雨宮日記 7月20日(金) 汗で左腕がかゆい時
ここんとこ猛暑で汗が出る。以前なら両手が健在で背中でも自由にふけたんだけど、いまは右手が動かないので、ふける範囲は限られる。
自由に動く左手の届く範囲は汗がふけるけど、それ以外は拭けない。
則子さんが帰ってきてから背中や左手を冷たいタオルで拭いてもらうと生き返る。
雨宮日記 7月20日(金) 汗で左腕がかゆい時
ここんとこ猛暑で汗が出る。以前なら両手が健在で背中でも自由にふけたんだけど、いまは右手が動かないので、ふける範囲は限られる。
自由に動く左手の届く範囲は汗がふけるけど、それ以外は拭けない。
則子さんが帰ってきてから背中や左手を冷たいタオルで拭いてもらうと生き返る。
過去現在未来のメモリーノート 23 沖縄① 歌「沖縄をかえせ」
最近はめったに歌わない歌だ。去年、ひさびさにこの歌を聞いた。はるかむかしによく歌った歌で懐かしい。
大学にいたころ、つまり1971年前後だが、沖縄「返還」闘争のころだ。
このうた「沖縄をかえせ」が作られたのは1956年のことです。作詞者は全司法福岡高裁支部の集団作曲、作曲者は荒木栄さん。
固き土を破りて
民族の怒りに燃える島 沖縄よ
我等と我等の祖先が血と汗をもて
守り育てた 沖縄よ
我等は叫ぶ 沖縄よ
我等のものだ 沖縄は
沖縄を返せ 沖縄を返せ
だが今うたうと、ボクは「我等と我等の祖先が血と汗をもて 守り育てた 沖縄よ」や
「我等のものだ 沖縄は」や「沖縄を返せ 沖縄を返せ」にどこか違和感がある。
「我等」とは日本人全体のことであろう。「我等」日本人が沖縄を「血と汗をもて 守り育てた」ことが歴史的事実としてあっただろうか。
逆に沖縄の人の「血と汗を」日本に吸い取ってきたのが、日本近代の歴史的事実ではないだろうか。戦前の「琉球処分」と差別、そして沖縄戦、戦後の沖縄売り渡し……。
「我等のものだ 沖縄は」と沖縄を日本の所有物のように言うのも違和感がある。「沖縄のものは沖縄にかえせ」だと思う。
「沖縄を返せ 沖縄を返せ」というリフレインをボクは「沖縄に返せ 沖縄に返せ」と歌いたい。
そのあとどうするかは沖縄の人が決めるであろう。
ボクは日本人としてそう思うのではない。遠州人・われら銅鐸人の末裔としてそう思う。
☆
大工哲弘さんという歌手が「沖縄へ返せ」と歌っている。共感します。「YouTube」で見ることができます。2015年公開。