由緒によれば、
紀元前300年以上前からあると伝わる
「彌彦神社(弥彦神社、やひこじんじゃ)さん。
新潟平野の西部にドン!
と佇む弥彦山を御神体として祀る神社さん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/e7/0e9e63184b4912f3509e5b315a011695.jpg)
巨大な大鳥居は奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)さんの様に、
背後の山を収めるようにして建っています。
新潟県=越後国の一宮であり、
特徴的なこととしては宮中(皇居)と同様に
「鎮魂祭(ちんこんさい)」
を行う神社であるということ。
この祭りを行う神社というのは、日本広しといえど、
他には石上神宮(いそのかみじんぐう)と
物部神社のたった3社しかありません。
そして、拝礼の時の柏手も「4拍手」とされており、
この作法を打ち出しているのは他には出雲大社と
宇佐神宮だけとなります。
どれも日本最古級で特別な神社ばかり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/1e/dcdab58b3c08eab6ef783f144a15f97a.jpg)
主祭神は越後国開拓の祖神とされる
天香久山命(あめのかぐやまのみこと、あめのかごやまのみこと)さん。
「伊夜日子大神(いやひこのおおかみ)」とも
「高倉下(たかくらじ)」とも呼ばれる神様。
このブログでは以前「もののべ」という記事に
ほんの少しだけ記していましたが、
記紀をはじめとする様々な神話によれば
ニギハヤヒ(饒速日命、邇芸速日命)さんの息子さん......
とされています。
———————本当は!?違うようですが......
そして、どうも、
我が家系にも縁の深そうな神社さんでもありまして。
それ故に、以前、
両親を連れて行ったことなどもあるのですが、
その時の父の喜びようは今もとてもよく覚えています。
僕の父は埼玉県の北の端で鉄工所を営む、
いわゆる職人さんだったのですが、
お祖父ちゃんの代までは建築や
刀鍛冶(カタナカジ)が生業だったようで。
それで僕の実家は御近所の皆さんからは
「鍛冶屋(カジヤ)」とか「屋根屋(ヤネヤ)」
と呼ばれてもいました。
なので僕さんは御近所さん達からは未だに
「カジヤのバカむすこ」とか「ヤネヤのアホむすこ」と
呼ばれていたりしておるのでつ。
ええ。ええ。
シアワセものっす。。(*´ω`)
そんな北埼玉の田舎の工業職人の家にとっては、
彌彦神社さんというのは少々特別な神社ともなるようでした。
山麓に点在する温泉も父は気に入っていましたし。
———————つい最近、
そんな彌彦神社さんに久々に伺うことになりました。
行くきっかけは数ヶ月前のある夜......
それは6月の頭ぐらいだったと思いますが。
突然、頭を締められるような強力なチカラと共に
神様のエナジーが降りて来て、
僕さんに何か言って来るのです。
しかし、内容がもう一つよくわからず。
とにかく気になるので、
その場からプリリンねーさんにラインをして
明確な言語化をお願いしました......
===========================
ねーさんや。
なんか、今日、
何度か神様の言葉が降りて来てるのだけど、
何かあるみたいで。
3回くらい言われた。
===========================
すると、すぐにねーさんから返事が来て。
幾度かにわたり、
降してくれた神様の言葉を教えてくれました。
===========================
「天香久山命と言われているが、カグヤの神でいいよ」
「UZMETに来てくれと言ったよ」
「3回言った。
彌彦神社の山の上で待っているからな」
「急ぎではないからと伝えてくれ。
ありがとう。
ねーさんもいつか来てくれよな」
===========================
そして、そんな話をしている時に、
このブログのメールアドレスの方にも
ブログ読者の「ゆり」さんから
彌彦神社に関しての質問が幾つか届いていて。
僕は都度返答をしていたのですが、
その「ゆり」さんから
「彌彦神社に行ってきました......」
というメールが届いて来ました。
日付を見ると6月12日となっていますが、
そのメールにはゆりさんが彌彦神社に参拝した際の諸々のお話と、
それと、こんな言葉も記されていました......
===========================
アメノカグヤマノミコト様が、
UZMETさんご指名でしたので、
ぜひ行ってさしあげてくださいね。
===========================
今回のお話は神社に行くことを決めるまでが少々面白かったので、
その辺のことをもう少し記しておこうかと思います。
続きます。
おやすみなさい。(^^)
紀元前300年以上前からあると伝わる
「彌彦神社(弥彦神社、やひこじんじゃ)さん。
新潟平野の西部にドン!
と佇む弥彦山を御神体として祀る神社さん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/e7/0e9e63184b4912f3509e5b315a011695.jpg)
巨大な大鳥居は奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)さんの様に、
背後の山を収めるようにして建っています。
新潟県=越後国の一宮であり、
特徴的なこととしては宮中(皇居)と同様に
「鎮魂祭(ちんこんさい)」
を行う神社であるということ。
この祭りを行う神社というのは、日本広しといえど、
他には石上神宮(いそのかみじんぐう)と
物部神社のたった3社しかありません。
そして、拝礼の時の柏手も「4拍手」とされており、
この作法を打ち出しているのは他には出雲大社と
宇佐神宮だけとなります。
どれも日本最古級で特別な神社ばかり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/1e/dcdab58b3c08eab6ef783f144a15f97a.jpg)
主祭神は越後国開拓の祖神とされる
天香久山命(あめのかぐやまのみこと、あめのかごやまのみこと)さん。
「伊夜日子大神(いやひこのおおかみ)」とも
「高倉下(たかくらじ)」とも呼ばれる神様。
このブログでは以前「もののべ」という記事に
ほんの少しだけ記していましたが、
記紀をはじめとする様々な神話によれば
ニギハヤヒ(饒速日命、邇芸速日命)さんの息子さん......
とされています。
———————本当は!?違うようですが......
そして、どうも、
我が家系にも縁の深そうな神社さんでもありまして。
それ故に、以前、
両親を連れて行ったことなどもあるのですが、
その時の父の喜びようは今もとてもよく覚えています。
僕の父は埼玉県の北の端で鉄工所を営む、
いわゆる職人さんだったのですが、
お祖父ちゃんの代までは建築や
刀鍛冶(カタナカジ)が生業だったようで。
それで僕の実家は御近所の皆さんからは
「鍛冶屋(カジヤ)」とか「屋根屋(ヤネヤ)」
と呼ばれてもいました。
なので僕さんは御近所さん達からは未だに
「カジヤのバカむすこ」とか「ヤネヤのアホむすこ」と
呼ばれていたりしておるのでつ。
ええ。ええ。
シアワセものっす。。(*´ω`)
そんな北埼玉の田舎の工業職人の家にとっては、
彌彦神社さんというのは少々特別な神社ともなるようでした。
山麓に点在する温泉も父は気に入っていましたし。
———————つい最近、
そんな彌彦神社さんに久々に伺うことになりました。
行くきっかけは数ヶ月前のある夜......
それは6月の頭ぐらいだったと思いますが。
突然、頭を締められるような強力なチカラと共に
神様のエナジーが降りて来て、
僕さんに何か言って来るのです。
しかし、内容がもう一つよくわからず。
とにかく気になるので、
その場からプリリンねーさんにラインをして
明確な言語化をお願いしました......
===========================
ねーさんや。
なんか、今日、
何度か神様の言葉が降りて来てるのだけど、
何かあるみたいで。
3回くらい言われた。
===========================
すると、すぐにねーさんから返事が来て。
幾度かにわたり、
降してくれた神様の言葉を教えてくれました。
===========================
「天香久山命と言われているが、カグヤの神でいいよ」
「UZMETに来てくれと言ったよ」
「3回言った。
彌彦神社の山の上で待っているからな」
「急ぎではないからと伝えてくれ。
ありがとう。
ねーさんもいつか来てくれよな」
===========================
そして、そんな話をしている時に、
このブログのメールアドレスの方にも
ブログ読者の「ゆり」さんから
彌彦神社に関しての質問が幾つか届いていて。
僕は都度返答をしていたのですが、
その「ゆり」さんから
「彌彦神社に行ってきました......」
というメールが届いて来ました。
日付を見ると6月12日となっていますが、
そのメールにはゆりさんが彌彦神社に参拝した際の諸々のお話と、
それと、こんな言葉も記されていました......
===========================
アメノカグヤマノミコト様が、
UZMETさんご指名でしたので、
ぜひ行ってさしあげてくださいね。
===========================
今回のお話は神社に行くことを決めるまでが少々面白かったので、
その辺のことをもう少し記しておこうかと思います。
続きます。
おやすみなさい。(^^)
今回はゆりさんのメールがキッカケの一つともなりました。
今回の徒然話はかなり長いシリーズ記事となりそうです(^ν^)
記事に参加させていただき恐縮です。
ありがとうございます。
写真が素晴らしいですね。見慣れているはずの風景ですが、何度も見入ってしまいます。
「鍛冶屋」「屋根屋」の息子さんでいらっしゃいましたか。
続きが楽しみです。
剣のお守り、財布に入れていつも持ち歩いてます。