雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 4月18日(金)の2 原水爆被害者の会西遠支部総会に参加

2014年04月18日 20時00分12秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 4月18日(金)の2 原水爆被害者の会西遠支部総会に参加

 則子さんがいつも参加しているのですが、今日は、勤務で参加できないので、ぼくが代理で、「原水爆被害者の会静岡県西遠支部定期総会」に参加しました。

 会場に行ったら、懐かしい磯部夫妻が参加していて、いろいろ話しました、磯部典子さんは、ぼくの「則子さん」と同じ「のりこさん」ですが、則子さんと同じ保母で、ぼくたちが若かった20代の頃、青年の平和サークル「ブーゲンビリア」を何人かでつくって、そこで、ボクが伊藤則子さんと出合うきっかけを創ってくれた、大恩人です。

 彼女がいなければ、今の「雨宮則子」さん自体が存在しないんです。いや、今のぼくも、まったく別の、もっと悲惨な実在になっているでしょうね。

 つまり、「雨宮則子」さんとボクは、磯部夫妻が媒介しなければ、出合えなかったんですね。

 そういう時空性と、必然性と、偶然性と、いろいろ考えます。面白いです。


雨宮日記 4月18日(金) 過去と現在と未来への探索を続ける日々

2014年04月18日 19時51分54秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 4月18日(金) 過去と現在と未来への探索を続ける日々

 過去の古代史と、現在の平和核廃絶運動と、未来の人間社会への探求とは、ぼくの中では別の問題ではありません。3つとも、一体のものです。

 逆に言うと、一人ひとりの探求が部分的・特殊的な探求にとどまっていては、本当の、リアルな未来は開けないように思います。

 むかし、1960年代に、全共闘の青年たち(とうじ、20代だったボクと同世代です)が「専門バカ」を批判したのは正しかったのですが、全共闘の青年たちは、「専門バカ」を批判して、単なる「バカ」になってしまいました。

 そこから、必然的に展開したのが、あの悲惨な「連合赤軍」事件でした。奇しくも、あの「浅間山荘」は、浜松市に本社のある「河合楽器」の別荘でしたね。

 もうこれも過去の記憶です。

 


雨宮日記 4月17日(木) 則子さんのバイクが止まって…

2014年04月18日 10時08分43秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 4月17日(木) 則子さんのバイクが止まって…

 夕方、則子さんから電話が来て、「船越の西友へ買い物に来たら、バイクが動かなくなって、迎えに来て」というので、車で向かいました。

 夕方、電話でバイクショップへ電話して、鍵を届けに行きました。

  ☆

 アゲハチョウやモンシロチョウが飛び始めて、春ですね。だんだん、初夏へ近づいていきます。