雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮家の歴史 7 父の著『落葉松』 第1部の4 陸軍被服廠

2013年05月01日 06時46分44秒 | 雨宮家の歴史

雨宮家の歴史 7 父の著『落葉松』 第1部の4 陸軍被服廠

 Ⅰ 4 陸軍被服廠

  卓二は名古屋鎮台の歩兵六連隊付となったが、すぐ福井大隊区司令部付となって、福井に赴任した。父福男の誕生は前章で書いたが、「明治二十三年九月四日  第三師団附差免  被服廠附申付  陸軍省」なる辞令を受けて、三年余りの福井勤務を終えて、古巣の東京に帰ることになった。福男も二歳になり、既に東海道線も全線開通していた。

  陸軍被服廠は、卓二が会計卒になった時、配属された服庫課が明治十九年三月に被服廠条例が施行されて昇格したものである。庁舎は麹町区有楽町にあり、倉庫が築地明石町と深川大工町にあった。この二っの倉庫を赤羽に一本化する事になり、明治二十四年二月一日完了した。卓二はこの仕事に関わったのである。

 赤羽倉庫は北豊島郡岩渕村赤羽(今の赤羽台一、二丁目)に設けられ、卓二はこの赤羽倉庫勤務となった。なお、階級が上って二等書記(経理軍曹)となった。

(三) わが育ちし 家あとも無く 枯桑畑の しらじらとして 亡き父思う ( 昭和三十六年 )

  卓二は住まいを赤羽倉庫に近い岩渕村袋に持った。現在、地下鉄南北線の始発駅である、赤羽岩渕駅と荒川の間に位置する赤羽二丁目であるが、当時は農家の点在する田畑であった。

 明治初年、新政府は東京を朱引内(旧市内)と朱引外(新市外)とに分け、朱引外では空き地を開墾して、桑や茶の植え付けを奨励した。このため岩渕辺りでも桑畑が多かった。陸軍官舎といっても、農家を借り上げたものであり、藁屋根の家で、縁側に糸車が見え、子供たちは着物姿であった。

  後年、明治三十六年のこと、東北線を走っていた機関車の煙突よりの火の粉が、岩渕村の農家の藁屋根に飛び火して火事となり、近隣にも燃え移って、赤羽駅・岩渕小学校・陸軍官舎など二百余戸を焼失した。

  この陸軍官舎は、卓二たちの住居だったと思われるが、その時は本所の本廠勤務で、向島小梅町に移っていたので、災害は免かれた。

  この岩淵で福男の弟・次男孝男(芝区白金三光町)、妹・次女花(本郷区菊坂町の安藤家に嫁す)が生まれた。この間に日清戦争が起こり、卓二も出征することになった。

 


雨宮日記 4月30日(火) ぐたっと「くつろぐ」豆子(雨宮家次女兎)

2013年05月01日 06時20分55秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 4月30日(火) ぐたっと「くつろぐ」豆子(雨宮家次女兎)

 くつろいで,足を投げ出して休んでいる、次女の兎「豆子」です。

 つねに生命の危険にさらされている「野生」動物としてはあり得ない、「しどけない」姿ですが、「ペット」「家畜」としては、まあしょうがないかと、苦笑してしまいます。

 好物は、ニンジンとチンゲンサイなどの野菜です。普通は、近くのストアで買ってきた野菜なのですが、ときどき、妹夫婦(農家)が野菜を持ってきてくれると、新鮮で農薬が少ないので「すごくおいしい!」のがわかるのか、夢中で食べ始めます。

 何か不満・不安があると、足で床をコン!と蹴って知らせます。何が言いたいのか?口がきけないので、わからないんですね。

 今日は、いつもは丸薬状のコロコロしたウンチなのが,少しネバネバしたウンチだったので、飼い主の次女は心配しています。暑くなったからでしょうか?

  ☆

 父の本『落葉松』の「索引」を作り始めました。「索引」が完成したら、父のともだちや、ぼくや則子さんのともだちに発送します。それまでお待ちください。いま、80ページ付近までいきました。たぶん、連休明けには完成すると思います。

 

 


雨宮日記 4月29日(月) もらい物で料理…

2013年05月01日 06時07分27秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 4月29日(月) もらい物で料理…

 夕食で、頂いたものがおいしかったです。

 土曜日の父の90才お祝い会で久しぶりに会ったM家のYさんは年上で、ぼくのおばあちゃんの実家のM家の人で、ボクが小さい頃から雨宮家に出入りしていて、「Yちゃん」「Yちゃん」と呼んで、ずっと親しくしていた人です。浜松北高の先輩になります。

 最近は畑仕事をしていて、ときどき野菜をもらいます。写真は、Yさんからもらった「エンドウとわかめ」です。エンドウはYさんが畑でとったエンドウで、ワカメは「御前崎灯台の下の岩場」でとったワカメです。おいしかったです。

 写真のもう一つのアサリは、長女夫妻が里帰りして岡崎市で潮干狩りしてきた「アサリ」です。浜松の人はご存じのように、浜名湖のアサリは今年「不作」で、「潮干狩り中止」という事態になりました。やはり、温暖化などによる自然の危機でしょうか。

 岡崎のアサリも、おいしかったです。Tさん(長女)、Tくん(長女の夫)、ありがとう。