雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 8月9日(日) 長崎原爆の日、1日中、明日の浜岡原発パンフ編集会議の準備

2015年08月09日 20時36分05秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月9日(日) 長崎原爆の日、1日中、明日の浜岡原発パンフ編集会議の準備

 最近は朝、目覚めるのが6時頃で早いです。早く寝てるんですけどね。 

 朝7時に起きて、台所に行ったら、則子さんと次女が朝食を食べてました。「おはよう」あいさつして、麦茶を飲んで、自分の部屋へ。朝早く活動するいわれもないので、しばらく、また寝てから起きてパソコンを打ってました。

 午前中は、できるだけ活動せずに、自分の部屋で、のんびりぐうたら寝ているか、のんびりネット検索をするか、しています。

 午後か夜に、できるだけ1つ、会議や行動を入れます。「できるだけ1日に1つ」です。それ以上は、できるだけ避けます。「最大限、1日に2つ」です。

 「24時間働けます」といえば、そのうち壊れるので。

 現に、ぼくは20年前に壊れました。

 則子さんは遅番で仕事に行ったので、則子さんの部屋に行って「中日新聞」と「しんぶん赤旗」を読んでいたら、11時2分に、浜松市にサイレンが鳴りました。


 浜松市原水協事務局長のSさん(則子さんは事務局次長)がハンドマイクと道路使用許可証を取りに来たので、渡しました。今日は、ぼくは、行動はくついので不参加です。

 無理すると、完全脱落しちゃいますから、現場は、他の人におまかせすることもあります。

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 父とのお昼は、則子さんが湯がいてくれたソーメンを2人で食べました。

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 午後は、浜岡原発パンフの原稿書き。

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 夜は「日航123便墜落事故」のネットで文献調査。かなり分かってきました。自衛隊の「謀略工作と隠蔽工作」です。

 時間のあるときに、まとめて書きます。

 出発点は「なぜ、翌朝、明るくなるまで、墜落地点に到達できなかったか」です。そこに、すべての始まりがあります。
 
 つまり、明るくなるまで到達できない状態にしておいて、何かが行われていました。

 川上慶子さんは「暗い中で懐中電灯の光が見えた」と証言しています。つまり、明るく成る前に、地上で到達した誰かがいたのです。

 それは誰なのか?が、真相を解く鍵だと思います。

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 午後8時、則子さんが「納豆、どうして捨てちゃうの!?」と詰問してきました。それは前から冷蔵庫に残っていた古い納豆だと思ったので。

 「家に、いないのに、家のことを支配しないでよ」と内心、思いましたが、もちろん、「ごめんなさい。古い納豆だと思ったので」と、しおらしく謝りました。

 ああ、この対等平等では、ない、支配従属関係。

 でも、それが幸せと感じているボクかも、マゾですかね。