雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 2 源氏は東へ、平家は西へ

2012年04月11日 14時40分10秒 | 浜松静岡郷土史
浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 2 源氏は東へ、平家は西へ

 いまNHK大河ドラマは「平清盛」ですが、12世紀の平氏は、当時の中国の宋との交易で栄え、最後は京都から西へ兵庫県の福原港に都を移転しました。

 それに対して、源氏は頼朝が鎌倉に幕府を開きましたが、東へ向かい、武士の独立国家をつくる路線でした。

 同じような状況が戦国末期に繰り返されます。

 統一国家を作ろうとした織田・豊臣・徳川のうち、織田と豊臣は商業や産業で得た富を駆使して朝鮮や中国を征服する西へ向かう路線でした。

 それに対して、徳川は東へ向かい、鎌倉幕府のような武士国家をうちたてる路線でした。

 源平時代と違って、名古屋にいた織田と、岡崎にいた徳川は、軍事同盟を結び、お互いの背後からの危険を遮断してから、織田は西へ、徳川は東へ向かうのが、大きな違いですね。

  ☆

 そしてせっかく天下をとった豊臣家が朝鮮侵略で冨を浪費し、疲弊して、威信を喪失したことは、日本と朝鮮との関係を考えるときに興味深い点です。

 古代から近代まで、日本の朝鮮への出兵は3回ありました。

 1、古代の「倭国」時代 7世紀の白村江の戦いで大きな打撃を受けて倭国は滅び、701年、日本国が日本を統一する
   (なお、このことは、通常「倭国の名前を日本国に変更した」という単なる看板の掛け替えみたいに矮小化されています)

 2、近世の豊臣時代 豊臣氏の権威は低下し、関ヶ原と2回の大阪の陣で豊臣は滅び、徳川が日本を統一する

 3、近代 大日本帝国が朝鮮を「併合」するが、それが遠因となって「15年戦争」となり、大日本帝国は滅ぶ

 こう見てみると、朝鮮半島を侵略した国は、3回とも滅んでいます。

 どこへも征服戦争をおこさず「300年の平和」を守った徳川氏がいちばん理性があったと思います。


雨宮日記 4月10日(火) 則子さんの日記は、紙のノートで、3年連記

2012年04月11日 06時19分10秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月10日(火) 則子さんの日記は、紙のノートで、3年連記

 ぼくは紙の日記を付けていたのは、則子さんと結婚して(則子さん以外とは結婚していません、ただ一度です)から、忙しくて、なかなか自宅(当時の松城町の林泉書房)でも会話の時間がとれませんでした。

 生まれたての長女をどっちが家に居て見るか、あるいは自分の参加する会議にいっしょにつれて出るか、今日の体験したこと、などなど、いろいろ「交換ノート」に書いていました。

 今、その当時の12冊の「交換ノート」が手元に残っています。

 これを、なんとか活字化して「雨宮夫妻 12年の交換ノート」という題で本にしたいです。

 もちろん、宮本顕治さんと宮本百合子さん夫妻の「12年の手紙」を手本にしています。

  ☆

 今は、ぼくも、ブログで「雨宮日記」ですので、紙には残りません。則子さんは、自分で買って来たノートを縦に3分割して「3年日記」にしています。


 則子さんが言うには「昨年とか、2年前の日記を読むと、怒れちゃうことあがあるの」と。

 それは無理もないけど、過去のことを自分一人で怒っても、なんの利益もないから、怒るなら、ほかの人がいるところで、怒りましょう。

雨宮日記 4月9日(月) 「智彦くん、猫背で姿勢悪いよ」と則子さんが言いました

2012年04月11日 06時03分53秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月9日(月) 「智彦くん、猫背で姿勢悪いよ」と則子さんが言いました

 今朝は、深夜の仕事が休みなので、昨夜からのんびり寝て、遅く起きました。

 浜松の桜は、そろそろ花びらが舞い始めました。

 午後2時に、則子さんといっしょに、市議の小啓子さんとAさんの対話に参加、4人で、これまで生きてきた生き方や、苦労したこと、家族のことなど、2時間近く、あっちへ飛んで、こっちへ飛び、いろいろ対話しました。

 対話を終えて、市役所の駐車場を歩いていると、則子さんが「智彦くん、猫背で、姿勢悪いよ」と突然、言うので、アッと思って「ぼく先週から腰が痛くて、それでかな」と答えました。

 日曜日に、岡崎ですこし無理して歩いたせいもあるでしょうね。

 以前の仕事、自営業の「本屋」の仕事は、本が重くて、腰痛が職業病です。今でも、深夜の配送の仕事は、重量があるので、うっかりすると、腰に負担がかかって、腰が痛くなります。

 いちおう、今の深夜の仕事は65才まではするつもりなので、無理をせず、腰をかばいながら、続けようと思っています。

 この仕事をしている限り、午前中は寝ているし、午後もあまり早くから行動できないし、困るのですが。

  ☆

 民主党政府・野田首相らの、おおい原発再稼働最優先がひどくなってきました。

 壊れたのは東電福島第1原発だけではないんですね。
 
 すでに壊れていたのは日本の保守政治・官僚・大企業・科学技術者たち・マスコミ、などですね。

 もう人間ではないです。

 悲しいです。

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 4月10日(火) 0.0460μSV/h

2012年04月11日 05時59分52秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 4月10日(火) 0.0460μSV/h

 4月10日(火)18時15分、晴れ(50%)、風中ぐらい

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.052 μSv/h 
  最大値 0.057 μSv/h 
  最小値 0.046 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.043 μSv/h 
  最大値 0.045 μSv/h 
  最小値 0.043 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.046 μSv/h 
  最大値 0.057 μSv/h 
  最小値 0.043 μSv/h 


 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定精度:±10%
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
 (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者及び記録者:特記ないかぎり雨宮智彦