以前「カフェ、時々自由」という記事にも記していた、
可愛い猫さんが現れる「高麗神社」さん。
次回はこの神社のお話あたりから始めようかと、
そう思っておりまする。
なにとぞ。ええ。ええ。(^^)
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高麗神社さんは前回記した巾着田(きんちゃくだ)から見ると
北東に位置しています。
風水的にはすぐ隣にある「聖天院(しょうてんいん)」さんと共に
鬼門=北東の守護に相当し、背後の山も小高く、
高麗川(こまがわ)の出入り口ともなっている場所なので、
この地に入り来るモノモノのチェックや警護も含めた
要害的な要素も備えていたとも思われます。
京都の町でいえば比叡山延暦寺。
東京の皇居でいえば、上野寛永寺といったところでしょうか。
特徴的なのは、渡来人の神社らしい外国情緒あふれる魔除の柱。
将軍標(しょうぐんひょう)というらしいです。
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主祭神さんは、
地名の元ともなっている高麗人(こうらいじん、こまじん)の
首長であった「高麗若光(こまのじゃっこう)」さん。
神社の由緒によれば、
西暦668年頃に朝鮮と中国で起きた高句麗軍(こうくりぐん)と
唐・新羅連合軍との戦いで高句麗が負け、滅亡。
この時、
王族を含む多くの高句麗人が日本に亡命して来たのだそうで、
それ以前から日本に移住していた同郷の人々と一緒になって、
若光さんを中心に、皆でこの地に移住してきた......
という歴史があるようです。
高麗(こま)とは高句麗のこと......
ということでしょうか。
彼らは稲作は勿論、
大陸の先進的な知識も沢山持っていたので、
当時の政権からは知恵袋的に重宝もされ、
政権への影響力も何かと強くい持ってもいたようです。
それで、このような素晴らしい土地を見出す力も、
手にする力もあったように推察されます。
そんな力が今に受け継がれているためなのか?
巾着田を含めたこの地の力が格別なためなのか?
この神社さんに参拝した後にこの国の総理大臣になったという方が、
かれこれ6人!を数えるのだとか。
歴代天皇の崇敬も厚く、長く、
各界の著名人の参拝も数多いと伺っています。
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数年前までよくいた猫さん。
最近は見かけなくて、ちと寂しいのですけど......
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境内からは神社横の山に登ることが出来て、
上には「水天宮」があります。
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祭神は「安徳天皇」さん。
大切な水の守り神として置かれていることは間違い無いのですが、
この地には、源氏に敗れ、
落ち逃れて来た平家の方々も幾人か住んでいたのではないかと。
ここで手を合わせると、
そんなことも感じさせられます。
高麗王......こまおう......コマノコニキシ......
と呼ばれる若光(じゃっこう)さんの墓所に関しては、
上記もした「聖天院」さんの方に有ります。
場所は高麗神社のほど近く。
出迎えてくれるのは迫力ある山門と仁王像。
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境内は小山の中腹なのでとても抜けの良い景色。
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コチラが高麗王さんの墓所。
「高句麗若光王陵」とあります。
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こちらのお寺さんも鬼門らしいナカナカのパワー。
山の気自体は神社さんよりコチラの方が荒く、強く。
結構クラクラします。
正確には秩父山系の山々の力がにじみ出ている感じ。
本殿裏手にある凝灰岩が露出した場所などは特に......故に!?
よく見れば不動明王さんも置かれていたりします。
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この高麗の地の中心的な存在となる日和田山(ひわださん)
の山中には金刀比羅神社(ことひらじんじゃ、こんぴらじんじゃ)
もあるのですが、由緒は全くの不明とのことで。
僕さん的には金刀比羅(金比羅、金毘羅、琴平)さんと言えば
大物主神(オオモノヌシノカミ)であり、
この地を与えてくれた奈良時代の政権中枢への気遣いと、
政権祭祀の中心となっていた奈良の三輪山の神様を
そのまま祭ったのだと思われます。
日和田山を古代大和国の聖なる山、
三輪山に見立てていたのかもしれません。
やはり何年か前の写真ですが、
山に登るには鳥居のあるこんな入口をくぐり......
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登ると眺望も素晴らしく。
富士山も見えるのです。(^^)
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巾着田の水車小屋のあたりと同じく、
天気がよければココは本当に素晴らしいスポット。
心身が綺麗に磨かれる様な感じ。
巾着田が地の気であれば、ここは天の気でしょうか。
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そんなこんなの諸々をプリプリと記しつつ、
せっかくなので次回は、
この地で一番のお気に入りスポットを記し残しておこうかと。
ま、フツーにカフェなんすけど。
コーヒー好きなもので。僕さん。ええ。
風水的には抜群の場所にあっちゃうの!
的な貴重なカフェさんでして。
超お気に入りなんす。ええ。
続きます。(^^)
可愛い猫さんが現れる「高麗神社」さん。
次回はこの神社のお話あたりから始めようかと、
そう思っておりまする。
なにとぞ。ええ。ええ。(^^)
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高麗神社さんは前回記した巾着田(きんちゃくだ)から見ると
北東に位置しています。
風水的にはすぐ隣にある「聖天院(しょうてんいん)」さんと共に
鬼門=北東の守護に相当し、背後の山も小高く、
高麗川(こまがわ)の出入り口ともなっている場所なので、
この地に入り来るモノモノのチェックや警護も含めた
要害的な要素も備えていたとも思われます。
京都の町でいえば比叡山延暦寺。
東京の皇居でいえば、上野寛永寺といったところでしょうか。
特徴的なのは、渡来人の神社らしい外国情緒あふれる魔除の柱。
将軍標(しょうぐんひょう)というらしいです。
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主祭神さんは、
地名の元ともなっている高麗人(こうらいじん、こまじん)の
首長であった「高麗若光(こまのじゃっこう)」さん。
神社の由緒によれば、
西暦668年頃に朝鮮と中国で起きた高句麗軍(こうくりぐん)と
唐・新羅連合軍との戦いで高句麗が負け、滅亡。
この時、
王族を含む多くの高句麗人が日本に亡命して来たのだそうで、
それ以前から日本に移住していた同郷の人々と一緒になって、
若光さんを中心に、皆でこの地に移住してきた......
という歴史があるようです。
高麗(こま)とは高句麗のこと......
ということでしょうか。
彼らは稲作は勿論、
大陸の先進的な知識も沢山持っていたので、
当時の政権からは知恵袋的に重宝もされ、
政権への影響力も何かと強くい持ってもいたようです。
それで、このような素晴らしい土地を見出す力も、
手にする力もあったように推察されます。
そんな力が今に受け継がれているためなのか?
巾着田を含めたこの地の力が格別なためなのか?
この神社さんに参拝した後にこの国の総理大臣になったという方が、
かれこれ6人!を数えるのだとか。
歴代天皇の崇敬も厚く、長く、
各界の著名人の参拝も数多いと伺っています。
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数年前までよくいた猫さん。
最近は見かけなくて、ちと寂しいのですけど......
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境内からは神社横の山に登ることが出来て、
上には「水天宮」があります。
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祭神は「安徳天皇」さん。
大切な水の守り神として置かれていることは間違い無いのですが、
この地には、源氏に敗れ、
落ち逃れて来た平家の方々も幾人か住んでいたのではないかと。
ここで手を合わせると、
そんなことも感じさせられます。
高麗王......こまおう......コマノコニキシ......
と呼ばれる若光(じゃっこう)さんの墓所に関しては、
上記もした「聖天院」さんの方に有ります。
場所は高麗神社のほど近く。
出迎えてくれるのは迫力ある山門と仁王像。
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境内は小山の中腹なのでとても抜けの良い景色。
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コチラが高麗王さんの墓所。
「高句麗若光王陵」とあります。
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こちらのお寺さんも鬼門らしいナカナカのパワー。
山の気自体は神社さんよりコチラの方が荒く、強く。
結構クラクラします。
正確には秩父山系の山々の力がにじみ出ている感じ。
本殿裏手にある凝灰岩が露出した場所などは特に......故に!?
よく見れば不動明王さんも置かれていたりします。
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この高麗の地の中心的な存在となる日和田山(ひわださん)
の山中には金刀比羅神社(ことひらじんじゃ、こんぴらじんじゃ)
もあるのですが、由緒は全くの不明とのことで。
僕さん的には金刀比羅(金比羅、金毘羅、琴平)さんと言えば
大物主神(オオモノヌシノカミ)であり、
この地を与えてくれた奈良時代の政権中枢への気遣いと、
政権祭祀の中心となっていた奈良の三輪山の神様を
そのまま祭ったのだと思われます。
日和田山を古代大和国の聖なる山、
三輪山に見立てていたのかもしれません。
やはり何年か前の写真ですが、
山に登るには鳥居のあるこんな入口をくぐり......
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登ると眺望も素晴らしく。
富士山も見えるのです。(^^)
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巾着田の水車小屋のあたりと同じく、
天気がよければココは本当に素晴らしいスポット。
心身が綺麗に磨かれる様な感じ。
巾着田が地の気であれば、ここは天の気でしょうか。
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そんなこんなの諸々をプリプリと記しつつ、
せっかくなので次回は、
この地で一番のお気に入りスポットを記し残しておこうかと。
ま、フツーにカフェなんすけど。
コーヒー好きなもので。僕さん。ええ。
風水的には抜群の場所にあっちゃうの!
的な貴重なカフェさんでして。
超お気に入りなんす。ええ。
続きます。(^^)
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