「知恩院徒然」という前回記事の中で、
今度はエリオットさんから
「曹洞宗=そうとうしゅう」にまつわるコメントをいただきまして。
それでまた、ふと......思いつき。
今日はその曹洞宗の大本山
「永平寺=えいへいじ」さんの徒然お散歩話を記すことにしました(^^)
永平寺さんは福井県、吉田郡の深い山奥にあって、
曹洞宗の開祖「道元=どうげん」さんが自ら開いたという大本山です。
現在、曹洞宗の大本山は2つあって。
もう1つは神奈川県、鶴見区にある
「總持寺=そうじじ」となるのですが、
僕が個人的に抱く感覚としては永平寺が会長さん的で陰。
總持寺が社長さん的で陽......みたいな感じでしょうか。
「陰」というのは、もしかしたら人によっては暗いとか、
黒いとか、ネガティブ......
みたいなイメージで捉えられることもあるのかもしれませんが、
本来は万物を生み出す根元のエナジーであったり、
創造の源的的な力を指すものです。
永平寺さんというのは、
そんな重厚で深遠な空気を深々と湛えているようなお寺さんです。
入口付近のこの池の辺りもかなり特別な「気」が漂っています。
霊気というのは、どーも、冷気でもあって。
昨今ではレイキなどと言う様な表現も見かけたりするわけですが、
やはり、暖かいポカポカ空気の中でで過ごしていると、
人間、どこかがユルム様なこともあるわけで。
それが暖かさの良いところでサイコーなところでもありますが、
何かをストイックに
「掴もう!修行しよー!」
......なんていう時は、涼しく、
寒い気候の方が集中力は増して来るのかもしれません。
パソコンや車のエンジンに冷却装置が付き物であるということと同様に、
情熱や思考、熱き心の生み出す熱を冷ましてくれる様なバランスが
とても大切なのでしょうか。
永平寺さんは、
そんな「ホンモノのレイキ」が満ち溢れる類稀なるスポットです。
風水的な見方をしても、
前回記した知恩院さん同様に、
ココもまた素晴らしい土地のように思われます。
何が特別か?って、やはり、アノ、
偉大なる霊峰「白山=はくさん」の「気」が、
タダでさえ凄いこの地のパワーの裏にビシッ!
っと寄り添って流れ込んでいるというトコロでしょうか。
お寺へ入る道中の所々でも、
そんな白山の美しき姿が遠くにチラリと見えるような場所がいくつもあって。
そこがまた、ヤベー感じでありまする。
そして、何と言っても、
このお寺を特別な場所としているのは......
個人的には.......ココ.......
勅使門(ちょくしもん)!!の圧倒的な並木道......
この門のある場所は普段は禁足地で、
ここで修行をしている僧侶の皆さんでも
この門を潜ることはできないようなのですが、
門のほど近くまでは皆が入れるようにしてくれていて。
その参道の入り口から立入禁止札の辺りまでの地の力、空気といったら、
もう......
全身に鳥肌がブワワワアァァァァ.......と立ちまくってしまう、
ちょっと衝撃的なレベル。
この地に初めて踏み入った時、僕は、もう、ただただボーゼンと、
立ち並ぶ巨木さん達の下で10分ぐらい立ちすくんでしまいました。
正真正銘のパワースポット。
やがて見えてきた自分を取り囲む恐ろしいくらいのチカラの正体は、
全てをリセットしてくれるようなキレッキレのストイックな霊気。
冷気。レイキ......それは凄烈(せいれつ)ではなく
「清烈」という表現がしっくりくるような感じで、
とても清くて、烈火のごとき強さ。
こんな感覚を感じられるような場所は全国でもそうはないと思います。
この地を選んだ、
選ぶコトの出来た道元さんという人はいったいどれくらい
素晴らしい方だったのでしょうか。
ストイックで情熱的で、烈士のごとく強い方だったのでしょうか。
なんだか感動してしまいます。
中も感動的な雰囲気っす。。
永平寺さんでは今もとても多くの僧侶の皆さんが修行しています。
そんな修行僧さんたちを禅寺では雲水(うんすい)と呼ぶのですが、
そんな雲水の皆さんの修行している姿を間近くで感じることができるのも、
このお寺さんの魅力の一つかもしれません。
やはり、というか、
大切な場所には神社さんもしっかりとあります。
僕的にはこの場所も外せないのです。
宋という、かつての中国にあった国に渡り修行を積んでいた道元さんは、
年老いて、修行も進んでいるのに尚、
若い修行僧達の食事の世話や下働きを黙々とこなしている
老典座(ろうてんぞ)さんに
「なぜあなたはいつまでもこんなことをしているのか?」
「あなたほどの人なら座禅を組んだり、本を読んだり、
もっと高位の修行が出来るはずだが......」
「なぜそうしないのか?」
という様なことを尋ねたのだそうです。
その老典座さんは、最初その質問には答えず、時を経て、
再び道元さんに聞かれた時に初めて、
こんなことを答えたのだそうです。
「本当の文字とは、一二三四五。
本当の修行とは偏界曾て蔵さず(へんかいかつてかくさず)」
———————この世界に存在しているもの全てが修行の対象であり、
真理を語っているものである—————————
的な意味でしょうか。
道元さんはこの時初めて開眼した......
というようなことが伝えられています。
物事の「価値」を勝手に付けていた
自分自身の愚かさに気づいたといいます。
ある時、時の執権(しっけん)北条時頼(ほうじょうときより)に請われ、
道元さんは鎌倉幕府に先生として赴いたそうです。
その時、時頼に
「仏法の心を歌で詠んでください」
と言われた道元さんは、有名な、こんな詩を残しています。
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」
全て、そのまま。
全て、受け入れる。
無為自然。
この世界そのもの全てが修行であり、法である。
修行というものは、別に、
出家して、寺で修行する様な人にならずとも出来ること。
街で普通に暮らしていようとも、
遊んでいようとも、
働いていようとも、
スポーツをしていようとも、
買い物をしていようとも、
会社員をしていようとも、
画家をしていようとも、
農業を営んでいようとも、
修行というのはそんな自分が関わる全てのことの中に含まれていて。
だからこそ全てにちゃんと向き合い、
打ち込むことこそが修行なのだ、と。
生きることそのものが修行なのだと。
生きとし生けるもの全てが修行しているようなものなのだ、と。
道元さんは、
そんなことを今の世にも伝えているようにも思えます。
僕にはそんな道元さんの人間力や心そのものが、
永平寺を包む力や空気となっているようにも感じられるのです。
この地の清烈さを守っているのだとも思うのです。
永平寺とは、僕にとってそんなことを再認識させてくれる
「先生のような」お寺さんなのです(^^)
実は......勅使門と並び、
永平寺で僕が釘付けになってしまった場所というのが、ここ。
永平寺の中にある「白山水」という水場。
どうも、ここは水が湧いているところらしく、
永平寺の中で使われる水のほとんどがここの水らしいのです。
ここは本当に独特で、とても鋭い気を放ちつつ、
しかし深い優しさにも満ち満ちています。
神道の神様では
「くらおかみ=闇淤加美=闇龗」の神.......
といった感じでしょうか。
やはり、僕は立ちすくんだまま、
しばらく動けなかった場所です(^^)
今度はエリオットさんから
「曹洞宗=そうとうしゅう」にまつわるコメントをいただきまして。
それでまた、ふと......思いつき。
今日はその曹洞宗の大本山
「永平寺=えいへいじ」さんの徒然お散歩話を記すことにしました(^^)
永平寺さんは福井県、吉田郡の深い山奥にあって、
曹洞宗の開祖「道元=どうげん」さんが自ら開いたという大本山です。
現在、曹洞宗の大本山は2つあって。
もう1つは神奈川県、鶴見区にある
「總持寺=そうじじ」となるのですが、
僕が個人的に抱く感覚としては永平寺が会長さん的で陰。
總持寺が社長さん的で陽......みたいな感じでしょうか。
「陰」というのは、もしかしたら人によっては暗いとか、
黒いとか、ネガティブ......
みたいなイメージで捉えられることもあるのかもしれませんが、
本来は万物を生み出す根元のエナジーであったり、
創造の源的的な力を指すものです。
永平寺さんというのは、
そんな重厚で深遠な空気を深々と湛えているようなお寺さんです。
入口付近のこの池の辺りもかなり特別な「気」が漂っています。
霊気というのは、どーも、冷気でもあって。
昨今ではレイキなどと言う様な表現も見かけたりするわけですが、
やはり、暖かいポカポカ空気の中でで過ごしていると、
人間、どこかがユルム様なこともあるわけで。
それが暖かさの良いところでサイコーなところでもありますが、
何かをストイックに
「掴もう!修行しよー!」
......なんていう時は、涼しく、
寒い気候の方が集中力は増して来るのかもしれません。
パソコンや車のエンジンに冷却装置が付き物であるということと同様に、
情熱や思考、熱き心の生み出す熱を冷ましてくれる様なバランスが
とても大切なのでしょうか。
永平寺さんは、
そんな「ホンモノのレイキ」が満ち溢れる類稀なるスポットです。
風水的な見方をしても、
前回記した知恩院さん同様に、
ココもまた素晴らしい土地のように思われます。
何が特別か?って、やはり、アノ、
偉大なる霊峰「白山=はくさん」の「気」が、
タダでさえ凄いこの地のパワーの裏にビシッ!
っと寄り添って流れ込んでいるというトコロでしょうか。
お寺へ入る道中の所々でも、
そんな白山の美しき姿が遠くにチラリと見えるような場所がいくつもあって。
そこがまた、ヤベー感じでありまする。
そして、何と言っても、
このお寺を特別な場所としているのは......
個人的には.......ココ.......
勅使門(ちょくしもん)!!の圧倒的な並木道......
この門のある場所は普段は禁足地で、
ここで修行をしている僧侶の皆さんでも
この門を潜ることはできないようなのですが、
門のほど近くまでは皆が入れるようにしてくれていて。
その参道の入り口から立入禁止札の辺りまでの地の力、空気といったら、
もう......
全身に鳥肌がブワワワアァァァァ.......と立ちまくってしまう、
ちょっと衝撃的なレベル。
この地に初めて踏み入った時、僕は、もう、ただただボーゼンと、
立ち並ぶ巨木さん達の下で10分ぐらい立ちすくんでしまいました。
正真正銘のパワースポット。
やがて見えてきた自分を取り囲む恐ろしいくらいのチカラの正体は、
全てをリセットしてくれるようなキレッキレのストイックな霊気。
冷気。レイキ......それは凄烈(せいれつ)ではなく
「清烈」という表現がしっくりくるような感じで、
とても清くて、烈火のごとき強さ。
こんな感覚を感じられるような場所は全国でもそうはないと思います。
この地を選んだ、
選ぶコトの出来た道元さんという人はいったいどれくらい
素晴らしい方だったのでしょうか。
ストイックで情熱的で、烈士のごとく強い方だったのでしょうか。
なんだか感動してしまいます。
中も感動的な雰囲気っす。。
永平寺さんでは今もとても多くの僧侶の皆さんが修行しています。
そんな修行僧さんたちを禅寺では雲水(うんすい)と呼ぶのですが、
そんな雲水の皆さんの修行している姿を間近くで感じることができるのも、
このお寺さんの魅力の一つかもしれません。
やはり、というか、
大切な場所には神社さんもしっかりとあります。
僕的にはこの場所も外せないのです。
宋という、かつての中国にあった国に渡り修行を積んでいた道元さんは、
年老いて、修行も進んでいるのに尚、
若い修行僧達の食事の世話や下働きを黙々とこなしている
老典座(ろうてんぞ)さんに
「なぜあなたはいつまでもこんなことをしているのか?」
「あなたほどの人なら座禅を組んだり、本を読んだり、
もっと高位の修行が出来るはずだが......」
「なぜそうしないのか?」
という様なことを尋ねたのだそうです。
その老典座さんは、最初その質問には答えず、時を経て、
再び道元さんに聞かれた時に初めて、
こんなことを答えたのだそうです。
「本当の文字とは、一二三四五。
本当の修行とは偏界曾て蔵さず(へんかいかつてかくさず)」
———————この世界に存在しているもの全てが修行の対象であり、
真理を語っているものである—————————
的な意味でしょうか。
道元さんはこの時初めて開眼した......
というようなことが伝えられています。
物事の「価値」を勝手に付けていた
自分自身の愚かさに気づいたといいます。
ある時、時の執権(しっけん)北条時頼(ほうじょうときより)に請われ、
道元さんは鎌倉幕府に先生として赴いたそうです。
その時、時頼に
「仏法の心を歌で詠んでください」
と言われた道元さんは、有名な、こんな詩を残しています。
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」
全て、そのまま。
全て、受け入れる。
無為自然。
この世界そのもの全てが修行であり、法である。
修行というものは、別に、
出家して、寺で修行する様な人にならずとも出来ること。
街で普通に暮らしていようとも、
遊んでいようとも、
働いていようとも、
スポーツをしていようとも、
買い物をしていようとも、
会社員をしていようとも、
画家をしていようとも、
農業を営んでいようとも、
修行というのはそんな自分が関わる全てのことの中に含まれていて。
だからこそ全てにちゃんと向き合い、
打ち込むことこそが修行なのだ、と。
生きることそのものが修行なのだと。
生きとし生けるもの全てが修行しているようなものなのだ、と。
道元さんは、
そんなことを今の世にも伝えているようにも思えます。
僕にはそんな道元さんの人間力や心そのものが、
永平寺を包む力や空気となっているようにも感じられるのです。
この地の清烈さを守っているのだとも思うのです。
永平寺とは、僕にとってそんなことを再認識させてくれる
「先生のような」お寺さんなのです(^^)
実は......勅使門と並び、
永平寺で僕が釘付けになってしまった場所というのが、ここ。
永平寺の中にある「白山水」という水場。
どうも、ここは水が湧いているところらしく、
永平寺の中で使われる水のほとんどがここの水らしいのです。
ここは本当に独特で、とても鋭い気を放ちつつ、
しかし深い優しさにも満ち満ちています。
神道の神様では
「くらおかみ=闇淤加美=闇龗」の神.......
といった感じでしょうか。
やはり、僕は立ちすくんだまま、
しばらく動けなかった場所です(^^)
永平寺ってこんな凄いお寺だったんですね。
夫の実家が曹洞宗で、何年前か忘れたくらい昔、父(義父)の納骨に永平寺へ行きました。
静寂な山の中に豪壮な建物がたくさんあったという記憶がありますが、部屋の中でじっと待っていたりしたので、よくわかりませんでした。
でも、後ろから2番目の写真の、階段状の回廊はとても印象に残っています。
また行ってみたくなりました。
こんなきれいな格天井もあったのですね。
ところで、私の実家は真言宗ですが、うちは何宗になるんだろう?
実家のお寺は両方ともとても遠くて関係もないから、明日私が死んだら、夫は葬儀屋さんに紹介された近くの曹洞宗のお寺に頼むのかなあ?
曹洞宗のお葬式って、途中でカネ(?)や太鼓を叩いてにぎやかですね。
少し前に夫と一緒のお墓はイヤというような話題が賑わったことがありますが、これから葬儀やお墓ってどうなるのでしょう。真剣に考えなくては。
とまた、話がそれてゆきますが、
「全て、そのまま。 全て、受け入れる」
受け入れられないことは多くて難しいけれど、修行と思って努力してみます。
最近のはやりですね。(なんて言ってはいけないけれど)
怒らないとか、心穏やかに過ごそうとか。
少しずれたかな?
ちゃんと向き合って、Toleranceが重要。
ありがとうございました。
僕の場合(^_^)
そんな時、努力はやめて、
諦めるか、覚悟を決める。
それが「受け入れる」ということに等しくなる時があるように思えています。
そのうち、そんな中で、
何かが変わっていくのを体感していく......やはり万物は流転する、のでしょうか(^_^)ね!?
まるで雹のつぶてで参拝を拒絶された感がある永平寺ですが…
今後、行く機会があれば参拝したいですね。
uzumetさんのレポートを拝見し、プチ疑似体験させていただいています。
檀家として所属している寺…寺の僧の姿勢にガッカリしてしまってからは、無宗教と名乗るようになったのでした(苦笑)
でも、やっぱり、道元さんはカッコイイです。曹洞宗も好きなのを再確認しました。
ちなみに…母方の本家は真言宗ですが、伯父は墓地の関係で天台宗になりました。
日本では大体、大乗仏教の他力本願な感じですが、
そんな中、道元さんの宗派の心が私にはすんなり入ってくるのです。
…とか言って、
檀家になっている寺の僧の上滑りな法話はイライラしちゃうんですよね(苦笑)
万事、自分がしっかり見極めなくてはならない事由に関し、自身が納得出来るような結論を出す…なのでしょう。。。か?
ともあれ、興味深いレポートありがとうございました。
きっと何かの理由があって、その時では無かったのだけれども、ここでこんな話も出ましたし、今度は!
伺えるタイミングとなっているかもしれません!?ね。
やっぱり神様、仏様、道元様ですから、好き嫌い、あなたはダメ、あなたはヨイ......などというようなことは無いように僕は思います(^^)
努力しますと書いたものの、これは、自分の気持ちをごまかす努力のようでした。
「そのまま受け入れる」の反対でした。
「諦めるか、覚悟を決める。」
エリオットさんのおっしゃる「しっかり見極めて、自身が納得できるような結論を出す。」
エリオットさんのコメントを読みながら、私は曹洞宗も、浄土宗も、教義の一も知らずに、宗派がどうのこうのと言っていたなあと反省。
セクショナリズムとしての宗派を否定したという道元さんに笑われ(怒られ?)そうです。
私が今まで興味があったのは、歴史とエピソード。
もう少し、amenouzumetさんの分かり易いカキカキをしっかり読ませて頂きます。
ところで、流転というのは、語源は仏教用語で、迷いつづけ生死を繰り返すこと。迷いの世界をさすらうこと。ここから転じて、変化し続ける意になったのだそうです。
迷いからはぬけられないのでしょうか。
ことばは、それぞれの持つイメージがあり、翻訳すると少しづつ受ける感じが違ってきたりします。
panta rhei と諸行無常や、無為自然はそれぞれ、かなり違うことなのでしょう。
とまた、支離滅裂なことを書きそうなので、今日はここらへんでやめておかねば。
でも、これまではすぐに白黒つけないと気が済まなかったのですが、棚上げしておくということができるようになりました。
時間がたてば状況も変わり、自分の考えも変わったりするので、ほんとに、おっしゃる通りです。
なんだかだらだらとすみません。
読んでくださったのでしたら、ありがとうございました。