は東へ、平家は西へ
いまNHK大河ドラマは「平清盛」ですが、12世紀の平氏は、当時の中国の宋との交易で栄え、最後は京都から西へ兵庫県の福原港に都を移転しました。
それに対して、源氏は頼朝が鎌倉に幕府を開きましたが、東へ向かい、武士の独立国家をつくる路線でした。
同じような状況が戦国末期に繰り返されます。
統一国家を作ろうとした織田・豊臣・徳川のうち、織田と豊臣は商業や産業で得た富を駆使して朝鮮や中国を征服する西へ向かう路線でした。
それに対して、徳川は東へ向かい、鎌倉幕府のような武士国家をうちたてる路線でした。
源平時代と違って、名古屋にいた織田と、岡崎にいた徳川は、軍事同盟を結び、お互いの背後からの危険を遮断してから、織田は西へ、徳川は東へ向かうのが、大きな違いですね。
☆
そしてせっかく天下をとった豊臣家が朝鮮侵略で冨を浪費し、疲弊して、威信を喪失したことは、日本と朝鮮との関係を考えるときに興味深い点です。
古代から近代まで、日本の朝鮮への出兵は3回ありました。
1、古代の「倭国」時代 7世紀の白村江の戦いで大きな打撃を受けて倭国は滅び、701年、日本国が日本を統一する
(なお、このことは、通常「倭国の名前を日本国に変更した」という単なる看板の掛け替えみたいに矮小化されています)
2、近世の豊臣時代 豊臣氏の権威は低下し、関ヶ原と2回の大阪の陣で豊臣は滅び、徳川が日本を統一する
3、近代 大日本帝国が朝鮮を「併合」するが、それが遠因となって「15年戦争」となり、大日本帝国は滅ぶ
こう見てみると、朝鮮半島を侵略した国は、3回とも滅んでいます。
どこへも征服戦争をおこさず「300年の平和」を守った徳川氏がいちばん理性があったと思います。
いまNHK大河ドラマは「平清盛」ですが、12世紀の平氏は、当時の中国の宋との交易で栄え、最後は京都から西へ兵庫県の福原港に都を移転しました。
それに対して、源氏は頼朝が鎌倉に幕府を開きましたが、東へ向かい、武士の独立国家をつくる路線でした。
同じような状況が戦国末期に繰り返されます。
統一国家を作ろうとした織田・豊臣・徳川のうち、織田と豊臣は商業や産業で得た富を駆使して朝鮮や中国を征服する西へ向かう路線でした。
それに対して、徳川は東へ向かい、鎌倉幕府のような武士国家をうちたてる路線でした。
源平時代と違って、名古屋にいた織田と、岡崎にいた徳川は、軍事同盟を結び、お互いの背後からの危険を遮断してから、織田は西へ、徳川は東へ向かうのが、大きな違いですね。
☆
そしてせっかく天下をとった豊臣家が朝鮮侵略で冨を浪費し、疲弊して、威信を喪失したことは、日本と朝鮮との関係を考えるときに興味深い点です。
古代から近代まで、日本の朝鮮への出兵は3回ありました。
1、古代の「倭国」時代 7世紀の白村江の戦いで大きな打撃を受けて倭国は滅び、701年、日本国が日本を統一する
(なお、このことは、通常「倭国の名前を日本国に変更した」という単なる看板の掛け替えみたいに矮小化されています)
2、近世の豊臣時代 豊臣氏の権威は低下し、関ヶ原と2回の大阪の陣で豊臣は滅び、徳川が日本を統一する
3、近代 大日本帝国が朝鮮を「併合」するが、それが遠因となって「15年戦争」となり、大日本帝国は滅ぶ
こう見てみると、朝鮮半島を侵略した国は、3回とも滅んでいます。
どこへも征服戦争をおこさず「300年の平和」を守った徳川氏がいちばん理性があったと思います。