雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

ことばと詩 27 浦沢直樹『21世紀少年 上 “ともだち”の死』小学館、2007年 「マネのマネ」「コピーのコピーだ」

2020年03月20日 09時36分59秒 | ことばと詩


ことばと詩 27 浦沢直樹『21世紀少年 上 “ともだち”の死』小学館、2007年6月4日 「マネのマネ」「コピーのコピーだ」 20200320


浦沢直樹『20世紀少年』は20数巻ある傑作(とボクは思う)長編マンガです。まえに読んだときは今いちストーリイが読み取れなかったですが、最近やっとわかってきました。それは別の機会にやりたいと思います。

 今日は、その最終2巻のワンシーン。

 話の出発点の主人公たちが子供だったころ。のちに“ともだち”教団の大幹部・国会議員となる若い万城目(まんじょうめ)が街で妖しげな「NASAグッズ」を売っている。

 その前には、ただ1人、お面をかぶった少年が……。

少年
「ようするに…
 本物の
 マネのマネか…」

万城目
「なんだよ。
 買わねえなら、
 あっち行け」

少年
「マネのマネか…」

万城目
「オリジナルは
 損する。
 そのコピーを
 した奴は
 まだまだだ。
 世界をつかむのは
 決まって
 コピーのコピーだ…」

少年
「ふーーん」(p127~128)


 これは第一次安倍内閣が成立したころに描かれたマンガです。

 けっして安倍首相のことを皮肉っているわけではないと思います。あくまでも偶然の一致というやつです。

 安倍晋三首相の父は安倍晋太郎。母方の祖父は岸信介。つまり安倍晋三首相はコピーのコピーといえなくもない。

 とにかくたんなるコピーはろくなものじゃないということを言いたい。

 マルクスが偉いから私も偉いと勘違いするマルクス崇拝者もなかには、いるのでね。

 人間は個別に成長するんですね。そのことと理論がどうかかわっているのかがボクの問題です。

 詳しくは『20世紀少年』をお読みください。



雨宮智彦哲学経済学メモリー 22 20100318 哲学の学習 13 微細な質・質の微細な変化を感じられるか 20100318

2020年03月19日 19時32分29秒 | 過去現在のメモノート
雨宮智彦哲学経済学メモリー 22 20100318 哲学の学習 13 微細な質・質の微細な変化を感じられるか 20100318


「哲学の学習 13 微細な質・質の微細な変化を感じられるか
2010年03月18日 04時17分57秒 | 人間・生命・宇宙

 ふつう、哲学の学習と、一人ひとりの人間の「感覚」とは無関係なのですが。
 
 いろいろ考えてきたら、そもそも一番大事なのは、「質」の定義や概念ではなく、具体的なリアルな微細な質や、質の微細な変化を、ぼくが感じ取れるかどうか、ではないかと。

 たとえば「色 カラー」の微妙な変化を日本人は、感じ取ることができるといいますね。
 萌葱色(もえぎいろ)とか。
 浅黄色(あさぎいろ)とか。
 
 妻のN子さんの介護の仕事で「入居者の心の内を感じて仕事をしなければ」という時も、グループホームの入居者のお年寄りの、表情や言葉の揺らぎを感じ取って仕事ができますかということだと思います。
 
 ぼくは、そういう微細な質、微細なゆらぎを大事にしていきたいと思います。

 現実は、無神経で、職員の意向を押しつけることが多いのだと思いますが。

 哲学の学習と、人間・心・集団の学習とは、本来、別の物ではないと思います。表裏一体、表と裏と追求していきたいと思います。」



雨宮家ノート 2 山口県光市での父の写真 20200318

2020年03月18日 10時30分17秒 | 雨宮家の歴史

雨宮家ノート 2 山口県光市での父の写真 20200318

 則子さんが父の部屋を片付けていて、古い写真を見付けてくれました。

 全体としては戦前のものらしいのだが、その一部はボクが生まれる直前のものらしい。今日、紹介するのは1949年に撮影した写真だと思います。それは現像した写真館の日付があったので。

 若いころの新婚のころの父の写真だと思う。

 35ミリのフィルムではなく、手札(てふだ)版の長方形の1枚のフィルム。もちろん、モノクロの反転ネガなので、友だちの力を借りて反転させました。

 たぶん撮影したのは1枚入れて撮影して、という写真機だと思う。家に写真機があったのか?買ったとすれば、いくらくらいだったのか?詳しいことは不明、もっと調べてみます。

 背景はたぶん山口県光市の借家で新婚の父母が住んだ家でう。この2年後にボクが生まれることになるはずです。

なお「雨宮」はボクのペンネームなので実名は当然、違います。


雨宮智彦哲学経済学メモリー 21 20200317 資本論の学習 4 商品の交換価値(現象形態)と価値 2010315

2020年03月17日 19時31分17秒 | 過去現在のメモノート

雨宮智彦哲学経済学メモリー 21 20200317 資本論の学習 4 商品の交換価値(現象形態)と価値 20100315


「資本論の学習 4 商品の交換価値(現象形態)と価値
2010年03月15日 04時08分26秒 | 人間・生命・宇宙

 「第1章第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値」の第4回目です。
 今回から価値とその「現象形態」である「交換価値」の考察に入ります。

 マルクスさんは言います。
 「交換価値は、さしあたり、1つの種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される量的関係、すなわち、比率として現われる。それは、時と所とともに絶えず変動する関係である。」(新日本新書①p62)
 
 そして「ある特定の商品、たとえば」300リットルの「小麦は、X量の靴墨、Y量の絹、Z量の金などと、要するにきわめてさまざまな比率で他の商品と交換される。」
 「それゆえ、こういうことになる。
 第1に、同じ商品の妥当な諸交換価値は1つの等しいものを表現する。
 しかし、第2に、交換価値は、一般にただ、それ【交換価値】とは区別されるある内実の表現様式「現象形態」でしかありえない。」(p63)

 「さらに、2つの商品、たとえば」300リットルの小麦=akgの鉄「この等式は何を意味するか?
 同じ大きさの1つの共通物が、2つの異なった物のなかに、すなわち」300リットルの小麦のなかにも、akg「の鉄のなかにも、実存するということである。したがって、両者は,それ自体としては、一方でもなければ、他方でもないある第3のものに等しい。」(p63)
 注)原文の「ブッシェル」では現代の私たちにはぴんとこないし、イメージできないので「300リットルの小麦」という表現をしてみました。

 「この共通なもの【第3のもの】は、商品の幾何学的、物理学的、化学的、またはその他の自然的属性ではありえない。・・使用価値としては、諸商品は、なによりもまず相異なる質であるが、交換価値としては、相異なる量でしかありえず、したがって、1原子の使用価値も含まない。」(p64)

 正確に雨宮流に翻訳して「使用価値としては、諸商品は、なによりもまず相異なる質であり、相異なる量かあるいは同じ量であるが、交換価値としては、なによりもまずまったく同じ質であり、相異なる量である」という風になりますか。
 
 つまり 使用価値は 異なる質 異なる量か同じ量
     交換価値は 同じ質  異なる量か同じ量

 交換価値で「同じ質、異なる量」と私が規定するのは、等号「=」で結んだ等式「300リットルの小麦=akgの鉄」という場合には、小麦の交換価値と鉄の交換価値は、等式の左右で同じ量でなければならないからです。

 この交換価値の「質」をマルクスさんは、次のパラグラフでこう解説しています。

 「そこで、諸商品の使用価値を度外視すれば、諸商品にまだ残っているのは、1つの属性、すなわち労働生産物という属性だけである。」(p64)

 やっと、労働生産物という、商品を生産する労働の問題が出てきました。以下、続きます。

(お知らせ)一度投稿した原稿を後で見直して修正している場合があります。そういう場合は明示してありませんのでご注意ください。」



雨宮日記 2020年3月17日(火) 浜松も昨日から学校再開

2020年03月17日 10時23分01秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2020年3月17日(火) 浜松も昨日から学校再開

 今日もまだ寒いです。明日から暖かくなるそうです。

 浜松も3月16日から学校再開しました。またすぐ春休みですけど。

 浜松市HPからコピーします。浜松市HPに行政の関連情報も載っています。



「更新日:2020年3月12日

市立小中学校の学校再開等について(令和2年3月12日付)
新型コロナウイルス感染症対策にかかる文部科学省からの要請を受け、3月3日(火曜日)から15日(日曜日)まで一斉臨時休業としておりましたが、16日(月曜日)以降は下記のとおり対応します。

3月11日(水曜日)時点における対応方針であり、今後、児童生徒及び教職員等に新型コロナウイルス感染症の陽性が確認された場合は、変更となる可能性があります。

1.学校再開について
予定どおり、3月16日(月曜日)から春休み開始まで、市立小中学校を再開します。
春休み期間:3月19日(木曜日)又は20日(金曜日)~4月5日(日曜日)又は6日(月曜日)
学校再開の理由
現在、市内では感染拡大を抑制できていると考えられます。
児童生徒が普段の生活リズムを取り戻し、落ち着いた気持ちで春休みを迎えることが大切です。
卒業式や修了式は、児童生徒及び保護者にとって大切な学校行事であり、その準備期間として、学校を再開する必要があります。
2.再開後の活動について
(1)基本的な感染症対策の徹底【健康安全課:053-457-2422】
手洗いや咳エチケット、換気などの基本的な感染症対策を徹底します。
風邪の症状がある場合など体調不良者については、どのような症状であっても出席停止とし、症状が改善されるまで自宅で休養させます。
(2)卒業式・修了式について【指導課:053-457-2411】
卒業式・修了式を実施します。
体調不良者については、参加できません。
卒業式は、参加者を卒業生及びその保護者、教職員並びに式典に必要な最低限の児童生徒に限定します。来賓の参加は要請しません。
(3)部活動について【指導課:053-457-2411】
ア:3月16日(月曜日)~19日(木曜日)
中止とします。
イ:3月20日(金曜日)以降の春休み期間
校内での練習のみ実施可能とします。
その際、生徒・教員の体調を十分に確認し、手洗い、換気、身体接触を減らす等感染予防に最大限の配慮をします。
練習試合の実施や大会等への参加は控えます。
(4)放課後児童会について【教育総務課:053-457-2406】
通常の時間帯で開設します。
春休み期間中は、午前中から開設します。
(5)学校給食について【健康安全課:053-457-2422】
中止とします。
3.市立高等学校について
3月19日(木曜日)まで休業期間とします。ただし、18日(水曜日)は修了式のため登校日とします。(卒業式は3月1日(日曜日)に実施済)
関連リンク

浜松市「新型コロナウイルス感染症について」
文部科学省「新型コロナウイルスに関連した感染症対策に関する対応について」(別ウィンドウが開きます)
厚生労働省「新型コロナウイルス感染症について」(別ウィンドウが開きます)」


雨宮智彦哲学経済学メモリー 20 20200316 人間・心・集団 2 自尊心と自負心 20100314

2020年03月16日 16時34分32秒 | 過去現在のメモノート
雨宮智彦哲学経済学メモリー 20 20200316 人間・心・集団 2 自尊心と自負心 20100314


「人間・心・集団 2 自尊心と自負心
2010年03月14日 22時49分35秒 | 人間・生命・宇宙

 妻のN子さんとの会話から考えました。
 N子さんの知り合いに、自分もプライドの高い人で、自分の夫は他人より出世して偉い人だという感じの人がいるそうです。
 
 英和辞典を引いて「「プライド」って優越感とか自負心とか、ほとんど悪い意味なのね」「よく子供の自尊心を育てなさいというけど」と言うのでぼくは考えて答えました。

 「自尊心は大事だけど、それが変質して自負心、他人に負けないというマイナスの精神になるんじゃない?大事なのは、正常な自尊心がどうして曲げられて自負心や優越感になるかっていうことだと思う。そういう変質のプロセスを学習すれば、そうならないのじゃない?」
 
 「正しい自尊心が変質していくのは、正常ではない支配や従属の人間関係、差別や格差を受け入れてしまってあきらめて生きていたら、精神も変質していくと思うけど」

 その人はN子さんに「あなたは自分を持っていていいね」と言ったのだそうです。その人は、まだ見えているけど、もう自分を元にリセットして自分を自由にする余力はないのでしょうね。

写真は浜北区・不動寺の仏さまです。リラックスした、いいお顔でしょ?自分の心をきちんと持っているという感じです。

むかしの人は(いや、今生きている人も)、揺らぐ自分、自信のない自分、他人と比較してしまう自分を認識していて、そこから抜け出るためにも、神仏に祈って、自分の確立を願ったのではないでしょうか。



雨宮智彦哲学経済学メモリー 19 20200314 哲学の学習 12 「質」とは何なんでしょうか

2020年03月14日 21時58分56秒 | 過去現在のメモノート

雨宮智彦哲学経済学メモリー 19 20200314 哲学の学習 12 「質」とは何なんでしょうか


「哲学の学習12 「質」とは何なんでしょうか
2010年03月13日 04時36分18秒 | 人間・生命・宇宙

 「質」とは何かというと、たとえば森宏一さん編著『哲学辞典 第4版』(青木書店、q1971年初版、1987年第4版)では、「質とは性質のことであり、事物はすべてなんらかの性質をもって存在し、これによって一物は他から区別される」(p181)とあります。

 つまり、たとえば「本」と「パンフレット」の違い。どっちも「出版物」には違いないけど。

 同じ質の「人間」でも、「男」と「女」とは違うとか。

 日野原さんの著書『いのちと生きがい』青春出版社、では、こう書かれています。

 「命を救うとは、ただ命を長く延ばせばいいわけではなく、質が問われます。
 「ただ生きることでなく、よく生きることこそ、何よりも大切にしなければならない」これは、ソクラテスの言葉です。(『プラトン全集 クリトン』)」

 日野原さんとソクラテスさんに、共感します。」


雨宮日記 2020年3月13日(金)の2 お店の物情報

2020年03月14日 05時55分23秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2020年3月13日(金)の2 お店の物情報

 きのう、娘が帰ってきて「お父さん、ブログで日記みたいの書いてるんでしょ。これ書いといて」と許可が出たんで、書きます。

 娘は花粉症で冬の時期、「保湿ペーパー」なるものが欠かせません。ところがお店にない。近所のクリエートやきょうりんどうなどを回ってもない。

 なんとかしてよと怒ってました。

   ☆

 則子さんの話では、まだマスクもお店にないそうです。政府の人は、やれないこと・できないことでも口だけで「やります」「できます」って言うんですね。

 言行一致してほしいものです。


お知らせ 原水爆禁止世界大会inNY中止 20200313

2020年03月13日 19時54分57秒 | お知らせ
お知らせ 原水爆禁止世界大会inNY中止 20200313

 静岡県平和委員会「平和の風ニュース 2020年3月13日(金)」より(一部略)

 「新型コロナウイルスの世界的なパンデミックにより4月24日・25日の「世界大会ニューヨーク」、26日の屋外での集会と行進はすべて中止となりました。
 日本からの代表派遣も中止となります。
 送るために書名行動、支援募金等の取組に奮闘された皆様に感謝申し上げます。有り難うございました。
 尚、ヒバクシャ国際署名は9月30日まで続けられます。」



雨宮日記 2020年3月13日(金) 父に最初の往診

2020年03月13日 19時37分50秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2020年3月13日(金) 父に最初の往診

 いままで則子さんがついて車で佐藤町診療所へ月1回行っていたけど、父の足が衰えてきてたいへんなので往診にしてもらった。

 今日はその第1回。主治医の水谷先生とは、ボクが付き添いでついていっていた5年ぶり。

 則子さんはこの3ヶ月間、部屋の片付けでたいへんでした。お疲れ様。

 「青い地球」3月15日号が完成。やろうとしたけど、やっぱり1回2ページは無理。1回につき1ページで、できたら毎回出していくのがいいな。

 今日は暖かいが、明日は寒くなりそう。



雨宮日記 2020年3月12日(木) きのうは3/11

2020年03月12日 11時10分53秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2020年3月12日(木) きのうは3/11

 きのうは3/11なんだけど、新型ウイルス危機で9年前の東日本大震災は影が薄い。おそらく戦後、最大の社会危機といえるのではないか。

 台湾の新型ウイルスがすごいようだ。ビル・職場・施設・学校の入口におでこで測る体温計をもった人がいて1人ひとり検査をする。

 学校には隔離室があって体温の高い生徒は親の来るまでそこで待つ。
 
 マスクはスマホにDLしたソフトで各填補のリアル在庫が表示され、国民は健康保険証だかで週何枚か買える。

 安倍政権は科学にもとづかないで、とにかく「がんばってる態度」をしめすということみたい。たぶん学校休校の効果は不明と科学者もいっている。

 全体として学校休校や施設休みやイベント中止を否定しないが、もっといろいろすることはあると思う。

 それと有事体制・非常事態体制というのはボクは反対です。

 たぶん3月で終息はしない。ずっと続いたらどうするか、ですね。

 いま4月のニューヨーク原水禁世界大会や5月の原水禁平和行進も中止という可能性をぼくらは考えている。まだやる可能性もあるけど。



雨宮智彦哲学経済学メモリー 18 20200310 本と映像の森 13 A・C・クラーク『2010年宇宙の旅』ハヤカワ文庫、早川書房

2020年03月11日 15時14分43秒 | 過去現在のメモノート

雨宮智彦哲学経済学メモリー 18 20200310 本と映像の森 13 A・C・クラーク『2010年宇宙の旅』ハヤカワ文庫、早川書房 


「本と映像の森13 A・C・クラーク『2010年宇宙の旅』ハヤカワ文庫、早川書房 2010年03月11日 04時25分47秒 | 本と映像の森

 「宇宙1」の続きです。
 今年は、ガリレオ・ガリレイさんが、望遠鏡で、木星の4大衛星を発見して、ちょうど400年の年です。

 その木星周辺を舞台にして、私の大好きなSF作家・クラークさんが書いた、『2001年宇宙の旅』の9年後の続編です。

 数日前に、ちょっと時間の空いたときに行く、家の近くのイケヤ高林店で、見つけて衝動買いしました。
 なにしろ、帯に「ついに2010年到来! 巨匠クラークが描いた未来に人類は到達できたのか?」です。

 映画にもなっています。
 私は、どっちかというと、一般的に言って,映画の方が情報量が少なくて、文字による小説版の方が、情報量も・解釈の余地も多くて好きですね。
 たとえば、マイケル・クライトンさんの「ジュラシック・パーク」でも、そう思いました。

 謎の石「モノリス」は、1対4対9の石碑です(もちろん材質は石ではないです)。

 モノリスは、謎の宇宙文明が、地球を監視し制御するために残したものです。
 そのモノリスの1個目は、地球のアフリカの人類発祥の地にあって、2個目は、月のチコ・クレーターにあって、3個目は木星の衛星軌道上にあります。

 その宇宙文明は、物質的な形を持たない、純粋生命体で、というクラークさんの想像の描画は、クラークさんの代表作である『都市と星』の最終章で描かれた銀河系文明が生み出した失敗作「狂った精神」と成功作「ヴァナモンド」に描かれ、もう1つの代表作『幼年期の終わり』で地球人の子どもたちの行く末として描かれています。
 
 この作品も、地球文明と、宇宙文明の、接触のかたちの、いろんな物語の一つになると思います。
 幸福な接触、不幸な接触。
 
 象徴的な話は、原題が「スペース オディッセイ」ということです。
 ホメロスの歌う「オデッセイ」伝説は、ギリシャと異文明の接触と変容の物語だと思いますが、宇宙のオデッセイ物語は、地球文明と異質な宇宙文明の接触と変容が、はたして、可能か、幸福か、崩壊か、という話だと思います。

 2つ目は、人間とコンピューターの相克です。ハル9000ですね。
 ハルの運命に、救いを感じました。
 人間とコンピューターは、信頼しあえると思います。
 
 3つめは、地球人類と太陽系内の他の惑星・衛星の生命との接触の可能性です。
 木星の衛星、たとえばエウロパは、氷の表面の惑星ですが、氷の下に海があることは確実になっています。
 このエウロパの氷の下の海で進化した生命を1980年代に描いたのが、この作品です。

 ぼくの生きているうちに、エウロパの海の下に潜る「深海探査」が実現するといいな。」



新・本と映像の森 325 宮沢賢治「政治家」(1927、5、3) 20200310

2020年03月10日 11時18分41秒 | 本と映像の森
新・本と映像の森 325 宮沢賢治「政治家」(1927、5、3) 20200310


 宮沢賢治さんのことは熱く語りたいのですが、今日はこの詩1つだけです。

 宮沢賢治さんの詩はそのかなりの詩に1本1本、日付がきちんと入っています。つまり無時代な永遠の詩ではないのです。この意味は別に考察します。

 さて「政治家」を掲げますが、2020年3月10日に注釈は不要です。


 「一〇五三  政治家
             一九二七、五、三、

あっちもこっちも
ひとさわぎおこして
いっぱい呑みたいやつらばかりだ
     羊歯の葉と雲
        世界はそんなにつめたく暗い
けれどもまもなく
さういふやつらは
ひとりで腐って
ひとりで雨に流される
あとはしんとした青い羊歯ばかり
そしてそれが人間の石炭紀であったと
どこかの透明な地質学者が記録するであらう」


雨宮智彦哲学経済学メモリー 17 20200309 宇宙 1 今年はガリレオさんが木星衛星を発見して400年 20100310

2020年03月09日 19時13分16秒 | 過去現在のメモノート


雨宮智彦哲学経済学メモリー 17 20200309 宇宙 1 今年はガリレオさんが木星衛星を発見して400年 20100310


宇宙 1 今年はガリレオさんが木星衛星を発見して400年
2010年03月10日 04時15分35秒 | 人間・生命・宇宙

 今年は2010年です、と大声で言うほどのことでもないかな?
 もちろん西暦です。
 今年は、平成22年、と言われても、なんの地球的意味もないですから。もちろん、日本的伝統を軽蔑するつもりはありません。
 地球的・宇宙的意味と、日本的伝統は、対立するものではなく、相補的なものだと思います。
 
 深海生物学者の長沼毅さんが書いた『生命の星・エウロパ』(NHKブックス)の冒頭の「第1章 エウロパの海」に、書かれているエピソードです。

 400年前の1610年1月7日、イタリア北東部の都市パドヴァで、夜空に輝く木星に、望遠鏡をむけたガリレオ・ガリレイさんは、木星の回りに、小さな、小さな、4つの星を発見しました。

 これが、惑星(プラネット)の周りを回る衛星(サテライト)の発見の最初です。

 ガリレオ・ガリレイさんは、木星の周りをまわる4つの衛星は、太陽を回る地球、地球を回る月の、ミニチュアモデルであると理解したのです。

 ここから始まって、ルネッサンスの崩壊していく時期に、ガリレオ・ガリレイさんは、コペルニクスさんの「地動説(太陽中心説)」に同調し、当時の権威であるローマ法王庁の「天動説(地球中心説)」に反対したために、宗教裁判にかけられてしまいました。

 400年前って、すごいですね。

 ガリレオ・ガリレイさんにすれば「そんな400年後のことは、ぼくは知らないよ。想像もできない。ぼくは、とにかく、今を必死に生きているんだから」ということでしょうか。

 今年2010年の400年後は、2410年です。

 ローマ・カトリック教会が、公式にガリレオ・ガリレイさんの「地動説」を認めたのは、いつかと言うと、なんと、1992年で、わずか18年前です。

 ぼくは小さい頃から天文マニアだったので、高校では地学部天文班でした。

 たぶん、中学生頃かな、小さな望遠鏡で、初めて、楕円形の輝く木星の周囲に、4つの小さな衛星を見たときの感動を思い出します。

 4つの衛星、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストのことはまた書きます。



役に立つ情報と役に立たない情報 14 南京玉すだれ 20200309

2020年03月09日 10時16分06秒 | 役に立つ豆知識と役に立たない豆知識

役に立つ情報と役に立たない情報 14 南京玉すだれ 20200309


「役に立つ豆知識と役に立たない豆知識」を改題しました。

 ビデオを編集していて、「南京玉すだれ」をやる出演者がいました。「「南京玉すだれ」は南京からきた芸能かねえ」と話題になり、友だちがネットで調べてくれました。

 ウィキペデアによれば、ぜんぜん中国渡來ではなくて江戸時代の日本産のようです。ようするにフェイク、誇大宣伝です。そういうものはいっぱいありそうです。