もし、このスピーチに出会っていない方がいましたら、ぜひ。
南米、ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ氏が
「環境と開発に関する国際連合会議」
通称「リオ会議」という場で話した言葉です。
僕もつい先日知ったのですが、今年......いや、
ここ5年ぐらいで一番心に響いたスピーチです。
この豊かな日本に暮らす僕のような人間が自らの生活を振り返るにつけても、
決して胸を張って賛辞を送れるようなものではないとも思いましたが、
震災後、様々な困難と原子力発電の問題を抱えるこの国に対し、
このスピーチには大切な答え、考え方、
方向性が含まれているような気もしました。
一国の大統領が公の場でここまでの事を話せると言うのは、
ちょっとした衝撃でもありました。
このムヒカ大統領というのは
「世界で最も貧乏な大統領」と言われているそうです。
尊敬を受けているのは、その言葉だけでなく、
実際の行動にも表しているからなのだそうで。
ムヒカさんは個人資産の87%を寄付して、
家とトラクターだけで暮らしているのだそうです。
以下は「Hana.bi」というサイトに載っている
打村明さんという方のレポート記事ですが、
転載の許諾が出ていてたので転載してみました。
訳者の方も書いていましたが、悲しいのは、
この様な意義のあるスピーチが「何故か?」
大きな報道となって伝わっていかないことです。
オバマ大統領の「yes we can...」ぐらい、
マスコミにも、多くの方達にも取り上げてほしい......
そんな願いを込めて。
—————ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ (訳:打村明)—————
会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。
私の前に、
ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。
国を代表する者同士、
人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志を
ここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。
午後からずっと話されていたことは
持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。
私たちの本音は何なのでしょうか?
現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください。
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば
この惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。
同じ質問を別の言い方ですると、
西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を
世界の70億~80億人の人ができるほどの原料が
この地球にあるのでしょうか?
可能ですか?
それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、
資本主義の子供たち、
即ち、
私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。
マーケット経済がマーケット社会を造り、
このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会に
したのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で
「みんなの世界を良くしていこう」
というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのは
このイベントの重要性を批判するためのものではありません。
その逆です。
我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません。
政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、
人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。
逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。
人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。
命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、
高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
消費が社会のモーターの世界では
私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。
消費が止まれば経済が麻痺し、
経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、
できるだけ多く売らなければなりません。
ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、
1000時間しか持たない電球しか売っては行けない社会にいるのです!
そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。
人がもっと働くため、
もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。
悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。
これはまぎれも無く政治問題ですし、
この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。
マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。
私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、
エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、
無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。
私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、
みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。
そして、
改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。
私の国には300万人ほどの国民しかいません。
でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。
ヤギも800万から10000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。
こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
働き者の我が国民は一生懸命8時間働きます。
最近では6時間働く人が増えています。
しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をします。なぜか?
バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。
毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、
いつの間にか私のような老人になっているのです。
私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます。
これが人類の運命なのか?
私の言っていることはとてもシンプルなものですよ。
発展は幸福の対抗にあっては行けないのです。
発展というものは人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。
愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、
必要最低限のものを持つこと。
幸福が私たちのもっとも大切な「もの」だからなのです。
環境のために戦うのであれば、
幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。
ありがとうございました。
南米、ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ氏が
「環境と開発に関する国際連合会議」
通称「リオ会議」という場で話した言葉です。
僕もつい先日知ったのですが、今年......いや、
ここ5年ぐらいで一番心に響いたスピーチです。
この豊かな日本に暮らす僕のような人間が自らの生活を振り返るにつけても、
決して胸を張って賛辞を送れるようなものではないとも思いましたが、
震災後、様々な困難と原子力発電の問題を抱えるこの国に対し、
このスピーチには大切な答え、考え方、
方向性が含まれているような気もしました。
一国の大統領が公の場でここまでの事を話せると言うのは、
ちょっとした衝撃でもありました。
このムヒカ大統領というのは
「世界で最も貧乏な大統領」と言われているそうです。
尊敬を受けているのは、その言葉だけでなく、
実際の行動にも表しているからなのだそうで。
ムヒカさんは個人資産の87%を寄付して、
家とトラクターだけで暮らしているのだそうです。
以下は「Hana.bi」というサイトに載っている
打村明さんという方のレポート記事ですが、
転載の許諾が出ていてたので転載してみました。
訳者の方も書いていましたが、悲しいのは、
この様な意義のあるスピーチが「何故か?」
大きな報道となって伝わっていかないことです。
オバマ大統領の「yes we can...」ぐらい、
マスコミにも、多くの方達にも取り上げてほしい......
そんな願いを込めて。
—————ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ (訳:打村明)—————
会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。
私の前に、
ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。
国を代表する者同士、
人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志を
ここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。
午後からずっと話されていたことは
持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。
私たちの本音は何なのでしょうか?
現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください。
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば
この惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。
同じ質問を別の言い方ですると、
西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を
世界の70億~80億人の人ができるほどの原料が
この地球にあるのでしょうか?
可能ですか?
それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、
資本主義の子供たち、
即ち、
私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。
マーケット経済がマーケット社会を造り、
このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会に
したのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で
「みんなの世界を良くしていこう」
というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのは
このイベントの重要性を批判するためのものではありません。
その逆です。
我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません。
政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、
人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。
逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。
人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。
命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、
高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
消費が社会のモーターの世界では
私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。
消費が止まれば経済が麻痺し、
経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、
できるだけ多く売らなければなりません。
ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、
1000時間しか持たない電球しか売っては行けない社会にいるのです!
そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。
人がもっと働くため、
もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。
悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。
これはまぎれも無く政治問題ですし、
この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。
マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。
私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、
エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、
無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。
私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、
みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。
そして、
改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。
私の国には300万人ほどの国民しかいません。
でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。
ヤギも800万から10000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。
こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
働き者の我が国民は一生懸命8時間働きます。
最近では6時間働く人が増えています。
しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をします。なぜか?
バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。
毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、
いつの間にか私のような老人になっているのです。
私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます。
これが人類の運命なのか?
私の言っていることはとてもシンプルなものですよ。
発展は幸福の対抗にあっては行けないのです。
発展というものは人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。
愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、
必要最低限のものを持つこと。
幸福が私たちのもっとも大切な「もの」だからなのです。
環境のために戦うのであれば、
幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。
ありがとうございました。
これを記した時はまだムヒカさんのことはほとんど知られていなかったので、嬉しいですね。