デビット・フィンチャー監督。
「ベンジャミン・バトン」
フィッツジェラルド原作の、
映画史に刻まれるであろう素晴らしい映画なので、
ネタバレ的な事は勿論書けませんが、
沢山ある印象的なシーンの中で、少しだけ......
いつか見てくれるであろう、大切な人のために。
主人公は、老人として生まれ、
月日とともに若返っていく
「奇妙な運命」のもとに生まれた男、ベンジャミン。
ヒロインは普通に年を重ねていく美しいダンサーのデイジー。
生まれながらに全てが「老人そのもの」だったベンジャミンと、
普通の子供であったデイジーは、
二人共に「幼い頃」に出会います。
その後の二人の人生は、
流れる時間が「真逆」になっているので、
一つの交差点に正反対の方向から歩いていく......
といったような物語になっていきます。
片や若返り、片や年老いていく......
ちょうどその二つの道が出会い、交じる交差点の中央。
二人共に43才ぐらいの時。
数奇な運命を辿り、ようやく二人は一緒に暮らすことになりました。
年を重ね、でも女性として幸せいっぱいの中にいるデイジーは、
なんだか寂しそうにしているベンジャミンにこう話しかけます。
「......何? 。。何を考えてるの?」
日々若返っていく自分の体を思いながら、
ベンジャミンはこう答えます。
「ん、、永遠は無いんだなって。。残念だけど。。」
「いいえ、あるわ」
そういうデイジーに、
これから先の自分の運命を予期したかのようなベンジャミンは、
寂しそうに、でも、ニコッと笑ってデイジーにこう言います。
「......おやすみ、デイジー」
「おやすみ、ベンジャミン」
デイジーは幸せそうに、そう答えました。
その時彼らの部屋でついているテレビはモノクロで、
そこではビートルズが「ツイスト&シャウト」を歌ってました。
それからまた月日は流れます。
家を出て、たった一人、
若々しく世界を放浪しながら暮らすベンジャミンが、
デイジーとの間にもうけた娘に手紙を出します。
娘はちょうど大人になろうとしている頃。
その最愛の娘に宛てた手紙にはこう記されていました。
「......遅すぎる事は何も無い。
僕は早過ぎか。。
望みはきっと叶う。
いつ始めてもいいんだ。
君は何時でも変われる。
変わらないままでいるのも自由だ。
最高でも最悪でもいい。
勿論、最高の方がいいが。。。
驚きを目にして、
感じた事の無い事を感じて、
様々な価値観と、人に触れてほしい。
誇りを持って生きて欲しい。
もし君が道を見失ったら、
自分の力で、、、もう一度、、、やり直せばいい」
止まることのない月日は、また悠々と、遠々と流れていきます。
年老いてしまったデイジーは、
その頃はもう青年の様に増々若返ってしまっているベンジャミンに
こう言います。
「......永遠など無いわ」
青年のようなベンジャミンは年老いたデイジーにこう返します。
「あるよ」
デイジーは少し微笑みます。
「......おやすみ、ベンジャミン」
「おやすみ、デイジー」
映画はこの後も、
印象的なラストに向かい深いドラマを紡いでいきますが、
そこに描かれていることには、
沢山の意味や意図が込められているように思われます。
劇中でベンジャミンも言っていたかもしれませんが、
中でも一つ僕が思うのは、年をとることと、
若返ることとはあまり大きな違いは無いのではないか......
ということ。
僕の奥さんは同い年です。
大卒後10年務めた会社の同期の女性です。
そして、今日は彼女の誕生日。
デイジーとベンジャミンと違って、
全く同じに、一緒に歳をとれる事がとても幸せな事に思えています。
だから、何の変哲もないありきたりの言葉だけど、
多くの気持ちを込めて、
今夜ぐらいはちゃんと彼女にこう言おうと思っています。
「おやすみ」
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キッチンのひまわり。
とても好きなのだそうで。。
「ベンジャミン・バトン」
フィッツジェラルド原作の、
映画史に刻まれるであろう素晴らしい映画なので、
ネタバレ的な事は勿論書けませんが、
沢山ある印象的なシーンの中で、少しだけ......
いつか見てくれるであろう、大切な人のために。
主人公は、老人として生まれ、
月日とともに若返っていく
「奇妙な運命」のもとに生まれた男、ベンジャミン。
ヒロインは普通に年を重ねていく美しいダンサーのデイジー。
生まれながらに全てが「老人そのもの」だったベンジャミンと、
普通の子供であったデイジーは、
二人共に「幼い頃」に出会います。
その後の二人の人生は、
流れる時間が「真逆」になっているので、
一つの交差点に正反対の方向から歩いていく......
といったような物語になっていきます。
片や若返り、片や年老いていく......
ちょうどその二つの道が出会い、交じる交差点の中央。
二人共に43才ぐらいの時。
数奇な運命を辿り、ようやく二人は一緒に暮らすことになりました。
年を重ね、でも女性として幸せいっぱいの中にいるデイジーは、
なんだか寂しそうにしているベンジャミンにこう話しかけます。
「......何? 。。何を考えてるの?」
日々若返っていく自分の体を思いながら、
ベンジャミンはこう答えます。
「ん、、永遠は無いんだなって。。残念だけど。。」
「いいえ、あるわ」
そういうデイジーに、
これから先の自分の運命を予期したかのようなベンジャミンは、
寂しそうに、でも、ニコッと笑ってデイジーにこう言います。
「......おやすみ、デイジー」
「おやすみ、ベンジャミン」
デイジーは幸せそうに、そう答えました。
その時彼らの部屋でついているテレビはモノクロで、
そこではビートルズが「ツイスト&シャウト」を歌ってました。
それからまた月日は流れます。
家を出て、たった一人、
若々しく世界を放浪しながら暮らすベンジャミンが、
デイジーとの間にもうけた娘に手紙を出します。
娘はちょうど大人になろうとしている頃。
その最愛の娘に宛てた手紙にはこう記されていました。
「......遅すぎる事は何も無い。
僕は早過ぎか。。
望みはきっと叶う。
いつ始めてもいいんだ。
君は何時でも変われる。
変わらないままでいるのも自由だ。
最高でも最悪でもいい。
勿論、最高の方がいいが。。。
驚きを目にして、
感じた事の無い事を感じて、
様々な価値観と、人に触れてほしい。
誇りを持って生きて欲しい。
もし君が道を見失ったら、
自分の力で、、、もう一度、、、やり直せばいい」
止まることのない月日は、また悠々と、遠々と流れていきます。
年老いてしまったデイジーは、
その頃はもう青年の様に増々若返ってしまっているベンジャミンに
こう言います。
「......永遠など無いわ」
青年のようなベンジャミンは年老いたデイジーにこう返します。
「あるよ」
デイジーは少し微笑みます。
「......おやすみ、ベンジャミン」
「おやすみ、デイジー」
映画はこの後も、
印象的なラストに向かい深いドラマを紡いでいきますが、
そこに描かれていることには、
沢山の意味や意図が込められているように思われます。
劇中でベンジャミンも言っていたかもしれませんが、
中でも一つ僕が思うのは、年をとることと、
若返ることとはあまり大きな違いは無いのではないか......
ということ。
僕の奥さんは同い年です。
大卒後10年務めた会社の同期の女性です。
そして、今日は彼女の誕生日。
デイジーとベンジャミンと違って、
全く同じに、一緒に歳をとれる事がとても幸せな事に思えています。
だから、何の変哲もないありきたりの言葉だけど、
多くの気持ちを込めて、
今夜ぐらいはちゃんと彼女にこう言おうと思っています。
「おやすみ」
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キッチンのひまわり。
とても好きなのだそうで。。
ニューシネマパラダイスに関しては「愛そのもの」という7月22日の過去記事で一度記しました。
同じく以前「プロメテウスと2001年」という記事で記していますが、仕事柄映画は途方も無く!?見ていまして、このブログの過去ログにも映画記事は結構あると思います。何作か色々と関わったり作ったりもしました。
ホラーもしっかり作られているものは「傑作」が多いですよね。「死の王」は見ていないので早速見てみます!また面白いのあったら是非教えて下さい(^^)
私の友人も、この映画の感想をブログに書いていました!
それから気になってるんですが、私はまだ観てません……
私の一番好きな映画は、『明日を夢見て』というイタリア映画です。
『ニューシネマパラダイス』や『海の上のピアニスト』で有名な、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品です。
監督とは月日だけですが誕生日がおなじで、尊敬するかたと一緒に歳を重ねられる不思議に浸ってます。
ちなみに、私はホラーも大好きで、現在警察に監視されて撮れないくらいエグイ作品を撮る、ドイツのユルグ・ブットゲライト監督の作品では、『死の王』がすごく好きです。