孔子の「論語」なる本に、
以下のような有名な一節があります。
「子曰、知之者不如好之者、好之者不如樂之者」
書き下すと......
「子いわく、
これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」
さらに、
現代語風に書き下せば......
「孔子は言いました。
コレを知る人も、コレを好む人には勝てない。
コレを好む人も、コレを楽しむ人には勝てない。」
以前、そんな論語の一節を理念として、
そのまま会社組織にした様な
理想郷的な音楽レーベルカンパニーがありました。
今はもう無いその会社は、大学生だった僕が憧れ、大好きだった会社。
チョイと荒くれていた!?僕のようなチッポケな男が
世間に出て最初に働かせてもらった故郷のような会社。場所。
このブログではこれまでも時折ちょぼちょぼ......
と記していたとも思いますが、
つい先日、そんな伝説の会社の!?
何十年ぶり!かの大同窓会があったので、
今日はそのパーティ会場で思い出していたことを、一つ、
書き記しておこうかと思います。
今回ちょっと記したくなったのは、
上に書いたような理念を持つ会社が建てた「自社ビル」のこと。
その自社ビルは経営が厳しくなって来た時に、
渋谷や札幌に持っていた大きなレコーディングスタジオと共に
どうしても売り払わざるをえなくなってしまったビルでしたが、
その後もいくつかの会社やオーナーの手の中を転々としながら、
今も変わらず、
建てられた時と同じ場所に、同じ様な姿で佇んでいます。
仕事は楽しくなければいけない。
楽しければ無理も無理とは感じない。
厳しいことも厳しいとは思わないし、乗り越えられる。
この会社ではそんな仕事をしよう。
寝食を忘れて没頭出来るようなことを頑張ろう。
頑張って結果を出している人にはとことん居やすく、
そうでない人にはトコトンいずらい、そんな会社にしよう。
だからこそ苦労を共にしている社員のみんなは
もう一つの家族の様であって欲しい。
そんな家族の集まる会社は
もう一つの家の様なものであって欲しい。
N社長のそんな理念を柱とする会社が建てた自社ビルは、
それをそのまま形にしたような建物でした。
地上3階、地下3階に等しい2階!建て。
居心地を考え、天井を高くしよう。
空調が最も大事。
働く仲間の顔が見えるよう、
フロアはなるべく仕切らないようにしよう。
違う階で働く人の顔も少しでも見えるように、
ガラス張りの吹き抜けの空間を広く取ろう。
最高の機材を揃えた録音スタジオも、
ライブも出来る大きなホールも。
バーカウンターをしつらえた広いレセプションロビーも作ろう。
泊まり込みになってしまう人の為に仮眠室も作ろう。
レコード会社が、
レコード会社の仕事のために本気で作ったビル。
ビルの外観は上質な漆喰の様な素材で覆われていて、
然りげ無い、ベージュがかった茶白色に輝いていました。
そんな外壁の所々には天然木材が美しく組み合わされていて。
洋風モダンでありながらドコカ「和」の風合いを併せ持ち。
メイン・エントランスに至っては、
そんな和風レトロモダンの大きな格子扉!になっていました。
格子扉の間口は車二台が並んで入れるくらい広くて大きく、
扉全体には、
設計者のきめ細やかなセンスを感じさせる上品なカーブがついていて。
そんな淡い「R」を描くエントランスの格子の向こう側に目をやれば、
地下階から空までビルのフロアを突き抜ける円形の中庭があり。
中庭には京都の祇園を思わせる様な雰囲気で、
竹やらなんやらの植木が空に向かいワサワサと茂っていました。
ビルの受付に辿り着くには、
そんな吹き抜けの中庭を玄関からぐるりと回り込むことになりますが、
受付にたどり着いた暁に、
真っ先に目に飛び込んでくるのはカワユイ受付のオネーさん......
でわなく!?
エントランスロビーのド真ん中にドン!と構える、
ナニカの映画で見たような?
天然木材を燃料にしたドデカイ暖炉さん!( ̄。 ̄;)
フロアのアチコチに置かれているソファーやチェアやテーブルは
全てアルフレックス。
どっから見ても.......
オ、オフィスビルに見えない......(・・;)
つーか、思えない。。
ほ、ホテル!?
りょ、料亭!?
に、2名様ですが。。
空いてます!?席.....( ̄▽ ̄;)
みたいな。
あちこちで
「クレイジーでバブリーなビルだな......」
なんてコトを山ほど言われたり、
色々な非難を浴びたりもしましたが、
中にいる僕ら社員は冒頭に記したN社長さんの思いや理念、
会社創立以来の夢も心底理解していたので、
皆の家のようなビルが......
新しい我が家のようなビルが......建った......
という気持ちで誇らしく思えていたと思います。
そうで無いとしても、
少なくとも僕はそう思っていました。
「サイコーにバカやんけ」
「やってくれたな。オヤジ」
「もっと頑張らなあかんな」
都心に今もあるそのビルの前を通りかかると、
今でも僕は危うくその中に入りたくなってしまいます。
昔、学生の頃に住んでいたアパートメントを久々に見た時の
感慨の様なものが胸に湧き上がってきたりもするのです。
普通、自分が働いている、いた、
会社なんてものは見るのも嫌なものですが......
とてもおかしな話です。
そんなビルと会社には沢山の思いと愛着とが僕にはあって。
そんなビルの向こう見ずなおバカさ加減を、
いつも圧倒的に上回ってしまいます。
冒頭に記したその会社の大同窓会には、
日本全国からは勿論、人によっては海外からも、
100何十人もの元社員が集まっていました。
都合が合わず来れなかった方々からも
ちゃんとメッセージなどが寄せられていて。
確か、当時の社員は200人ぐらいだったはずで......
無くなってから20年以上経つ会社の大同窓会にこれほどの人が集まるなんて、
こんな会社、他にどれくらいあるのだろうか?と。
とてもおかしな話です。
さて、そんな会社を象徴するビルが無くなってしまう日。
次のオーナーに建物を引き渡さなければいけない、
その最後の最後の日。
実は、僕は、
そのビルのオフィスに灯る最後の明かりを消させてもらいました。
誰もいなくなって、
しつらえのオフィスデスクやチェアなどの他には何もなくなった、
ガランとしたフロアに、最後までいた人の一人となりました。
それは仕事の都合上、偶然にもそうなってしまった訳でもあるのですが、
その時のことは今も鮮明に覚えています。
もはや、次のビルへの引っ越しも全て完了していて、
ダーーーーレもいなくなったそのビルのメインのワークフロアで、
僕はアルバムのジャケットを仕上げるべく、
エース女性デザイナーのちーさんと二人で
「あーでもねーこーでもねー......」
と、入稿締め切りとの戦いの作業をしていました。
レコーディング終わり後の作業。
時間は夜の11時を少し回ったぐらいだったでしょうか。
そこに、もうビルにはいないかと思っていたN社長と秘書のM子さんが、
プラリと、突然現れたのです。
「よぉ。( ̄ー ̄) uzmet。ちー。
今、部屋出たらさ、下に明かりがついてたから誰かと思ってさ。
お前ら、こんな日に、、まーだいたのか」
......つづく
僕が「このビルで全ての作業を完結させた」作品は、
これが最後だったと思います。
レーベルを移籍する直前だった斉藤和義さんのアルバム「Collection “B”」
「このアルバムだけは絶対に、
このビルとこのビルのスタッフだけで完成させてやる......」
その時、僕はそう思ってました。
なので、ブックレットクレジットの一番最後には、
想像できるN社長や、
今も敬愛してやまない先輩方の思いも込めて、
こんなふうに記しました。
—————We will keep Supporting you, Kazuyoshi!
今も僕の心に残る一枚です。
以下のような有名な一節があります。
「子曰、知之者不如好之者、好之者不如樂之者」
書き下すと......
「子いわく、
これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」
さらに、
現代語風に書き下せば......
「孔子は言いました。
コレを知る人も、コレを好む人には勝てない。
コレを好む人も、コレを楽しむ人には勝てない。」
以前、そんな論語の一節を理念として、
そのまま会社組織にした様な
理想郷的な音楽レーベルカンパニーがありました。
今はもう無いその会社は、大学生だった僕が憧れ、大好きだった会社。
チョイと荒くれていた!?僕のようなチッポケな男が
世間に出て最初に働かせてもらった故郷のような会社。場所。
このブログではこれまでも時折ちょぼちょぼ......
と記していたとも思いますが、
つい先日、そんな伝説の会社の!?
何十年ぶり!かの大同窓会があったので、
今日はそのパーティ会場で思い出していたことを、一つ、
書き記しておこうかと思います。
今回ちょっと記したくなったのは、
上に書いたような理念を持つ会社が建てた「自社ビル」のこと。
その自社ビルは経営が厳しくなって来た時に、
渋谷や札幌に持っていた大きなレコーディングスタジオと共に
どうしても売り払わざるをえなくなってしまったビルでしたが、
その後もいくつかの会社やオーナーの手の中を転々としながら、
今も変わらず、
建てられた時と同じ場所に、同じ様な姿で佇んでいます。
仕事は楽しくなければいけない。
楽しければ無理も無理とは感じない。
厳しいことも厳しいとは思わないし、乗り越えられる。
この会社ではそんな仕事をしよう。
寝食を忘れて没頭出来るようなことを頑張ろう。
頑張って結果を出している人にはとことん居やすく、
そうでない人にはトコトンいずらい、そんな会社にしよう。
だからこそ苦労を共にしている社員のみんなは
もう一つの家族の様であって欲しい。
そんな家族の集まる会社は
もう一つの家の様なものであって欲しい。
N社長のそんな理念を柱とする会社が建てた自社ビルは、
それをそのまま形にしたような建物でした。
地上3階、地下3階に等しい2階!建て。
居心地を考え、天井を高くしよう。
空調が最も大事。
働く仲間の顔が見えるよう、
フロアはなるべく仕切らないようにしよう。
違う階で働く人の顔も少しでも見えるように、
ガラス張りの吹き抜けの空間を広く取ろう。
最高の機材を揃えた録音スタジオも、
ライブも出来る大きなホールも。
バーカウンターをしつらえた広いレセプションロビーも作ろう。
泊まり込みになってしまう人の為に仮眠室も作ろう。
レコード会社が、
レコード会社の仕事のために本気で作ったビル。
ビルの外観は上質な漆喰の様な素材で覆われていて、
然りげ無い、ベージュがかった茶白色に輝いていました。
そんな外壁の所々には天然木材が美しく組み合わされていて。
洋風モダンでありながらドコカ「和」の風合いを併せ持ち。
メイン・エントランスに至っては、
そんな和風レトロモダンの大きな格子扉!になっていました。
格子扉の間口は車二台が並んで入れるくらい広くて大きく、
扉全体には、
設計者のきめ細やかなセンスを感じさせる上品なカーブがついていて。
そんな淡い「R」を描くエントランスの格子の向こう側に目をやれば、
地下階から空までビルのフロアを突き抜ける円形の中庭があり。
中庭には京都の祇園を思わせる様な雰囲気で、
竹やらなんやらの植木が空に向かいワサワサと茂っていました。
ビルの受付に辿り着くには、
そんな吹き抜けの中庭を玄関からぐるりと回り込むことになりますが、
受付にたどり着いた暁に、
真っ先に目に飛び込んでくるのはカワユイ受付のオネーさん......
でわなく!?
エントランスロビーのド真ん中にドン!と構える、
ナニカの映画で見たような?
天然木材を燃料にしたドデカイ暖炉さん!( ̄。 ̄;)
フロアのアチコチに置かれているソファーやチェアやテーブルは
全てアルフレックス。
どっから見ても.......
オ、オフィスビルに見えない......(・・;)
つーか、思えない。。
ほ、ホテル!?
りょ、料亭!?
に、2名様ですが。。
空いてます!?席.....( ̄▽ ̄;)
みたいな。
あちこちで
「クレイジーでバブリーなビルだな......」
なんてコトを山ほど言われたり、
色々な非難を浴びたりもしましたが、
中にいる僕ら社員は冒頭に記したN社長さんの思いや理念、
会社創立以来の夢も心底理解していたので、
皆の家のようなビルが......
新しい我が家のようなビルが......建った......
という気持ちで誇らしく思えていたと思います。
そうで無いとしても、
少なくとも僕はそう思っていました。
「サイコーにバカやんけ」
「やってくれたな。オヤジ」
「もっと頑張らなあかんな」
都心に今もあるそのビルの前を通りかかると、
今でも僕は危うくその中に入りたくなってしまいます。
昔、学生の頃に住んでいたアパートメントを久々に見た時の
感慨の様なものが胸に湧き上がってきたりもするのです。
普通、自分が働いている、いた、
会社なんてものは見るのも嫌なものですが......
とてもおかしな話です。
そんなビルと会社には沢山の思いと愛着とが僕にはあって。
そんなビルの向こう見ずなおバカさ加減を、
いつも圧倒的に上回ってしまいます。
冒頭に記したその会社の大同窓会には、
日本全国からは勿論、人によっては海外からも、
100何十人もの元社員が集まっていました。
都合が合わず来れなかった方々からも
ちゃんとメッセージなどが寄せられていて。
確か、当時の社員は200人ぐらいだったはずで......
無くなってから20年以上経つ会社の大同窓会にこれほどの人が集まるなんて、
こんな会社、他にどれくらいあるのだろうか?と。
とてもおかしな話です。
さて、そんな会社を象徴するビルが無くなってしまう日。
次のオーナーに建物を引き渡さなければいけない、
その最後の最後の日。
実は、僕は、
そのビルのオフィスに灯る最後の明かりを消させてもらいました。
誰もいなくなって、
しつらえのオフィスデスクやチェアなどの他には何もなくなった、
ガランとしたフロアに、最後までいた人の一人となりました。
それは仕事の都合上、偶然にもそうなってしまった訳でもあるのですが、
その時のことは今も鮮明に覚えています。
もはや、次のビルへの引っ越しも全て完了していて、
ダーーーーレもいなくなったそのビルのメインのワークフロアで、
僕はアルバムのジャケットを仕上げるべく、
エース女性デザイナーのちーさんと二人で
「あーでもねーこーでもねー......」
と、入稿締め切りとの戦いの作業をしていました。
レコーディング終わり後の作業。
時間は夜の11時を少し回ったぐらいだったでしょうか。
そこに、もうビルにはいないかと思っていたN社長と秘書のM子さんが、
プラリと、突然現れたのです。
「よぉ。( ̄ー ̄) uzmet。ちー。
今、部屋出たらさ、下に明かりがついてたから誰かと思ってさ。
お前ら、こんな日に、、まーだいたのか」
......つづく
僕が「このビルで全ての作業を完結させた」作品は、
これが最後だったと思います。
レーベルを移籍する直前だった斉藤和義さんのアルバム「Collection “B”」
「このアルバムだけは絶対に、
このビルとこのビルのスタッフだけで完成させてやる......」
その時、僕はそう思ってました。
なので、ブックレットクレジットの一番最後には、
想像できるN社長や、
今も敬愛してやまない先輩方の思いも込めて、
こんなふうに記しました。
—————We will keep Supporting you, Kazuyoshi!
今も僕の心に残る一枚です。
パッケージに学ばせていただく
中身は皆同じだと思います