雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 4月14日(月) 浜岡原発裁判第11回口頭弁論に参加

2014年04月15日 22時53分46秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 4月14日(月) 浜岡原発裁判第11回口頭弁論に参加

 「浜岡原発裁判第11回口頭弁論に参加」と言うより、事務局次長として、落合事務局長を補佐して、すべての準備に参加して、気を配り、当日の配布ちらしをつくり、記者さんにファックス・記者室への案内ちらしを届け・・でした。

 自分が原告として2011年秋に裁判に参加してから3年になりますが、原告と弁護士と支援者がすごく「熱く」なった瞬間だったと思いました。

 もしかしたら、最終盤で、勝利か敗北かの明暗を分けるような。

 今日は、法廷に参加せず、「30分ぐらいで終わるだろう」と予測して、11時から終わる時間を、地域情報センターで待機している4人だけで待っていたのですが、なかなか終わりません。

 12時近くなって、やっと終わりました。

 弁護士が、裁判長の中電のゆるゆる態度を容認する訴訟指揮について、かなりやりあったそうです。すごい!弁護団、すごい!

 今日は、原告団も弁護団も、お互い、その意志・決意をあらためて問われたような歴史的瞬間だったと思います。

 ぼくも、がんばるぞ!初心に返りましょう!

 

 


雨宮日記 4月12日(土) 則子さんは自治会へ、ぼくは学習会へ

2014年04月13日 00時30分08秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 4月12日(土) 則子さんは自治会へ、ぼくは学習会へ

 則子さんは、十軒町の自治会総会へ、ぼくは資本論の習会へ出ました。『資本論 第2部』も、いよいよ、第3編の資本の再生産過程へさしかかりました。

 「資本は回転する」が「剰余価値は1回1回発生するので、回転しない」という指摘が新鮮でした。

 そして第17章に引用されたウイリアム・トムスンの言葉「この現行の分配【資本家のもうけのこと】の維持に比べれば、全人類の窮乏または幸福がつねに繰り返されることなどは、顧慮するにも値しないものと考えられてきた。暴力、欺瞞、偶然の結果を永久化すること、これを人々は安定と名付けてきた。そしてこの偽の安定を維持するために、人類のすべての生産的諸力が容赦なく犠牲にされてきたのである。」(第2巻、原書p326)。

 


雨宮日記 4月8日(火) 浜岡原発裁判の追加原告が200名を越える

2014年04月08日 20時20分04秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 4月8日(火) 浜岡原発裁判の追加原告が200名を越える

 雨宮は、「浜岡原発永久停止裁判原告団・静岡県の会」の事務局次長なのですが、事務局長のオーさんと、第7次原告のHさんの3人で、来週の裁判直前にする第7次提訴の事務的準備をしました。

 締め切りギリギリにいっぱい原告申し込みがきちゃったので、急遽、3人で書類の分類とセットをしました。印刷とコピー。

 そしてできたものを、オーさんがメール便で静岡の弁護士事務所へ送りました。裁判所へ14日提出する物は当日までにオーさんが整理して200通以上、ホッチキスでとめる。

 第7次原告への案内ハガキの最後、30通近くは、ボクがあて名書きして、午後7時すぎ、浜松中央郵便局へ持って行って、ポストに落としました。

 第7次原告がちょうど200人なら、355人に200人追加して、総原告人数「555」になるんですが、たぶん210数人になりそう…。

 


日本・世界の遺跡・神社・遺物  1  富士山と出雲大社

2014年04月08日 19時44分45秒 | 日本と世界の古代史・遺跡・遺物

日本・世界の遺跡・神社・遺物  1  富士山と出雲大社

 「遠州の遺跡・神社・地名」は、実際に雨宮が行って、見て書いていくので、行かない、行けないところも書きたくなりました。

 なにせ、無職無収入で、則子さんから月3万円のおこづかい(本代・アルコール代を含む、食費・ガソリン費・ネット携帯費は含まない)で生活しているので、時間はあっても、遠くへ宿泊研究ツアーには行けません。そこで、こういう、「行かないところ」も文献に基づいて書く古代史コーナーをつくりました。

 まず富士山です。タイトルが「富士山と出雲大社」というとっぴもないタイトルですが、池田潤さん著『古事記のコード(暗号)』戎光祥出版、2011年初版、によれば、「富士山は出雲大社と同じ緯度、35度21分の上にある」あるいは「出雲大社は富士山と同じ緯度、35度21分の上にある」。

 これは、みなさん、地図を出して確認すれば自分の目でそうかどうか、すぐ確認できることですから、正否を確認してみてください。

 もしそうなら、そこから「なぜか」と問いをするのが科学というものです。

  ☆

 つまり、真実は「出雲大社は、日本を代表する聖なる山、火の山、富士山の真西に建設された」ということなのか。それとも偶然なのか。

 今は深入りはしませんが、最近、毎週発行している『日本の神社』の№8、「富士山本宮 浅間大社」がでました。

 そのなかの13ページで紹介されているのは、富士山頂の「奥宮・末社」の「久須志神社」は、オオナムチノミコトとスクナビコナミコト、つまり出雲神話の主神を祭っている、という、ぼくも初めて聞く話です。

 そして28ページでは、歴史家の関裕二さんが「『日本書紀』と『古事記』のどちらにも富士山は登場しない」「『日本書紀』はヤマト建国と「東」との関係を無視し、歴史叙述から抹殺している」と書いています。このことは古田武彦さんも主張しています。

 そのとおりだと思いますが、それはなぜか、ですね。その一因は、ヤマト政権の公式歴史(記紀)では、ヤマト政権は出雲政権から武力で「国譲り」を強制した、とされていることに、何か歴史の謎があるのではないでしょうか。この謎はまだ、誰も解いていません。

 出雲政権が東国との関係が深く、この遠州でも出雲文化の大きな勢力があったことを「「遠州の遺跡・神社・地名」で書いてきました。まだ書きます。

 

 


雨宮日記 4月7日(月)の2 ウクライナでロシアの新たな行動です

2014年04月07日 20時10分17秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 4月7日(月)の2 ウクライナでロシアの新たな行動です

 いまアクセスしたら、サイトニュースで、ウクライナ東部の2都市で住民が庁舎を占拠、ドネツクでは「共和国」宣言した、とありました。

 ニュースは、これがロシアの作戦かどうか、まったく語っていないのが、大きな欺瞞です。ウソ800、マスコミは針1000本飲みなさい。これが住民の自主的な動きであるというなら、まずその街、その自治体、その地域の全住民によびかけて、どうするか討議するべきです。

 実力で庁舎を占拠して「共和国」宣言をするのは、「お前たち少数派の意見は認めない。おれたち多数派で勝手に決める」といっていることです。

 これは、ロシアの、プーチンの計画した作戦そのものと推理します。つまり「弱者を助けると宣言して、一部の弱者しか助けない」という、典型的な「強者の論理」です。

 ナチスがチェコスロバキアを強奪したあの時代に逆戻りしているように思います。

 「こんなことは絶対に認められない」というような言い方もしませんし、それを「認める・認めない」権利も、ウクライナともロシアとも直接的関係にない、ぼく個人にはないのですが、いまスターリン社会について、少し図書館で借りて読み始めたぼくの到達点でいうと、文字通り「スターリン社会」あるいは、それ以前の「ロシア帝国」の過去へ逆行してしまった、ように思います。

 つまり19世紀的、20世紀的時代へ、です。このことから、どう事態が拡がっていくのか、まだ、あまりにも恐くて、考えが及びません。及んだら、書きたいと思います。

 まあ、これもアメリカのイラク戦争や、アフガン戦争や、EUのユーゴ空爆やリビア空爆など、19世紀的事態があっての因果性だと思いますが。

 アメリカやEUは、自分のしてきたことを忘却して、ロシアだけを非難することはできないのではないかと思います。

 逆にいうと、ロシアは「お前だって、してきたことじゃないか。あのとき、オレは非難しなかったぞ。今になって、なんで、オレの時だけを非難するんだ」と言えます。

 唯一違うのは、ロシアとクリミア・ウクライナは領土を接していて、「併合」または「合併」できるということですか。

  ☆

 なにか「似たような光景」を見たような気がして、イメージしてみたら、なんと宮崎駿さんのコミック『風の谷のナウシカ』になりました。読んだ人しかわからない話ですが。

 地球を、たぶん化学汚染した「終末戦争」後の社会。人間が住めない「腐海」が人類を追い詰める時代。

  トルメキア帝国対、土塁(どるく)帝国の果てしない戦乱。その中間に立たされ、翻弄される、王女ナウシカの「風の谷」などの「辺境諸国」。

 つまり終末的世界です。この世界は、どこへ行くのだろう。巨神兵が、人類は「生き延びれるか」という裁きにかけるのです。なにしろ「巨神兵」は「神」ですから。

 この、リアルな地球世界に「ちいさきもの」は、いるのでしょうか。

 あ、いますね。

 わが家の「ちいさきもの」、白いバイクに乗って飛び回る則子さん。

 こういう「ちいさきもの」が世界に何人いれば、世界は滅びずに、「起承転結」せずに、「起承転開」(地質学者・井尻正二さんの概念による)して、未来へ生き延びていけるのでしょうか?

 10人?100人?1000人?10000人?100000人?1000000人?

 地球人口は約60億人なので、「最小限」、100万人は欲しいかな?日本の人口(1億3千万人だったかな?)に換算すると、2万1700人です。

 日本人で2万人の自覚的に自分で考えて行動する個人・人々、全世界で100万人の自覚的に自分で考えて行動する個人・人々、というのは、幻想でしょうか? 

 そうは思いません。そのことを、2011年3月11日以来の、ひとびとの行動、ぼくたちの行動が立証しているように思います。

 それを自覚して、追求する人々が多くなって、そういう個人(マルクスのいう、自覚した個人の連合=「アソシエーション」)が拡がっていくなら。

  ☆

 今日は、地球の未来を思いながら、酔い潰れることにします。

 「未来は輝いている」などとい決定論は絶対間違っている、「未来は、まだ決まっていない。人間の努力で、可能性は現実性に、現実に転化していくのだ」という到達点に至った雨宮智彦でした。

 雨宮智彦は、「ちいさきもの」、「行動する人」、雨宮則子さんの参謀(たとえば黒田勘兵衛)であり、秘書であり、則子さんの「人生の旅」の同行者です。

 いままでも、これからも。

 


雨宮日記 4月7日(月) 父と毎月の定期的診療所通い

2014年04月07日 18時17分55秒 | 雨宮日誌

 雨宮日記 4月7日(月) 診療所へ父のつきそい

 午前10時15分、父を乗せて車で佐藤町診療所へ。診療所へつき、待合室へ。まず待合室で血圧を測ってもらう。136-70で平常どおり。体温も測ってもらう。35度9分。そのあとしばらく待ってから処置室で1年に1回(かな?)の採血。約7CC(3本)。そのあとまた待つ。11時 30分ごろ診察。いつもの水谷医師。通常通りで、くすりも通常通り。

 午後、則子さんは長女のところへ。赤ちゃんの予防注射へいっしょに行くそうです。ぼくは、午後、コピー1枚5円のコンビニへ週末の学習会資料をコピーしに行く。10人参加で12ページありますから、かなりコピーしたものは、かなりぶあつい。

 これから浜岡原発裁判の原告追加分の原告へのハガキ印刷とあてな書き30数枚をやらないといけない。いずれにしろ、合計で原告は500人を超えました。14日(月)午前が裁判です。

 午前10時、裁判所南の浜松地域情報センターに集合です。傍聴もできます(抽選ですが)。

 写真は今日のみそ汁の身のアサリ。


雨宮日記 4月5日(土) 県学習協の理事会・哲学学習会でした

2014年04月07日 18時08分59秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 4月5日(土) 県学習協の理事会・哲学学習会でした

 午後、静岡市で静岡県学習協の理事会と哲学学習会に参加しました。理事会は1時間で終え、あとは哲学学習会でした。

 唯物論・弁証法・史的唯物論を3人で各30分づつレジュメを作って話すという最近では、初めての試みでしたが、3人ともなかなか良かったです。浜松でもやりたくなりました。

 「二重性論」が全分野を刺し通す「キー概念」ではないか、と思います。


遠州の歴史 浜松城の新しい天守門完成と桜

2014年04月04日 08時20分59秒 | 浜松静岡郷土史

遠州の歴史 浜松城の新しい天守門完成と桜

 浜松市が発掘に基づいて新たに復元していた天守門が完成しました。一般公開(有料)も始まります。これが堀尾時代なのか、徳川時代なのか、説明ではまだよくわかりません。調べてわかったら書きます。

 後ろの「天守閣」と称する時代考証のない建物が目障りですね。

 


雨宮日記 4月2日(水) 消費税上がって街は静か・・春が来たのに

2014年04月03日 03時50分30秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 4月2日(水) 消費税上がって街は静か・・春が来たのに

 3月末はやたら「買い出し」の車で、街は渋滞していたのに、4月1日になった瞬間から、街は静寂になっています。

 春が来て、市街地にツバメが南から帰って来て、アゲハチョウが飛び(3/31日確認)、菜の花が咲いているのに、なんだか春ではない、春です。

 チリでM8.2の巨大地震がありました。明日、3日には日本にも数十センチの津波が到達するかもしれません。

 


雨宮日記 3月31日(月) 3月の最後の日、「5%」の最後の日

2014年04月01日 19時34分33秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 3月31日(月) 3月の最後の日、「5%」の最後の日

 2014年3月の最後の数日間、車がやたらと多いです。あっちこっちで渋滞です。たぶん「買い出めの車」なのでしょう。

 ストアに行くと、みんなすごい大量の買い物。ぼくは夕食の、すこしだけ。買いだめしても、「節約効果」は、年月を長くすれば、たぶんほとんどなくなると思うけど。

 夜は、静岡市へ。今日は休みの則子さんが、頼んだわけではないのに、夕食用のおにぎりを2個、くれました。すごく嬉しいです。


雨宮日記 3月30日(日)夜 パトカーに止められて…

2014年04月01日 19時30分57秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 3月30日(日)夜 パトカーに止められて… 

 夜、助信駅の東側を助信駅へ車で走っていたら、急に後ろでパトカーの赤いライトがパカパカして止められて、「ブレーキランプついていませんよ」「お仕事ですか」「どちらへ行かれるんですか」「免許証見せてください」とネチネチ質問されました。

 違反にはされませんが、不快です。「直してくださいね」の一言でいいと思いますが。