雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

古代ブログ 78 東海の遺跡・古墳・地名・寺社 1 御前崎市佐倉の「桜ヶ池」は諏訪湖につながって <再掲>

2018年07月16日 15時17分19秒 | 遠州古代史


古代ブログ 78 東海の遺跡・古墳・地名・寺社 1 御前崎市佐倉の「桜ヶ池」は諏訪湖につながって <再掲>

 浜岡原発のある御前崎町ですが、昔の浜岡町佐倉に桜ヶ池があります。桜ヶ池についてボクが考え始めた最初のものです。

 以下、再掲。

「東海の遺跡・寺社・地名 1 御前崎市佐倉の「桜ヶ池」は諏訪湖につながって
2012年11月20日 05時51分37秒 | 東海の古代史

 「遠州古代史」のカテゴリーの中に「東海の遺跡・寺社・地名」というのも変ですが、いわゆる「遠州」(静岡県西部)の範囲を超えて、日帰りであるいは1泊で行ける範囲で、「古代探索」を広げてみようということで「東海の遺跡・寺社・地名」を始めます。

 本来の古代の「遠江」jは「駿河」との国境である大井川以西ですから、「桜ヶ池」も「遠州」でいいのですが、現代では「遠州」の範囲はかなり縮まって、磐田や遠州森町くらいまでという実感もあるので、適当に「遠州」と「東海」を使っていきます。

 昔の浜岡町佐倉にある桜ヶ池は、約2万年前の氷河時代に、山から川で運ばれた砂が堆積して池になった「せきとめ湖」だと書いてありました。

 面積は2万平方m。行って見ると、北側と東側・西側は高く森が茂っていて、南側だけが開けていて、池にはカモたちが浮かんでいました。

 桜の名所というのですが、地名は昔の浜岡町佐倉で、あきらかに「さくら」の「さ」は「早乙女」とか「早苗」というように、稲の神さまの「さ」です。

 桜の花の咲くのを、稲の豊作を祈って(予祝ですね)、みんなでお酒や食べ物を神さまにお供えしてから、みんなでお祝いするのが「お花見」です。

 ☆

 この桜ヶ池がおもしろいのは、地下が底なしで、実は長野県の諏訪湖とつながっているという伝承があることです。

 そして竜神信仰との関係で、平安時代末期に比叡山の「あじゃり」上人が、56億年後に降臨するという弥勒菩薩に「教えを請う」と言って桜ヶ池に身を投げて、大蛇になったという伝説があるということです。

 いつの、どんな文書か、まだ不明。調べます。

 遠州と信濃が地下水路でつながっているという伝説は、いろいろあるようなので、遠州側からと信州側から調べて、報告します。おもしろそうです。

 日本列島の他の地域では、こういう「遠州と信州」の「地下水路」のようなものは、あまり聞いていませんが、ぼくの情報不足でしょうか?」

 


新・本と映像の森 156 手塚治虫『戦争の記憶』三栄書房、2015年

2018年07月16日 13時09分28秒 | 雨宮日誌


新・本と映像の森 156 手塚治虫『戦争の記憶』三栄書房、2015年

 <サンエイムック、手塚治虫セレクション>、442ページ、定価本体537円

 たぶんボクがコンビニで買った本というよりムック。短編集です。たぶん、このムック禹自体は、もう売っていないと思う。

 裏表紙の文章をそのまま借りると「二度と戦争を起こしてはならない!次世代に伝えたい「戦争」を描いた名作を一挙掲載!」

 短編のタイトルを、以下に掲げる。みなさんは、どこかでこれらの短編に出会えるものとボクは思う。

 ゴッドファーザーの息子
 紙の砦
 すきっ腹のブルース
 ガチャボイ一代記
 どついたれ(抜萃)
 モンモン山が泣いているよ
 ZEPHYRUS
 大将軍森へ行く(「メタモルフォーゼ」より)
 てんてけマーチ
 やり残しの家(「ブラック・ジャック」より)
 カノン
 1985への出発
 溶けた男(「ザ・クレーター」より)

 「虫マニア
  天文マニアにして
  メシよりマンガ好き」(p115)

 手塚治虫さんの青春の生活の貧困と女性への憧れの物語だと思う。

 戦争がなければ手塚治さんは岡田京子さんと結ばれたかも知れない。
 戦後の食料買い出しと闇摘発がなければ、手塚治さんは編集者の河原和子さんの部屋へ行けたかも知れない。
 太鼓打ちの三兵は片腕を失わなければ、どんな一生を送っただろうか。

 戦争は、ほかにありえないほど大規模に人生を断ち切り、ねじ曲げる。
 
 なぜ戦争はいけないか、みんなでじっくり語り合う夏にしたい。

 どうやって戦争を減らすのか、どうやって戦争をなくすのか、みんなでじっくり語り合う夏にしたい。