本と映像の森 179 NHKラジオ深夜便で野口雨情さんのこと
12月19日(月)早朝の午前4時からのNHkラジオ「深夜便」で、詩人の野口雨情さんのお孫さんの野口ふじこさん(漢字は不明)のお話を聞きました。
有名な「しゃぼん玉」の歌詞は、実は野口雨情さんの娘さんが幼いときに亡くなって、そのことから人間の命のはかなさ、尊さを歌った歌詞なのだそうです。
ネットで検索すると諸説いろいろ別れているようです。
そう言われれば、そうかな、とも思います。素敵な解釈ではないかと。
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた
シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた
風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ
(著作権は1995年に失効していますので、コピー自由です)
すごい衝撃的だったのは、野口ふじこさんは、茨城県の海岸にある野口雨情さんの生家を守っていたのですが、あの3月11日の日、朝から出かける用事があったのに、なぜか、家を空けてはいけないという衝動にかられて、その予定を断ってしまったそうです。
その生家は1階に野口雨情さんの残した文献や資料をおいてあって、2階はふじこさんが住んでいたようです。
その運命の日、午後2時46分大地震で、慌ててFMラジオを付けたふじこさんの耳に、「津浪が来ます」というアナウンサーの声が。
ふじこさんは、1階にある雨情さんの資料を必死でぎりぎりまで2階に運んで放り投げ、を繰り返し、最後に最重要な雨情さんの手紙をリュックに背負って、必死で裏山に逃げました。
ふじこさんは無事で、生家はさいわい、一階だけが高さ1.5mの津浪でやられましたが、2階に運んだ資料は「全体の80数%」無事だったそうです。
なんなんでしょうね。ぼくは、そういうことって、あるのかもしれないと思いますが、そんなことは「科学的」ではないと、青筋立てて批判する人もいるでしょうね。
ぼくは「わからない」ことは「わからない」というのが科学的な態度だと思いますが。
今日の番組を聴いて思ったのは、野口雨情さんは「日本のゴーリキー」かもしれない、ということ。「船頭小唄」は「おれは河原の枯れススキ」という詩ですが、まさにゴーリキーの「どんぞこ」の世界ですよね。
もっと野口雨情さんのことを探索したいです。
蛇足ですが、野口雨情さんは、浜松にも来ていて「曳馬の萩」という題で「スイッチョ」のことを書いています。
12月19日(月)早朝の午前4時からのNHkラジオ「深夜便」で、詩人の野口雨情さんのお孫さんの野口ふじこさん(漢字は不明)のお話を聞きました。
有名な「しゃぼん玉」の歌詞は、実は野口雨情さんの娘さんが幼いときに亡くなって、そのことから人間の命のはかなさ、尊さを歌った歌詞なのだそうです。
ネットで検索すると諸説いろいろ別れているようです。
そう言われれば、そうかな、とも思います。素敵な解釈ではないかと。
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた
シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた
風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ
(著作権は1995年に失効していますので、コピー自由です)
すごい衝撃的だったのは、野口ふじこさんは、茨城県の海岸にある野口雨情さんの生家を守っていたのですが、あの3月11日の日、朝から出かける用事があったのに、なぜか、家を空けてはいけないという衝動にかられて、その予定を断ってしまったそうです。
その生家は1階に野口雨情さんの残した文献や資料をおいてあって、2階はふじこさんが住んでいたようです。
その運命の日、午後2時46分大地震で、慌ててFMラジオを付けたふじこさんの耳に、「津浪が来ます」というアナウンサーの声が。
ふじこさんは、1階にある雨情さんの資料を必死でぎりぎりまで2階に運んで放り投げ、を繰り返し、最後に最重要な雨情さんの手紙をリュックに背負って、必死で裏山に逃げました。
ふじこさんは無事で、生家はさいわい、一階だけが高さ1.5mの津浪でやられましたが、2階に運んだ資料は「全体の80数%」無事だったそうです。
なんなんでしょうね。ぼくは、そういうことって、あるのかもしれないと思いますが、そんなことは「科学的」ではないと、青筋立てて批判する人もいるでしょうね。
ぼくは「わからない」ことは「わからない」というのが科学的な態度だと思いますが。
今日の番組を聴いて思ったのは、野口雨情さんは「日本のゴーリキー」かもしれない、ということ。「船頭小唄」は「おれは河原の枯れススキ」という詩ですが、まさにゴーリキーの「どんぞこ」の世界ですよね。
もっと野口雨情さんのことを探索したいです。
蛇足ですが、野口雨情さんは、浜松にも来ていて「曳馬の萩」という題で「スイッチョ」のことを書いています。