雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

哲学の学習16 相補物・対象性と対話・対位法について

2010年06月17日 05時20分36秒 | 人間・生命・宇宙
哲学の学習16 相補物・対象性と対話・対位法について

 久しぶりに「哲学の学習」というタイトルで書きます。前に、今年1月28日付けで「哲学の学習7 対立物の統一と相補物の統一」を書きました。

 そこではこう書きました。

 「同化と異化が「対立物の統一」「矛盾」であるというのは。どうなのでしょうか。生命における物質代謝の両側面である、同化と異化は、なんら対立しているわけではなくて、お互いに相互に支えあっているのではないでしょうか。環境の安定なしには、恐竜類や裸子植物の大繁栄もなかったのではないでしょうか。」

 つまり、同化と異化にしろ、プラスとマイナス、左と右、原子核と電子、男と女、漫才のぼけとつっこみ、すべて、相補性と対称性によって安定し、成り立っています。

 つまり、対立する2つの側面によって、まったく別の物に変化して行くという、「科学的社会主義」の陣営の「弁証法」についての理論は、検討する余地があるのではないでしょうか。
 最低限、事実と道理によって証明されていないことは書かないのが、科学的態度であると考えます。

 同じことを、音楽の場合に考えました。
 たとえば、ピアノの右手と左手の調和と非調和。
 あるいは、ヴァイオリンソナタでの、ヴァイオリニストとピアニスト。
 あるいは、ピアノ協奏曲での、ピアノとオーケストラ。

 音楽では「対位法」というテクニックがあって、「複数の旋律を、それぞれの独立性を保ちつつ互いによく調和させて重ね合わせる技法」です。
 
 このことを追求していくと、いろいろおもしろそうですが、今日は深入りせずに、ここまでにします。

 ショパンの「テンポ・ルパート」という指示は、ピアニストの仲道郁代さんの解釈では、左手は、正確に指揮をして、右手は自由に揺らいで、ぶれて、という左手と右手の「自由な対話」を意味しているようです。

 ただし、それも左手の正確なタッチがあってのことで、「のだめカンタービレ」で、のだめの自由奔放な演奏を、千秋の正確なタッチが指揮しているのや、「ピアノの森」の大分コンクールで、一ノ瀬海の自由な演奏を、指揮者のセローが正確に指揮してコントロールしているからでしょうか。

 ぼく・雨宮とN子さんの夫婦漫才コンビの関係でいうと、どっちが自由奔放に「テンポ・ルパート」して、どっちが正確にコントロールしているかは…(これは、いま気がついた書けど、世界を揺るがす大問題なので、しばらく熟考してから「雨宮日記」か「哲学の学習」かに、書きます)。

 夫婦の問題が「哲学の問題」なんて、今まで誰も考えたことがないんでしょうか?もし指摘している方がいたら、教えてください。
 ぼくは、夫婦の問題は、哲学や科学の大問題だと思います。


 
 
 

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