1200年以上の歴史を持つ天下の大奇祭
「御柱祭(おんばしらさい)」
長野県の諏訪大社で、
数えで7年(満6年)に一度、
寅年と申年の年に行われる有名なお祭り。
長い期間をかけて執り行われるその祭りの中で、
今回は「山出し」と「木落し」に関しては
コロナ禍により内容変更や中止となることが決まった......
というニュースが流れていました。
どちらも御柱祭の中ではハイライト級のものですが、
それがこんなことになるなんて......
長い祭りの歴史の中でも初めてのことなのだそうです。
諏訪や諏訪大社に関しては、以前
「諏訪徒然」
「諏訪徒然 2」
「諏訪徒然 3」
というシリーズ記事で記したような出来事もあったりもして。
神域を囲む「御柱」に強力な呪(しゅ)を乗せる!?
大きな行事が中止となってしまうなんていうことは......
僕的には
「......やはりタケミナカタさんや
諏訪の神々にかけられた御柱の呪(しゅ)や封印は、
既に解けているのだろうか......
祭り無しで用意された柱は呪の力は全く無いだろうし。
今後また祭りが復活しても、
連綿と続いてきたものはここで一度完全に切れて、
今後の柱はまた違う意味やものとなって行くのかなぁ......」
なんていう、
ドアホなことを思ってしまったりなんかもするのですが。
しかし、更に面白かったのは、
そんなニュースが流れたタイミングで、
敬愛する「dajyuさん」から頂いたお話だったりもしまして。
dajyuさんは現在、
諏訪大社のお膝元に住まわれているということもあり、
その話は流石の詳しさとタイミングのお話でもありましたが。
以下にはその時のSNSでの会話を置いておこうかと思います。
dajyuさんの許諾も頂きましたので、
フワフワとした不思議話という程度で。
その辺は。
何卒なのです。(^^)
================================
「(前略)
茅野市から諏訪大社上社本宮へ向かう途上、
諏訪市に入ってしばらくすると、
岡谷方面への県道と左にそれて本宮の東門へ続く道との分岐があります。
ここが〝わかされ〟と呼ばれる場所。
ここを入ってすぐの左手、山肌への斜面に北斗神社はあります。
急斜面にずーっと長く石段が上っていて、
その先に祠が見えます。
「え、ここ登るん・・・」
そんな神社です。
(中略)
左手にある灯籠には寄進者として
「物部守貞」の名前が彫り込まれています。
ただこの人物が何者なのか、わかりません。
地元の在野研究家がいろいろと調べてらっしゃいますが、
それはさておき。
仏教を取り入れるかどうかで蘇我氏と争って失脚した
物部守屋を思い浮かべてしまう気持ちが大きくって...(ああ素人)。
(中略)
この北斗神社、祭神は天御中主神(アメノミナカヌシ)。
古事記では最初に現れた神とされています。
(日本書紀本文には記載がなく、最初に現れるのは国常立命)
この神さま、高天原に一番最初に出てきた、ということ以外、
全く記載がありません。謎の存在です。
というよりむしろ、神話を構成する上で、
後から象徴的に作られ、
置かれた神さまではないかという見方もあります。
ちょっとテキトーな感じもしますね。
(後略)」
「ココは神様の塚=墳墓です、ね(^ν^)」
「そうなんか?」
「この塚の主は諏訪の神様です。
ミナカヌシさんはまた別ですね。
北極星を象徴とするのは間違いないですが、
その実はDNAの神様です。
シンプルに言えば生命の起源神ですね」
「その諏訪の神様はタケミナカタ?
それともミシャグジ?
上社の本宮と前宮のちょうど中間くらいの場所にあるのが、
気になってきた...」
「タケミナカタさんです」
「彼は諏訪に逃げてきて、
最終的には天寿を全うしたのかなぁ。
あちこちに十五社というのがあって、
御子神と一緒に祀られてるんで、
結局は天津神に滅ぼされたのかなぁ。
それによって、お墓の見方も違ってくるよね?」
「まっとうしてますよ。
諏訪の王です。
封印はされました。
御柱祭は封印の呪ですから。
四つ柱も牢の呪です」
「“諏訪徒然” から “もののべ” まで急ぎ読みました。
タケミナカタだけでなくモレヤ神もミシャグジも、
全部ひっくるめて封印したわけね、
諏訪大社というところに。
そしたらなんでお墓とは違うとこなん?それと、
上社本宮の御柱の変な位置とは何か関係があるんかなぁ」
「神様はいつも “墓” と言わず “塚” と言っているのですが、
ピラミッド的な考え方で、
亡くなってもなお皆を守ってもらおう、、
天地からパワーをいただこう装置、、
という意味も含まれているかと。
現在のニュアンスでいう諏訪大社とは、
物部氏の系譜、神を封印した社達だと思います。
御柱祭の歴史も物部氏の滅亡後から始まっているはずです。
しかも、その最高、最大の聖地でありながら、
故に完全に隠された北斗神社......
タケミナカタさんの墳墓......には物部の碑がありますし。
本宮は変な位置でしたっけ?」
「本宮の御柱が変、というのは...
御柱四本に囲まれたエリアの、右側からお参りに入るのよね。
本来なら一の御柱と二の御柱の間、正面からお参りするよね。
それが本宮だけは一の御柱と四の御柱の間から入って、
しかも二と三の御柱の間に向かってお参りする。
だいたい本宮には本殿もないんやけどね」
「あー、、
変とはそういうことですねー」
「東の門だね。
あそこは二の御柱と三の御柱の間やねんなぁ。
本宮って本殿がないってさっき書いたけど、
普通お参りするのは幣拝殿に向かってするんやけど、
ご神体は守屋山。
そっちに向かうと勅願殿がある。
そうすると、
一とニの御柱の間から三と四の御柱の方向に向かって拝む形にはなるねん。
幣拝殿に向かって拝むとなると、
もしかすると北斗神社......塚に向かって拝むかたちかも」
「良い感覚っすー(^^)
そのとーりっすー」
「天津神の勢力が封じ込めたつもりでも、
地元の人たちは
柱の関係を無視して塚に向かって拝むようにしてる...」
「そうっす。そうっす。
最初に話した通りですよー
気付きません?
ここまで話して( ̄▽ ̄)ニヤリ
僕の話の証明が、
その入口疑問の中にあるわけです( ̄▽ ̄)
Googleマップとかで、
本宮のその方向を見てみてくださいませ。
すぐわかりますよー(^^)」
「そうなると、勅願殿...
帝とか実力者が自らの祈願をするには守屋山を拝ませるという形。
これまた諏訪の人々の魂胆か?」
「dajyuさーん。
もっと先っすよー、、、
その方向。
本宮の敷地の先っす。
何があります?
本宮は、しょせん、
後の為政者が立てたものですから。
住民の心は消せないわけです。
古来より、この国の人々は、
祭りの中に真実を隠してきました。
国家、為政者にわからないよう、
自分たちのルーツをしっかり守り伝えてきたのですね」
「えーっと、守屋山・森や神社とは違うのね」
「北斗神社っす。
そして、、、、」
「前宮」
「(^^)さらに、、、、、」
「富士山?」
「お疲れ様です(^^)
“鍔とアイヌ 13”」
「はー疲れた(笑)」
忘れえぬ、
2015年8月8日の諏訪。
写真は秋宮と諏訪湖と北斗神社と石碑、
北斗神社の背後にある巨石の塚!?でしょうか。
神々から聞くところによると!?
建御名方神(タケミナカタノカミ)さんと
建御雷神(タケミカヅチノカミ)さんは巨人だった!?
ようなのです......が......
「御柱祭(おんばしらさい)」
長野県の諏訪大社で、
数えで7年(満6年)に一度、
寅年と申年の年に行われる有名なお祭り。
長い期間をかけて執り行われるその祭りの中で、
今回は「山出し」と「木落し」に関しては
コロナ禍により内容変更や中止となることが決まった......
というニュースが流れていました。
どちらも御柱祭の中ではハイライト級のものですが、
それがこんなことになるなんて......
長い祭りの歴史の中でも初めてのことなのだそうです。
諏訪や諏訪大社に関しては、以前
「諏訪徒然」
「諏訪徒然 2」
「諏訪徒然 3」
というシリーズ記事で記したような出来事もあったりもして。
神域を囲む「御柱」に強力な呪(しゅ)を乗せる!?
大きな行事が中止となってしまうなんていうことは......
僕的には
「......やはりタケミナカタさんや
諏訪の神々にかけられた御柱の呪(しゅ)や封印は、
既に解けているのだろうか......
祭り無しで用意された柱は呪の力は全く無いだろうし。
今後また祭りが復活しても、
連綿と続いてきたものはここで一度完全に切れて、
今後の柱はまた違う意味やものとなって行くのかなぁ......」
なんていう、
ドアホなことを思ってしまったりなんかもするのですが。
しかし、更に面白かったのは、
そんなニュースが流れたタイミングで、
敬愛する「dajyuさん」から頂いたお話だったりもしまして。
dajyuさんは現在、
諏訪大社のお膝元に住まわれているということもあり、
その話は流石の詳しさとタイミングのお話でもありましたが。
以下にはその時のSNSでの会話を置いておこうかと思います。
dajyuさんの許諾も頂きましたので、
フワフワとした不思議話という程度で。
その辺は。
何卒なのです。(^^)
================================
「(前略)
茅野市から諏訪大社上社本宮へ向かう途上、
諏訪市に入ってしばらくすると、
岡谷方面への県道と左にそれて本宮の東門へ続く道との分岐があります。
ここが〝わかされ〟と呼ばれる場所。
ここを入ってすぐの左手、山肌への斜面に北斗神社はあります。
急斜面にずーっと長く石段が上っていて、
その先に祠が見えます。
「え、ここ登るん・・・」
そんな神社です。
(中略)
左手にある灯籠には寄進者として
「物部守貞」の名前が彫り込まれています。
ただこの人物が何者なのか、わかりません。
地元の在野研究家がいろいろと調べてらっしゃいますが、
それはさておき。
仏教を取り入れるかどうかで蘇我氏と争って失脚した
物部守屋を思い浮かべてしまう気持ちが大きくって...(ああ素人)。
(中略)
この北斗神社、祭神は天御中主神(アメノミナカヌシ)。
古事記では最初に現れた神とされています。
(日本書紀本文には記載がなく、最初に現れるのは国常立命)
この神さま、高天原に一番最初に出てきた、ということ以外、
全く記載がありません。謎の存在です。
というよりむしろ、神話を構成する上で、
後から象徴的に作られ、
置かれた神さまではないかという見方もあります。
ちょっとテキトーな感じもしますね。
(後略)」
「ココは神様の塚=墳墓です、ね(^ν^)」
「そうなんか?」
「この塚の主は諏訪の神様です。
ミナカヌシさんはまた別ですね。
北極星を象徴とするのは間違いないですが、
その実はDNAの神様です。
シンプルに言えば生命の起源神ですね」
「その諏訪の神様はタケミナカタ?
それともミシャグジ?
上社の本宮と前宮のちょうど中間くらいの場所にあるのが、
気になってきた...」
「タケミナカタさんです」
「彼は諏訪に逃げてきて、
最終的には天寿を全うしたのかなぁ。
あちこちに十五社というのがあって、
御子神と一緒に祀られてるんで、
結局は天津神に滅ぼされたのかなぁ。
それによって、お墓の見方も違ってくるよね?」
「まっとうしてますよ。
諏訪の王です。
封印はされました。
御柱祭は封印の呪ですから。
四つ柱も牢の呪です」
「“諏訪徒然” から “もののべ” まで急ぎ読みました。
タケミナカタだけでなくモレヤ神もミシャグジも、
全部ひっくるめて封印したわけね、
諏訪大社というところに。
そしたらなんでお墓とは違うとこなん?それと、
上社本宮の御柱の変な位置とは何か関係があるんかなぁ」
「神様はいつも “墓” と言わず “塚” と言っているのですが、
ピラミッド的な考え方で、
亡くなってもなお皆を守ってもらおう、、
天地からパワーをいただこう装置、、
という意味も含まれているかと。
現在のニュアンスでいう諏訪大社とは、
物部氏の系譜、神を封印した社達だと思います。
御柱祭の歴史も物部氏の滅亡後から始まっているはずです。
しかも、その最高、最大の聖地でありながら、
故に完全に隠された北斗神社......
タケミナカタさんの墳墓......には物部の碑がありますし。
本宮は変な位置でしたっけ?」
「本宮の御柱が変、というのは...
御柱四本に囲まれたエリアの、右側からお参りに入るのよね。
本来なら一の御柱と二の御柱の間、正面からお参りするよね。
それが本宮だけは一の御柱と四の御柱の間から入って、
しかも二と三の御柱の間に向かってお参りする。
だいたい本宮には本殿もないんやけどね」
「あー、、
変とはそういうことですねー」
「東の門だね。
あそこは二の御柱と三の御柱の間やねんなぁ。
本宮って本殿がないってさっき書いたけど、
普通お参りするのは幣拝殿に向かってするんやけど、
ご神体は守屋山。
そっちに向かうと勅願殿がある。
そうすると、
一とニの御柱の間から三と四の御柱の方向に向かって拝む形にはなるねん。
幣拝殿に向かって拝むとなると、
もしかすると北斗神社......塚に向かって拝むかたちかも」
「良い感覚っすー(^^)
そのとーりっすー」
「天津神の勢力が封じ込めたつもりでも、
地元の人たちは
柱の関係を無視して塚に向かって拝むようにしてる...」
「そうっす。そうっす。
最初に話した通りですよー
気付きません?
ここまで話して( ̄▽ ̄)ニヤリ
僕の話の証明が、
その入口疑問の中にあるわけです( ̄▽ ̄)
Googleマップとかで、
本宮のその方向を見てみてくださいませ。
すぐわかりますよー(^^)」
「そうなると、勅願殿...
帝とか実力者が自らの祈願をするには守屋山を拝ませるという形。
これまた諏訪の人々の魂胆か?」
「dajyuさーん。
もっと先っすよー、、、
その方向。
本宮の敷地の先っす。
何があります?
本宮は、しょせん、
後の為政者が立てたものですから。
住民の心は消せないわけです。
古来より、この国の人々は、
祭りの中に真実を隠してきました。
国家、為政者にわからないよう、
自分たちのルーツをしっかり守り伝えてきたのですね」
「えーっと、守屋山・森や神社とは違うのね」
「北斗神社っす。
そして、、、、」
「前宮」
「(^^)さらに、、、、、」
「富士山?」
「お疲れ様です(^^)
“鍔とアイヌ 13”」
「はー疲れた(笑)」
忘れえぬ、
2015年8月8日の諏訪。
写真は秋宮と諏訪湖と北斗神社と石碑、
北斗神社の背後にある巨石の塚!?でしょうか。
神々から聞くところによると!?
建御名方神(タケミナカタノカミ)さんと
建御雷神(タケミカヅチノカミ)さんは巨人だった!?
ようなのです......が......