古代史ニュース 2013年2月20日(水) 箸墓の地上を立ち入り調査
各新聞やテレビでも報道していますが、「箸墓」に考古学者たち16人が宮内庁の許可を得て地上を歩いたという記事が出ました。
各紙で違いはありますが、『静岡新聞 2月20日(夕刊)』は「“卑弥呼の墓”立ち入り」「箸墓古墳は最古の前方後円墳とされ」「「径百余歩」が、箸墓後円部の直径約150㍍と同規模である」「出土品から築造年代は260年前後とみられる。卑弥呼が死んだ248年ごろにも近い」と書いています。
すべて、「魏志倭人伝」ではなく「疑史倭人伝」だとボクは思います。
① 箸墓の年代は、無理矢理、3世紀にした「卑弥呼の墓」説から、4世紀の後半説までいろいろあって、どれが定説とは言えません。マスコミは「裁定機関」「正義の裁判所」なのでしょうか、あほらしいです。
② たとえ「卑弥呼」と「箸墓」は同時代となっても、卑弥呼は九州にいれば、箸墓は奈良県、無理です。証明できていません。
③ 「箸墓は最古の前方後円墳」と書いてありますが、実は箸墓より、古い古墳が奈良県内にもあることはすべての考古学者が認めています。これだと「箸墓は最古の古墳」のように読めますね。その場合、箸墓より古い古墳群が、いったい誰たちのお墓なのか、説明できません。
④ 「径百余歩」=150mか?実は、古代史学者の古田武彦さん(そのすべての主張が正しいとは思いません。主張の一つひとつについて検証すべきです)は、「短里説」を主張していて、その場合、もっと小さくなります。
⑤ 「九州説」の一人である原田大六さんは、福岡県糸島郡の「平原弥生古墳」こそ、卑弥呼の墓であると主張していることは有名です。もちろん、150mもありません。
⑥ 炭素年代の260年前後説ですが、安本美展さんや季刊雑誌『邪馬台国』が、データに基づいて批判しているのを、みなさん参照して考えてください。つまり、データと解釈は違う場合があるのです。この場合、解釈について、多くの批判が出ているのを、マスコミは無視している場合があります。
⑦ 3世紀は弥生時代なのか?古墳時代なのか?箸墓の年代が3世紀なのか、4世紀なのか論争するのは科学者の自由ですが、時代自体が、1世紀もずり下がるわけはありえません。
もっと精密な論議はあるのですが、紹介する時間がありません。みなさん、自分で調べてみてください。
『朝日新聞 2月19日 夕刊』は、もうすこし冷静で、タイトルが「卑弥呼説 どこまで解明」となっています。
本文では「邪馬台国が今の奈良県周辺にあったという「近畿説」の研究者の間では、箸墓古墳は卑弥呼の墓の最有力候補とされている」と、客観的報道に徹しています。一つの見識ですね。