日本・世界の遺跡・神社・遺物 1 富士山と出雲大社
「遠州の遺跡・神社・地名」は、実際に雨宮が行って、見て書いていくので、行かない、行けないところも書きたくなりました。
なにせ、無職無収入で、則子さんから月3万円のおこづかい(本代・アルコール代を含む、食費・ガソリン費・ネット携帯費は含まない)で生活しているので、時間はあっても、遠くへ宿泊研究ツアーには行けません。そこで、こういう、「行かないところ」も文献に基づいて書く古代史コーナーをつくりました。
まず富士山です。タイトルが「富士山と出雲大社」というとっぴもないタイトルですが、池田潤さん著『古事記のコード(暗号)』戎光祥出版、2011年初版、によれば、「富士山は出雲大社と同じ緯度、35度21分の上にある」あるいは「出雲大社は富士山と同じ緯度、35度21分の上にある」。
これは、みなさん、地図を出して確認すれば自分の目でそうかどうか、すぐ確認できることですから、正否を確認してみてください。
もしそうなら、そこから「なぜか」と問いをするのが科学というものです。
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つまり、真実は「出雲大社は、日本を代表する聖なる山、火の山、富士山の真西に建設された」ということなのか。それとも偶然なのか。
今は深入りはしませんが、最近、毎週発行している『日本の神社』の№8、「富士山本宮 浅間大社」がでました。
そのなかの13ページで紹介されているのは、富士山頂の「奥宮・末社」の「久須志神社」は、オオナムチノミコトとスクナビコナミコト、つまり出雲神話の主神を祭っている、という、ぼくも初めて聞く話です。
そして28ページでは、歴史家の関裕二さんが「『日本書紀』と『古事記』のどちらにも富士山は登場しない」「『日本書紀』はヤマト建国と「東」との関係を無視し、歴史叙述から抹殺している」と書いています。このことは古田武彦さんも主張しています。
そのとおりだと思いますが、それはなぜか、ですね。その一因は、ヤマト政権の公式歴史(記紀)では、ヤマト政権は出雲政権から武力で「国譲り」を強制した、とされていることに、何か歴史の謎があるのではないでしょうか。この謎はまだ、誰も解いていません。
出雲政権が東国との関係が深く、この遠州でも出雲文化の大きな勢力があったことを「「遠州の遺跡・神社・地名」で書いてきました。まだ書きます。