雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

ブログ初期に書いた「資本論の学習」より

2014年05月31日 18時28分47秒 | 人間・生命・宇宙

ブログ初期に書いた「資本論の学習」より 

資本論の学習2 商品の「使用価値」とは何か

2010年02月10日 04時14分49秒 | 人間・心・社会・科学

 

資本論の学習2 商品の「使用価値」とは何か

 「第1編第1章第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値」の続きです。
 テーマは「商品の使用価値」とは何か、です。
 よくある誤解は「使用価値」とは、その語感から言っても、「使用することの価値」なのだから、その商品を使用するときの「効用」あるいは「満足感」とか、主観的なものではないかという誤解です。

 マルクスさんは、こう書いています。

 「ある物の有用性は、その物を使用価値にする。しかし、この有用性は空中に浮かんでいるのではない。この有用性は、商品体の諸属性によって制約されており、商品体なしには実存しない。それゆえ、鉄、小麦、ダイヤモンドなどのような商品体そのものが、使用価値ままたは財である。」(新日本新書版①p60ー61)

 つまり、ある商品の「使用価値」とは、固いその商品体そのもののことです。
 だからこそ、ある商品の使用価値は「見える」のです。

 

資本論の学習3 商品の属性と要因、要素としての商品 2010年02月18日 22時01分16秒 | 人間・心・社会・科学

資本論の学習3 商品の属性と要因、要素としての商品

 「第1章第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値」の第3回目です。

 まず哲学の学習で書いたことを繰り返しますが、本文は第1行目で「商品は、なによりもまず、その諸属性によってなんらかの種類の人間的欲求を満たす1つの物、1つの外的対象、である」としています。
 また「このような物はどれも、多くの属性からなる1つの全体であり、それゆえ、さまざまな面から有用でありうる。」
 
 この「属性」について、山本広太郎さんは『差異とマルクス ー疎外・物象化・物神性ー』(青木書店、1985年)で、以下のように述べています。

 「属性 Eigenschaft とは物 Ding の属性であり、物のうちで自立性を喪失し、観念化され、したがって「互いに分離して」いないものだからである。分離しておれば、属性ではなく、要因 Faktor (因数分解の因数はこれ)である。」(p173)

 商品の属性とは、たとえばコップが① ガラスでできている、② 透明である、とか、③ 上から見ると円形である、④ 横から見れば長方形である、⑤ 液体を入れておくことができる、などのことです。
 
 それに対して商品の要因の1つである「使用価値」とは「鉄、小麦、ダイヤモンドのような商品体そのものが、使用価値または財である」と述べているように「商品体」そのものを指しています。

 そして、商品が、価値と使用価値という2つの要因に分解できるからこそ、その独立した要因同士のからみあう運動によって、新たな「貨幣」という現象が生まれてくるのだと思います。
 『資本論』では、そのような、見た目には1つのプロセスが、それぞれの要因で、二重の意味をもって二重な結果をもたらすという「二重性」が大事だと思います。

 第1行目に戻りますが「資本主義的生産様式が支配する諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現われ、個々の商品はその富の要素形態として現われる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。」とあります。

 ですから、「個々の商品」「諸社会の富」「の要素形態(独 Elementarform)」であり、要素である「個々の商品」が、また、2つの要因(独 Faktren)に分かれるということです。

 この「要素」と「要因」はマルクスは使い分けていますが、同じものなのか、違うものなのか、私にはまだわかりません。学習していきたいと思います。」

 以下、「資本論の学習7」まで書いたようです。4年も経つと書いた本人も忘れていました。

続きも書きたいと思っています。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。