考察 1 科学的社会主義では「弁証法」と「唯物論」はどちらが先なのか?
「科学的社会主義の基礎理論を学ぶ」という勤労者通信大学のテキストが手元にあります。いま見ているのは1997年度版です。
「第1部 ものの見方、考え方」「第2部 資本主義経済とくらし」「第3部 たたかいと社会進歩」となっています。
つまり、戦後日本の科学的社会主義ではオーソドックスな「1 哲学、2 経済学、3 階級闘争論」という構成です。
その中の第1部は「第1章 生きるとことと世界観、第2章 ものごとは発展する、第3章 社会を科学する」となっています。
つまり哲学を ① 唯物論 ②弁証法 ③史的唯物論 の順序で叙述しているわけです。
これは最近2013年に出版された関西労教協編集、学習の友社発行の『現代を生きる基礎理論』でも、共通しているので、共産党系の科学的社会主義ではずっと共通しています。
なぜ「唯物論」が「弁証法」より前に来るのでしょうか?
つまり、精神は物質から発生したものであり、動物意識はせいぜい数億年前で、ヒトの意識はせいぜい数百万年、本格的な「人間」の意識は数万年前です。
まず「自然」「精神のない物質」の検討をおこない、その後で「物質から精神への移行」を検討すべきではないでしょうか。
いきなり、精神と物質から話を始めるのでは、マルクスの『資本論』の方法論にも反しているのではないでしょうか。つまり、マルクスは『資本論』第1巻で、資本の成立の前提となる「商品ー貨幣」関係をまず研究して、そこからいかにして「資本」が発生するかを検討しています。
いきなり「資本」を論じていません。
同じように(という論理がこの場合成り立つのか?)、まず「物質」「宇宙」の発生と発展を検討して、そこから「精神」がいかにして発生するかをまず検討するのが正常な方法論だと思います。
その発生した精神が、物質から自立して「相対的自立」を遂げます。その過程で、社会の上部構造が(階級社会前に)成立ます。つまり、人間の自我の発生と社会の上部構造の発生は同時であり、裏表だと思います。証明はこれから。
国家や軍隊や警察は、その人間社会の上部構造を歪め変質させて成立したものであり、ノーマルな上部構造との同一性と異質性を持っています。精神・人間的意識との深い連関も。
反映・作用という点で、上部構造は物質的経済的土台から作用されながら、土台に反作用します。相互作用ですね。その相互作用と、上部構造・医師kの土台への作用がますます意識的に強くなっていくのが人類史の今後の法則的未来です。
つまり市民による経済の意識的コントロールです。そんなコントロールはいらない、利潤第1主義にまかせよというのが現代のグローバル資本主義です。
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「現代を生きる基礎理論」は何か、ひとり一人が自分で吟味すべき時代に入ったようです。
ぼくはぼくの思考を発展させていきます。自分の責任で、自分の脳髄で。
他人の頭を使って考えることはできませんが、他人の頭に頼りたいヒトは多いようです
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精神と物質の関係は、第1部の哲学で終わりで、第2部経済学、、第3部階級闘争論に、第1部の論議がまったく反映されなく、断絶しているというのが、現代の「科学的社会主義の通説」の根本的欠陥だと思います。
もちろん、最初に出された矛盾は、最後まで貫徹しています。最後まで貫徹していなければ、それはそもそも矛盾では、なかったということになります。