雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

日本中央 3

2012-10-23 00:10:48 | 面白い
それが......「Ley Line = レイ・ライン」です。。

つづくのだ!じゃじゃーーん!(><)/




知っている方もいるとは思いますが
「レイ・ライン」というのはイギリスで生まれた考古学「的」な言葉です。
幾つかの古代遺跡が何故か?一直線場に並んで存在していることがあり、
そこには何らかの意味があるのではないか......
というような「線」のことを言います。
「的」と記したのは、
考古学としては正式に認められているような話しではないからです。
そこは誤解無く......ということですが、ただ、なにやら面白く、
コレまた浪漫のある話しじゃね!?
という感じではあります。はい。
仮にこの話しを、騙されたと思って正面から受け止めて。
改めて日本という国をグーグル・マップなどで上から見てみますと、
そこには何やらとても面白い「レイライン」が幾つか浮かび上がってきます。



その内の一つ。
今回は、前回記した「原初」大和政権伝説の残る
「弊立神宮」をスタート地点にしたレイラインを辿ってみます。



「幣立神宮」から太陽の昇って来る東の方向に線を引いていってみると......
先ず高千穂神社に当たります。
そして、その先には数々の伝説を有するミステリアスな四国一の霊山「剣山」
さらに四国とは「空海」でも繋がる紀伊半島中ほどの「高野山」を通り、
その道の?人々?では「日本三大弁財天」中最強!?
と噂される「天川大辨財天社」
その先は、伊勢からの熊野への玄関口に当たり、
伊勢内宮の「隠宮=かくりみや」と目される神秘の「瀧原宮」に重なります。

ココ迄でも相当スゴイのに、
その先には言わずと知れた「伊勢神宮」があり。
神宮の全ての神事に欠かせない大切な「塩」を作る重要な摂社である
「御塩殿神社=みしおどのじんじゃ」も通って、
伊勢の海の玄関口、「夫婦岩」で有名な二見浦の
「二見輿玉神社=ふたみおきたまじんじゃ」へと、
このレイ・ラインは抜けていきます。
夫婦岩は伊勢の地において夏至の日に
天照大御神=太陽が最初に登って来る場所でもあります。

そこからさらに太陽が登る方向に目をやると、
海越しに見えるのは......日本一の霊峰「富士山」
富士山へ伸びる線の途中には「豊川稲荷」もあります。

その「富士山」から、
さらに太陽の登る方向を追いかけて眺めて見ると、
そこには「明治神宮」があり「皇居」までもがあるではあーりませんか......



なーんてこった(@.@)



そして皇居から更に太陽の出所を追いかけていってみると......
「香取神宮」があり最終的に大海原、
太平洋へと突き当たる場所には「鹿島神宮」があります。
あまり知られていませんが、鹿島神宮の「一の鳥居」というのは、
実は皆が参拝する本殿からは遠く離れて、
鹿島灘の海に面した砂浜に立っています。
僕に連れて行かれた人も何人かいるとは思いますが......ここです。
美しい。
マニア向け。。



ここは本州において
太陽の光が「最初に」差し込んでくる場所の一つでもあります。
本州で一番日の出時刻が早いとされている鹿島のほど近くにある千葉県犬吠埼や、
本州最東端の地である、
岩手県宮古市にある「とどヶ崎」などと比べてもさほど変わりません。
そこに鹿島神宮の一の鳥居が太平洋に向かって、
海原から太陽を迎え入れる様にして立っています。



これが日本のレイ・ラインの一つ。



あぁ、浪漫。



不思議なのは、
記した様にこの線上には最近流行の言葉でいう「パワースポット」、
それも超一級のスポットがズラリと並んでいるのです。
中には超一級どころか、弊立神宮や天川大弁財天などは
ココに書くこともはばかれる様なトコロでもありまして……
決して

「ごりやくごりやくーぅ ( ´ ▽ ` )ノ 」

などと迂闊に行ってはいけないようなところです。はい。
何卒。お気をつけを。
そしてさらに面白いのはこの線が、地質学的に言う、いわゆる
「中央構造線=メディアンライン」
といわれる日本列島の大断層帯と「ほぼ」重なっていると言う事実です。
地球プレートの境目から湧き出る大地の力と、天を渡る太陽の力。
その双方が注がれて走っている線、地点......そんなふうにも見えます。
そりゃ確かにパワーはあるかもしれません。



高千穂から太陽の昇る場所を遥々と追いかけて行ってみたら、
鹿島神宮に突き当たり。
そして「東北」というのはさらにその先にある土地、国です。
記した様に「本州最東端」の地、岩手県、とどヶ崎もそこにあります。



東北というのは古代大和から見て日が昇ってくる国......



それは日の本の国。



もしかしたら「ひのもと」と呼ばれていた可能性もあるのです。



あぁ、浪漫。



そしてさらには、
日本の国号というのはいつ正式に「日本」と定まったのか?
その言葉は本当のところ「何処から」来たのか。
「日本中央」と記された東北に眠る伝説の石碑の話も、
ココ迄来てしまうと、
必然的にそんなことにも思いは馳せられていくのでございます......
次回最終回!(゜0゜)/......のハズ......



鹿島神宮、奥宮。まさに聖地。
僕に一の鳥居にまで付き合わされてしまう友達Jさんと撮影したとある日の写真(^^)
鹿島神宮というのは古代大和政権からみて
蝦夷地(えぞち)の入り口にあたります。
田村麻呂の東征の際も
「日の本の国、蝦夷」
を望む朝廷軍の重要な軍事拠点でもありました。
祀神が最強の武神「タケミカズチノカミ」とされている理由の「一つ」でもあります。


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