雨宮日記 2019年9月20日(金) バッタがいたよ
月曜日に友だちが来たとき、家の玄関にいたオンブバッタが生きて見つかって、則子さんが家の外に出した。
無事でよかったね。
夜、ネットで日本共産党の『資本論』講演会を見た。なかなかおもしろかった。個々の論点の正しさはあとで確認しないと今は何とも言えません。
あとで活字を見て書けたら書きます。
雨宮日記 2019年9月20日(金) バッタがいたよ
月曜日に友だちが来たとき、家の玄関にいたオンブバッタが生きて見つかって、則子さんが家の外に出した。
無事でよかったね。
夜、ネットで日本共産党の『資本論』講演会を見た。なかなかおもしろかった。個々の論点の正しさはあとで確認しないと今は何とも言えません。
あとで活字を見て書けたら書きます。
雨宮日記 2019年9月19日(木) ウスバキトンボ
則子さんが昨日夕方、仕事から帰ってくると、玄関に1羽のウスバキトンボが空中でホバリングしていて、すぐ飛び立っていった。
則子さんは感動して俳句をつくったようだ。
ボクの「雨宮智彦のブログ」は2009年から10年でもうじき200万ヒットになる。いま199万5千ヒットを越えた。よく続いたね。記念に何をしようかな。
戦争と平和 31 ステルス戦闘機はレーダーで「見えない」のではなく「見えにくい」 20190918
これまで「戦争と平和 29 ステルス戦闘機F-35はレーダーで見えない? 20190526」と「戦争と平和 30 ステルス戦闘機F-35の値段は?」を書きました。
今日は、「ステルス戦闘機」シリーズ3です。
雑誌『軍事研究 2019年10月号』に軍事情報研究会「史上初の第五世代ステルス戦闘機「Fー22ラプター」」という論文が掲載されています。
そのなかに「ステルス」の意味が解説されていますので、紹介します。
それによれば、「ステルス能力」とはその飛行機の「RCS(レーダー反射断面積)」のことで、各国の戦闘機のRCSは次のようです。(同書、p130~131)
最短探知距離の計算方法は不明。
国名 機種名 RCS 最短探知距離
中国 Jー16 5~10m2 355km
ロシア Su-35 1.0m2 241km
ロシア Su-57 0.5m2 185km
中国 J-20 0.1m2 112km
アメリカ F-35A 0.0013m2 60km
アメリカ YF-22A 0.00013m2 40kn
全方位にたいするステルス能力をそなえているのはFー22ラプターだけのようです。これが第5世代戦闘機です。
F-35Aやスーパーホーネットは第4.5世代戦闘機です。
その機種のRCSがどうであれ、それを探知するレーダーが機上のものか、高性能の地上レーダーかで、変わるでしょう。「矛と盾」のようなものです。
つまりこの論文には書いてないけど、
① その機種のRCS(レーダー反射断面積)、
② レーダーの能力
③ レーダーと機体の距離
その3点で探知力は変わるってことでしょうか。
レーダーとステルス機能の細かい解説もあるけど、省略します。
以下、「戦争と平和 29 ステルス戦闘機F-35はレーダーで見えない? 20190526」をコピー。
「戦争と平和 29 ステルス戦闘機F-35はレーダーで見えない? 20190526
三沢基地の航空自衛隊ステルス戦闘機F-35が海に墜落したのは4月9日。いまだに機体の一部が見つかっただけでパイロットの遺体と機体の大部分は見つかっていない。
墜落の時、新聞に奇妙な記事が出た。ボクは奇妙だと思うので以下に紹介する。
『中日新聞 4月10日(水曜日)』(29)面「F35Aが同基地の東方約百三十五㌔付近の太平洋上を飛行中、レーダーから機影が消えた。」
『赤旗 4月11日』(1)面「レーダーから消え連絡が取れなくなりました。」
つまり、味方のレーダーで味方の「ステルス機」は見えるのです。それでは簡単に敵にミサイル攻撃されてしまうでしょうと思うのですが。
新聞が同じ表現なので実際に三沢基地のレーダーで「機影が消えた」のではなく、実際には見えていなかったが「そう発表しろ」という上からのお達しで防衛省発表がそうなったという可能性はある。
雑紙『軍事研究』にチベットに新規配備された中国空軍のステルス機がインド軍のレーダーに捕捉されたという話も載っていた。
それはフェイクもあり、擬装もあり、タヌキとキツネの化かし合いのような話だ。ほんとうのところは判らない。
「矛 ほこ」と「盾 たて」のような真実が定かでない話です。
いちばん威力が増して欲しいのは「味方の攻撃力」と「味方の防御力」で、いちばん威力が減って欲しいのが「敵の攻撃力」と「敵の防御力」。
ところで浜松基地の航空自衛隊エイワックスのレーダーでF35ステルス機は見えるのでしょうか?
エイワックスのレーダーで中国空軍のステルス機は見えるのでしょうか?」
雨宮日記 2019年9月18日(水) 朝、涼しい
今日は、朝から涼しい。天気予報は雨。
きのう則子さんが本屋さんへ行って注文した本を買ってきてくれた。ありがとう。生物学史の本とオウム真理教や戦争体制の本など。
涼しくなると、なぜか右足がつる。気をつけないと。すぐに治るけど。
新・本と映像の森 300 中村稔『定本・宮沢賢治 増補版』芳賀書店、1966年
A5版、301ページ、定価650円。
宮沢賢治さんはボクの大好きな詩人です。でも宮沢賢治さんを聖人あつかいしてほしくありません。
中村稔さんのこの本は宮沢賢治さんをふつーの文学者、ふつーの科学者として扱ってくれていてボクを安心させる。
そして宮沢賢治さんをリアルにとらえようとしている。たとえば
「つまり1918年盛岡高等農林を卒業してから1933年の死までの約15年間の中、宮沢賢治の伝説化された農村活動はわずか3年にも達していないということができる。」(「Ⅰ 序説」、p18)
「かれは学校卒業後も死に至るまで、ほとんど父母に養われていた。」(「Ⅰ 序説」、p20~21)
もうひとつ
「その頃、ロシアへ行きたいとしばしばいっていること、一部から「赤」になるのではないかとみられたこと・・・・・・ひとつにはよく知られているように宗教に対する熱情的な接近であり、もうひとつは、これまで匿されてきたが、社会主義への接近であった。」(「Ⅱ 家について」、p77)
そして「雨ニモマケズ」について。
「「雨ニモマケズ」は、羅須地人協会からの全面的退却であり、「農民芸術概論」の理想主義の完全な敗北である。そしてこの作品は賢治がふと書き落とした過失のように思われる。」(「Ⅴ 詩について」、p211)
直接、中村稔さんの本を確かめて欲しい。ただし昔の本なので、今、どういう形で読めるかは不明。
ボクは『銀河鉄道の夜』のジョバンニの秘密は、宮沢賢治さんが文学者で科学者であるという二重の矛盾する存在であることに規定されていると思う。
主体とは別であり、科学者として客体である「黒曜石の切符」を持たせられたジョバンニの悲しい運命は別述。
「Google」の検索がうまく働かないので、過去の書いた「雨宮智彦のブログ」が全然ヒットしない。検索にかからないけど、わかるものはできるだけ再録していく。
☆これまでの「雨宮智彦のブログ」叙述から
「新・本と映像の森 295 宮沢賢治「原体剣舞連」(詩集『春と修羅』1924年、より)」は最近でヒットするので略。
「新・本と映像の森 179 NHKFM・ラジオドラマ「カンペネルラ」 2018年9月11日 (火)」
「2018年9月11日 (火)
新・本と映像の森 179 NHKFM・ラジオドラマ「カンペネルラ」
偶然、昨夜NHKFMのクラシックのあと1回目をやっていたので聞いた。おもしろい!ラジオドラマって声と効果音だけで絵が立ち上がってくるのが面白い。
「青春アドベンチャー カムパネルラ(全10回)
思考補助装置としての銀河鉄道、それは変わりゆく永久物語運動体
【NHK FM】2018年9月10日(月)?9月14日(金) 午後9時15分?午後9時30分(1-5回)2018年9月17日(月)?9月21日(金) 午後9時15分?午後9時30分(6-10回)」
主人公の「ぼく」は母の遺骨をもって花巻へ向かう。母の遺言のとおり、花巻の宮沢賢治のゆかりの川に散骨をして帰るはずだった。
ところがタクシーで川に向かった金髪のぼくは遺骨をどこかに置き忘れセーラー服の少女と遭遇し廃線になったはずの花巻電鉄に乗り込む。
乗客に見せてもらった新聞は「9月19日」なのだが、なぜか「1933年9月19日」と書いてある。どうもぼくは過去の花巻に紛れ込んでしまったらしい。
しかも「1933年9月19日」といえば宮沢賢治の亡くなった「1933年9月21日」の2日前。もしかしたら宮沢賢治と話ができるかもしれない。
宮沢家へ行ったぼくは法要をしているのに出くわす。
さっき見たセーラー服の少女が現れ「あなたはジョバンニでしょう」といい「今日は兄の賢治の法要なの」という。
さらに「わたしは妹のとしの娘のさそり」という。としは死んだはずではないか。
2回目移行、どう展開するか!?
ボクも「銀河鉄道の夜」大好き人間なので、お勧めです。
作はSF作家の山田正紀さん。」
雨宮日記 2019年9月16日(月) 被爆者ビデオを数割創る
被爆者ビデオの実編集開始。4割くらいをつくる。あと数回はかかる。毎日やれば今週でできるけど、そうはいかない。10月はじめまでは、かかるかな。
新しい本を見ると、新しい視野がひらける。また「本と映像の森」などで紹介します。
雨宮日記 2019年9月15日(日) まだ今日は満月っぽい
「十五夜」は9月13日でした。まだ今日は満月っぽいですね。上島でもススキを飾る家がありますが、馬込川の土手にもススキは少なくなりました。
今日は、また暑いです。
被爆者ビデオの構成を組み立てて、原稿をすこし書きました。
いろんなことに頭がよく回る感じです。まわりすぎるのに注意しないといけないな。
新・本と映像の森 299 恩田陸「新・D坂の殺人事件」(『江戸川乱歩に愛をこめて』光文社文庫、2011年)
ミステリー文学資料館編、371ページ、定価本体686円。
恩田陸さんの江戸川乱歩「D坂の殺人事件」(1925年)へのオマージュ。
ただし「D坂の殺人事件」は密室だったが、ここでは大都会の雑踏という「密室」で殺人はおきる。場所は渋谷のD坂(道玄坂)。
その場に居合わせた主人公の男と関根老人の会話で物語は進行する。2人と若者たちとの対比がおもしろい。
佳品だと思う。
この江戸川乱歩「D坂の殺人事件」は江戸川乱歩が本屋を営んでいた池袋の団子坂であって、渋谷道玄坂ではない。
そのことは恩田陸さんも別の場所で読者に謝罪している。
◇
ビルを氷山に例える関根老人の感性もおもしろい。
「堕天使 ルシフェル」がストーリイのキイワードになっている。もちろん若者たちは堕天使の絶好の餌食になる。
ボクは関根老人は「堕天使 ルシフェル」なのではないかと妄想した。
過去現在未来のメモリーノート 71 「社会主義」研究 2 井尻正二「スターリンを正しく批判できるのは」
「新・本と映像の森 298」で紹介した「井尻正二『科学の階級性ー続科学論』築地書館、1973年」の中の「地質学の根本問題 」(原著昭和27年、増訂版昭和33年、1958年)の注釈に書かれていたことを引用する。
「3-イ・スターリン「弁証法的および史的唯物論について」1938年。<以下、本文で述べる弁証法的唯物論の要綱は、前記のスターリンの労作から引用したものです。
ところが、その後1956年にスターリン批判がおこなわれ、わが国でもそれ以後、“いわゆるスターリン批判”がさかんです。
くわしいことは、小著の目的をはなれるので何も申しませんが、わが国でおこなわれていいるような、いわゆるスターリン批判の本質は、弁証法的唯物論の修正主義がその大部分である、というのが私の結論です。
スターリンを正しく批判できるのは、政治的にも、経済的にも、哲学的(理論的)にも、スターリン以上の実践をして、氏以上の実績をつみあげた者にかぎる、と信じています。
したがって、ここに引用したスターリンの労作は、いまなお光り輝いていますし、すくなくともその論旨が、いわゆるスターリン批判論者のそれよりも簡明である点に学ぶべきだと思います。>」
(井尻正二『科学の階級性ー続科学論』築地書館、「地質学の根本問題」p91)
以下は、ボクの注釈【 1~5 】つき。
「3-イ・スターリン「弁証法的および史的唯物論について」1938年。<以下、本文で述べる弁証法的唯物論の要綱は、前記のスターリンの労作から引用したものです。
ところが、その後1956年にスターリン批判がおこなわれ、わが国でもそれ以後、“いわゆるスターリン批判”がさかんです。 【 1 だから井尻さんは日本でのスターリン批判には反対なのだろうと感じる。3度も「いわゆるスターリン批判」という言葉を使っている。 】
くわしいことは、小著の目的をはなれるので何も申しませんが 【 2 この注釈3自体を書くべきではなかったのではないか。「何も申しません」と言いながら「私の結論です」というんを言い切っているのは科学者の言葉では無くて宗教者の信条告白だろう 】 、わが国でおこなわれていいるような、いわゆるスターリン批判の本質は、弁証法的唯物論の修正主義 【 3 スターリンこそマルクスを「修正」しっている「」だと思う 】 がその大部分である、というのが私の結論です。
スターリンを正しく批判できるのは、政治的にも、経済的にも、哲学的(理論的)にも、スターリン以上の実践をして、氏以上の実績をつみあげた者 【 4 「スターリン以上の実践をして、氏以上の実績をつみあげた者」とは共産党の偉い幹部しか「スターリンを正しく批判」してはいけないということだろう。 】 にかぎる、と信じています。
したがって、ここに引用したスターリンの労作は、いまなお光り輝いていますし、すくなくともその論旨が、いわゆるスターリン批判論者のそれよりも簡明 【 5 スターリンがマルクスを単純化したことにボクは異論はない 】 である点に学ぶべきだと思います。>」
(井尻正二『科学の階級性ー続科学論』築地書館、「地質学の根本問題」p91)
文章を読めばわかるように1956年のフルシチョフによるスターリン批判以後に書かれている。
「新・本と映像の森 296」で扱った「泊次郎『プレートテクニクスの拒絶と受容 新装版』東京大学出版会、2017年」によれば泊次郎さんは「第3章」の注(60)で「『地質学の根本問題(増補改訂)』(地団研、1958年)で『地質学の根本問題』(1952年)で引用したスターリンの『弁証法的と史的唯物論』の一節に注釈をつけ」と書き、以下、この注釈を引用している(p112~113)
ところが井尻正二著『科学論 下』(国民文庫、大月書店、1977年)に載せられた「地質学の根本問題」(p63~118)ではこの注全体が消されてしまっていいる。
すくなくとも科学者であるなら、その重要な部分をなぜ消すのか、検討と結論の表明が必要だろうと思うのです。
雨宮日記 2019年9月12日(木) 図書館へ行く
朝、ケアマネさんが来る。
その後、浜松市立中央図書館へ行く。2階の郷土資料室へ行って、調べ物をしてコピーをさせてもらう。もちろんコピーは則子さんがぜんぶやる。
浜松市立中央図書館2階の「郷土資料室は宝の山です」というこはボクの名言。いや「図書館は宝の山です」かな。
1階へ降りて普通の本を借りる。満足かな。
雨宮日記 2019年9月11日(水)の2 夕方、カミナル
夕方、雷雨。ゴロゴロ鳴って、一瞬、家の電気が消えた。一瞬だけでしたね。
夜はすこし涼しくなった。
『日本共産党の六十五年 1922-1987』と『日本共産党の七十年 1922-1992』と『日本共産党の八十年』の比較読みを少ししている。興味のあるところだけですが、おもしろい。
もっと大会決定とか中央委員会総会決定のあるものとか、比較読みの対象を広げよう。
雨宮日記 2019年9月11日(水) ハードディスクの整理
内容がグチャグチャになってるハードディスクの整理を始める。オリジナル文書、コピー文書、写真、動画などに分類して、それぞれを細かく分類する。完成するのかどうかも不明。
きのうは作業に霧中になって、ブログを更新するのを忘れて寝てしまった。しまった!
千葉はまだ数十万戸、停電。房総では93才の女性が停電で熱中症。「電気文明」はたいへんです。
今日いまは閲覧数「199万0999PV」です。「1999999PV~2000001PV」になったら何かお祝いしようかな。
雨宮日記 2019年9月9日(月) 県被爆者の会のビデオ編集開始
県被爆者の会のビデオ編集をやっと開始。知人からたのまれて、いろいろ構想していたのだが、実際の編集を開始。数週間はかかるかな?
台風は静岡県東部をかすめて千葉へ上陸、行ってしまっても、まだ暑い。浜松も34度くらいある?汗がダラダラ。
ボクはすこし腰が痛い。歩けないほどじゃないけど。
新・本と映像の森 298 井尻正二『科学の階級性ー続科学論』築地書館、1973年
7月10日、A5版、188ページ、定価900円。
1973年に買ったとすれば大学3年目で買ったことになる。もっと後かも知れない。
著者の『科学論』の続編。同じ著者の『新版 科学論(上・下)』が国民文庫(大月書店、1977年)で出ているので、古本で買える人は買った方がいい。『選集』にどの程度入っているかは知りません。
目次を書いておくと以下の通り。
1 科学的精神について
2 社会科学学習のABC
3 『資本論』と自然科学
4 雲のなかの孤高
5 地質学の根本問題
6 自然科学の性格と自然科学における観念論(その1)
7 自然科学の性格と自然科学における観念論(その2)
8 『自然科学の性格』についてのあと書き
「1 科学的精神について」でこう言っている。
「3 科学的精神はキチンとした精神である
4 科学的精神は批判的精神である
5 科学的精神はは実践的精神である」
ところが「批判的精神」がなぜ自分たち地団研の固定的「固定的地向斜造山」説に向けられなかったのか。
「2 社会科学学習のABC」では「2 用語の意味(定義)を正確につかむこと、3 きまった時間に学習すること、4 古典を読むこと」と言っています。これ自体は正しいと思います。
その他は他の機会に。
新・本と映像の森 297 海部宣男『宇宙史の中の人間』岩波書店、1993年
この本は天文学者海部宣男さんが書いた。海部宣男さんは名著『銀河から宇宙へ』がいい本だが、これもいいです。
初期宇宙の素粒子のはなしがおもしろかったので文章を筆記しておいた。
「クオークとそれを結びつける粒子であるグルーオンとがとびまわる宇宙が冷えて、クオーク同士が結びつき、小さな空間にとじこめられてハドロンになりました。
これが、クオーク・ハドロン相転移です。」
「宇宙膨張開始から10万分の1秒~1万分の1秒という初期に、クオークは早くも陽子や中性子の中にしっかりと閉じこめられてしまいました。」
「1969年にスタンフォード大学の粒子加速器で陽子をこわす実験がおこなわれてはじめて、人類はクオークを「見た」のでした。
陽子の内部は、クオークがいつも生まれたり消滅したりしている、ゆがんだ超高エネルギーの空間です。
陽子の中には、クオーク・ハドロン相転移以前の宇宙がとじこめられ、残されているともいえます。」
≪ 海部宣男『宇宙史の中の人間』岩波書店、1993年、p142 ≫