雨宮智彦哲学経済学メモリー 16 20200307 哲学の学習 11 「量」と「質」を考えます、その2 どっちが先 20100310
「哲学の学習 11 「量」と「質」を考えます、その2 どっちが先
2010年03月10日 04時03分50秒 | 人間・生命・宇宙
量と質、あるいは質と量は、相補的な概念として考えられています。
(相対立する概念という言い方・考え方もあるかもしれませんが、私はそういう「対立物」ではなく「相補物」として考えたいと思います。)
では、人類の認識の歴史では、量と質、質と量、どちらが、先に認識されたのでしょうか。
量とは、たとえば、1つ、2つ、というように、「数詞」=「言語」なしには、とらえられません。
分離量であれ、連続量であれ、「数える」ことなしには、認識できません。
でも、質は、たとえば「涼しい」「暑い」「でかい」「小さい」「丸」「四角」「植物」というように、言葉なしのイメージとして認識できるのではないでしょうか。
あるいは、「なんかいやだ」「逃げないと」「心地よい」「好きだ」「嫌いだ」という感情。
言語をもつ段階以前の人類、あるいは神経と脳のある動物たちは、みんな、「質感」を言葉としては表現できなくても、感覚しているのではないでしょうか。
ですから、量よりも,質の方が人類の認識史から考えても先ではないでしょうか。」