「クリコ」さんという方がいらっしゃいまして。
先日、某イベントの現場でご一緒させていただきました。
聞けば、本名は保森千枝(やすもりちえ)さんとのことで、
料理研究家であり、「介護食アドバイザー」
という仕事を主軸に活躍されているのだそうです。
僕にとっては耳慣れない「介護食アドバイザー」なる言葉の意味は、
イベントでの彼女のトークパートで知ることが出来ました。
クリコさんの考案している「介護食」というのは、
咀嚼がうまくできない人のために考えられたものなのだそうで、
流動食しか食べられないような人に
食べやすくしてあるのは勿論のこと、その上で、
見た目や味や食感も、出来る限り普通の食事と
変わらなく感じられる工夫がなされているものなのだそうです。
健康な方が日頃食べる食事と同じように食欲がそそられ、
食べることが楽しくなるような、
食べることに喜びを感じられるような、
そんなモノを提供することに全力を注いだメニュー、レシピ......
というものらしいのです。
イベントではクリコさんがそんな料理を作り始めた
キッカケの物語をスピーチされていました。
そのキッカケというのは、互いに働き盛りで、
とても楽しい毎日を一緒に仲良く送っていた最愛の夫が、
ある日、口腔底ガンにかかってしまったことによる様でした。
そこから、壮絶な、
夫婦の癌との闘いの毎日が始まったのだそうです。
夫の「アキオ」さんは優秀な新聞記者さんだったそうで。
常に活動的で明るく、勤勉で前向きな人だったそうです。
それは癌になった後でもまったく変わらず。
どんな時も希望を捨てず。
明るく、楽しく。
奥さんのクリコさんに辛い思いをさせないように心を使い、
気を張りながら生きていたのだそうです。
クリコさんは、そんな夫に、
自分の方が何度も何度も励まされてきた、と、言っていました。
ここまでの文章が過去形となっているのは、
そんなアキオさんも病気の発症から一年ほどたった
2012年の11月に、この世を去ったのだそうです。
アキオさんはガンの発症後もしっかりと記者業を続け、
周囲の心配をものともせず。
死の直前まで「自分の天職」
とも語っていた仕事を全うしていたそうです。
アキオさんは食べることがとても好きな方だったようなのですが、
手術で舌の一部を含む口の中の大部分を切除され、
残ったのは奥歯一本。
病院に入院していた時に出されていた食事はドロドロとした流動食で、
食欲も沸きにくく。
気がつくと体重も7キロほど落ちてしまっていたそうです。
沢山食べて、一日でも早く回復してほしいと願っていたクリコさんは、
そんな夫の姿を見て、たまりかねてこんなことを言ったのだそうです。
「どうして食べられないの?」
クリコさんは自分でもその流動食を味見してみたらしいのですが、
それは、見た目は勿論、味も想像以上においしいものではなく。
しかも、下あごに麻痺も残っていた夫は、
そんな食べ物でも、スプーンをひとくち、口に運ぶ毎に、
体の中に流し込めていのるか?どうか?を、
いちいち確認しなくてはいけないような状態だったのだそうです。
1食を終えるのに、いつも1時間半ほどかかっていたようで、
その時、クリコさんはこう思ったそうです......
「退院したら、私が3食、おいしいものを食べさせないと」
その通り、クリコさんは夫が退院した後、
とにかく彼に美味しいものを食べさせてあげようと、その一心で、
噛む力が無くても美味しく食べられる食事の開発に
猛烈な努力と研鑽を重ねたようでした。
そして、見た目も味も通常的な食事と変わらないような
奇跡的なメニューを幾つも作り出していきました。
アキオさんが自宅療養に入った最初のころ。
クリコさんが懸命に作ったおかゆを食べれない、と、
残してしまったこともあったそうです。
その時は、介護疲れのピークと、
常に様々な不安にさいなまれていた心とが重なり、
クリコさんは夫にこんなことを言ってしまったのだそうです......
「なぜそんなわがままを!」
アキオさんはこう答えたそうです......
「手術した口の中の状況が傷の回復とともに毎日変わるようで、
昨日食べられたものが今日食べられないんだ......」
口の中の状況が変わる......
クリコさんは想像もしていなかった夫のこの言葉に衝撃を受け、
同時に、夫が健人には想像も出来ないほどの苦しい状況の中で
生きていることを強く感じたのだそうです。
「余裕を失っていたとはいえ、
苛立ってしまった自分にとても後悔をしました、、、」
クリコさんは、そう語っていました。
そんな状況や思いの中で作ってきたクリコさんの介護食の数々や、
メニュー開発の物語は、既に本としても世に沢山出ているとのことで。
今や、多くの方々に喜びや力を与えてもいるようでした。
その日、僕が拝聴させていただいた講演のような仕事に関しても、
今や、多くの方々に喜びや力を与えてもいるようでした。
その日、僕が拝聴させていただいた講演のような仕事に関しても、
アチコチから引っ張りだこの様子で、
毎日忙しく過ごされているようでもありました。
クリコさんのこんなお話の中で、
この日、僕がとても印象に残った言葉が一つありました。
それは、余命いくばくとなってしまった夫のアキオさんが、
死の直前に、
毎日、毎日、一生懸命、
世話や看病をしてくれていたクリコさんに言った感謝の言葉。
「僕の人生は圧倒的に幸せだった」
クリコさんは、この言葉に涙した、、、と、言っていました。
その言葉は大切な宝物として、
クリコさんの胸に今も仕舞われている様でした。
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死を考える時、
命とは強く、儚いものなのだ、と。
あらためて、痛切に思うのです。
圧倒的な幸せ・・・
私も家族にそう感じてもらえるように生きて行きたいです。
そして、私自身も、圧倒的に幸せだったと思って死んでいきたいです。
心にグッときたお話をありがとうございます。