雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 5月24日(金) やっと平和行進の「許可」が出てホッと

2013年05月25日 21時01分19秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 5月24日(金) やっと平和行進の「許可」が出てホッと

  まあ、本来なら、市民運動・大衆運動に「許可」もへったくれ(「へったくれ」って何?)も、ないんですが、現代日本の状況では、警察署に「示威運動」許可願いを出してやる法的状況です。

 やっと警察の許可が出ました。

 月曜日に許可証を取りに行ってきます。

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 午後4時半過ぎ、帰って来た則子さんと2人で、西部T労連に、平和行進の運転手さん用の地図を届けに行きました。

 3日間、無理なお願いをして、しかも、前日、磐田市の国府台(こうのだい)まで車を取りにいってもらうということまでしてもらいます。平和のためとはいえ、頭が下がります。ありがとうございます。

 家へ帰ってきて、2人で慌てて、家族(2人と父と次女)4人分の夕食をかなりインスタントに作って、父と3人で食べました。

 こういうときは、ボクが汁と炒め物を作って、則子さんが煮物を1品作って、という感じになります。ぼくも、煮物を研究しないといけませんね。

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 夜は2人で、会議に参加。ただ参加するなら楽だけど、ぼくたちが主催なので、ぼくが2階の自室で、急いでレジュメを打って(書くとは言いません、キーボードを「打つ」んです)、自分の中古プリンターで印刷しました。

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 夜中は、仕事で、引き継いでくれる方に、助手席に乗ってもらって、いっしょに回りました。ぼくは本屋で市内を車で走り回っていましたが、この方は、文具屋さんで市内外を車で走り回っていたそうです。ぼくより5つ年上の男性なので、この仕事は、たいへんだろうなと、思います。よろしくお願いします。

 

 

 

 


雨宮家の歴史 12 父の『落葉松』 Ⅰー9 「母のこと」 

2013年05月25日 07時07分16秒 | 雨宮家の歴史

第二部  生い立ちの記  Ⅰ 9 母のこと

  片桐茂君は私の幼友達である。父親が谷島屋の支配人であり、私の父の上司でもあた。家も近かったので、茂ちやんと呼んで一緒に遊んだ。

 最近、彼から父の古い日記が見つかったが、その中に次のような記事があったと知らせてきた。書かれた字は、のたくっていて読みにくがったが、彼が判読してくれた。

 「明治四十二年十二月十三日  中谷福男君 朝来る妻君の件にて 御主人様 おさわ様    福男君の妻君の世話致し事にて八時頃伝馬町へ出かける
  十二月十四日  福男君及妻君来る  十一時にて上京する  おさわ様送りにゆく」

  御主人様、おさわ様は谷島屋の二代目店主源三郎夫妻で、福男君は私の父であり、伝馬町は私の母、正岡里子の実家のあった所である。文面から察するに、この日に父母は、店主夫妻の世話で、簡単な祝言をして結婚し、翌日上京したようである。(「第一部  わが家のルーツ 7 谷島屋書店」参照)
 父二十一歳、母十九歳であった。

  母の実家は伝馬町九十番地。今の「米久ホテル」の近くで、料理屋「八百吉」の真向かいに当たる。私の青春を満足させてくれた映画館「吾妻座」の近くでもあった。

  伝馬町は東海道筋に当たり、江戸時代に人馬の継ぎ立てなど、一切の公事を司る伝馬役が置かれたことなどからその名がついた。本陣、脇本陣なども置かれ、宿場町としての浜松の中心であった。それに伴い、旅籠屋・貸座敷・置屋・料理屋などが軒をつらねて、それは隣の旅篭町にまでも及んだ。

  母の実家はそのなかの貸座敷の一軒で、「和泉楼」といった。当時、伝馬町には紙屋・島屋・米久・おもだか屋・駿河屋・川崎楼・池田屋など著名な貸座敷があった。

  明治六年二月の浜松県令林厚徳による「娼妓並貸座敷渡世之者心得」によると、娼妓は鑑札に三十銭、月に税金一円五十銭。貸座敷は鑑札に二十銭、月に一円の税金を納めねばならなかった。母が嫁いだ時には、父は既に亡く、店も廃業して長兄が正岡家を継いでいた。      

  「和泉楼」で亡くなった娼妓たちは、母の実家ー正岡家の菩提寺の西見寺(平田(なめだ)の踏切の近くにあったが、今は入野の西鴨江町に移った)に葬られている。

  旧幕時代から浜松の発展に寄与して来た伝馬町・旅篭町の花街も、時代が移ると薄情なもので、市の中央にあっては町の発展に支障を来すとか、風紀上好ましくないと、大正十二年、鴨江町に集団移転して双葉遊郭となった。

 


浜岡原発ニュース お知らせ 5月27日(月)浜岡裁判第8回口頭弁論です

2013年05月25日 06時53分50秒 | 浜岡原発ニュース

浜岡原発ニュース お知らせ 5月27日(月)浜岡裁判第8回口頭弁論です

 静岡地裁浜松支部でたたかわれている浜岡原発永久停止裁判は、第8回口頭弁論が、5月27日(月)午前11時開廷で開かれます。

 今回は、前回に追加提訴した第5次原告団から4人が各4分づつ意見陳述、弁護士3人が新訴状の内容(阿部弁護士)・国を被告とした意味(塩沢弁護士)・訴訟費用を倍額とした不当性(大橋弁護士)を意見陳述します。

 なお、中電を被告とした提訴としては「第8回口頭弁論」ですが、国を被告とした提訴としては「第1回口頭弁論」となります。

 ただし、区別して言うのも煩雑になるので、裁判の始まりから数えて「第8回口頭弁論」と統一的に数えようと思います。

 今回は、国と中電のそれぞれから、非常に簡単な「答弁書」が提出されました。

 裁判終了後に、裁判所南隣りの浜松地域情報センターホールで、報告集会を開きます。

 ぜひ傍聴においでください。報告集会にもご参加ください。

 ( 雨宮智彦 )

 


原発・放射能ニュース 5月24日(金) 東海村の実験施設で汚染

2013年05月25日 06時37分55秒 | 原発・放射能ニュース

原発・放射能ニュース 5月24日(金) 東海村の実験施設で汚染

 日本原子力開発機構は、同機構の加速器施設で23日正午ごろ、放射性物質が漏洩し、4人が内部被曝した可能性があり、実験室にいた他の51人も被曝の可能性があると、24日夜に原子力規制委員会に通報しました。

 報道に寄れば、金原子に加速した陽子をぶつける実験中に装置の誤作動で金原子が異常な高温になり一部が蒸発、発生した放射性物質が管理区域外に漏洩した、そうです。

 内部被ばくした4人のうち、最大値は2ミリシーベルトです。

 報道では、この施設の正式名称も、所在地も、定かではありません。

 原子力規制委員会は、通報が事件発生から1日以上経った24日夜まで遅れたことは「遺憾」とし、「原因究明や再発防止策」を求めています。

 報道では,原子力開発機構が、どんな通報ルールに違反しているのかも、わかりません。

 もっと研究します。