思考ノート 13 階級闘争の弁証法とは何か 20220330
「階級闘争の弁証法とは何か」とタイトルに書いたが、正確に言うと「階級闘争の弁証法という言い方は正しいか」ということです。
つまり、解答を探すのではなく、その問題の出し方が正しいかどうかを吟味せよということです。
① 「階級闘争の弁証法」は共産党の文献で1970年代の昔から使われてきました。それを詳しくあとづけるのには、今は時間がありません。
② 弁証法は哲学のなかできわめて重要であるが、矛盾をもつ発展的運動について適用できる狭い範囲の法則であって摘要範囲には気をつけなければ大きな間違いになると思います。
③ 森羅万象に適用される哲学にたいして「政治」、さらに狭く「階級闘争」にどのように哲学や弁証法が適用できるか研究してみなければわからない。研究を書かずに結果だけ書くのは結論だけ書いてある科学論文のようなものだ。これについて研究している人はその研究の過程と結果を詳細に書いて欲しいと願う。
①②③については、それぞれ長々書くことになるので、今は無理です。
②については参考文献として地質学者井尻正二さんの本を推薦しておきます。
浜松市図書館で『井尻正二選集(全10巻)』『ヘーゲル「大論理学」に学ぶ』『弁証法をどう学ぶか』『弁証法の始元の分析』など多数を借りることができます。
☆
いまのところ、ボクの中間結論として、階級闘争の弁証法があることは確かだが、その摘要範囲と使い方が誤っていて、トンチンカンと思う。
その問題の出し方が正しいかどうか、ではその問題の出し方は正しくないのではないかと思う。
なぜかというと階級闘争は弁証法だけではないとボクは思うからです。
「階級闘争の弁証法とは何か」とタイトルに書いたが、正確に言うと「階級闘争の弁証法という言い方は正しいか」ということです。
つまり、解答を探すのではなく、その問題の出し方が正しいかどうかを吟味せよということです。
① 「階級闘争の弁証法」は共産党の文献で1970年代の昔から使われてきました。それを詳しくあとづけるのには、今は時間がありません。
② 弁証法は哲学のなかできわめて重要であるが、矛盾をもつ発展的運動について適用できる狭い範囲の法則であって摘要範囲には気をつけなければ大きな間違いになると思います。
③ 森羅万象に適用される哲学にたいして「政治」、さらに狭く「階級闘争」にどのように哲学や弁証法が適用できるか研究してみなければわからない。研究を書かずに結果だけ書くのは結論だけ書いてある科学論文のようなものだ。これについて研究している人はその研究の過程と結果を詳細に書いて欲しいと願う。
①②③については、それぞれ長々書くことになるので、今は無理です。
②については参考文献として地質学者井尻正二さんの本を推薦しておきます。
浜松市図書館で『井尻正二選集(全10巻)』『ヘーゲル「大論理学」に学ぶ』『弁証法をどう学ぶか』『弁証法の始元の分析』など多数を借りることができます。
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いまのところ、ボクの中間結論として、階級闘争の弁証法があることは確かだが、その摘要範囲と使い方が誤っていて、トンチンカンと思う。
その問題の出し方が正しいかどうか、ではその問題の出し方は正しくないのではないかと思う。
なぜかというと階級闘争は弁証法だけではないとボクは思うからです。
『辯證法を学ぶ人のために』 甘粕(見田)石介著 解放社版 1948年
* 引用⇒ P71~72
「…従って哲学は、諸科学の普遍的法則の科学であり、その指導原理であるが、同時に人間の実践の、日常的、個人的実践をも、また政治・社会的実践の普遍的な方法であり、最高の指導原理でなければならぬ。言い換えると、単にものの見方を教えるだけでなく、ものの変え方を教えるもの、我々の生き方を教えるものでなければならぬ。人間は誰しも人生観というか、生活上の指導原理を無意識に或は意識的にもって生きている。これを非科学的なものから、科学的なものに変え無意識的なものから、意識的なものに変えるのが、哲学の仕事だとも言える。
かような意味において、マルクス主義の哲学は、、現実の生活からけっしてかけ離れたものでないと同時に、一般人の生活に決して縁遠いものでなく、哲学は誰でいつでももっていなければならぬものなのである。哲学は実際的であり、実践的である。正しい哲学は決して人間を現実から離れさせるものでないのである。」