もう6、7年?もっと?......になるのでしょうか。
以前はみうらじゅん的マニアック世界であった神社、仏閣の参拝が、
「パワースポット」という言葉と共に再定義や再認識もされて。
色々なメディアでも取り上げられるようになり、
とても多くの人々に広がっていったように思います。
中でも「伊勢神宮」などは、それまで
「なんか聞いたことあるけど、、何?ソレ?
美味しいの?ん?(・ー・)」
......みたいなニュアンスでしたが、
それが、最近は
「行ってみたい!」
という感じに変っていたりもして。
特に若い世代にも。
本当に面白い流れというか、何と言うか......
ただ、そんな変化に驚きつつも、
個人的にはなんだかとても喜ばしいことの様にも思えていて、
「何が起ってるんだ!?るのだ!?この国に!?」
みたいな。
ちょっと不思議な気持ちになったりなんかもします。
そして、このブログをちびちび......と記し出して、
今ぐらいの時期によく頂くメールというのが、やはり
「今度、伊勢神宮に行こうと思うのですが......
◯△◎▽......を教えてもらえますか?」
という感じの質問。
つい最近も、うら若き湾岸OL嬢の「Maa」さんから
「今週末、伊勢に行くんですーー(^^)♪
前にuzmetさんが言ってた、
猿田彦の近くのオススメの所ってなんてとこでしたっけ??
時間あったら行きたいなと思って......」
なんていうメールもいただきましたし。
確か、昨年のこの時期は、
「おかげ横丁でお勧めのお店とか有りますかー!?」
という質問だったと思うのですが、
それでこの「おかげ横丁」や、
「心の御柱」という記事などを返答的に書いてみたりもしていたのです。
しかし、今年は皆さんけっこう深め!?の質問が多く。
このMaaさんの質問にしても、
よくよく話し出すと伊勢神宮の「起源」に関わるようなコトでもあるワケで......
そんなメールへの答えをウラオモテ全てココに書いちゃったりなんかすると
「コイツ、マニアックでチトきもももも~い( ̄‐ ̄*)」
なーんて!
言われそうな気もするので、
「厳選!ギリギリノーマル情報!?」
みたいな感じであれば、
何かの?誰かの?役に立つようなこともあるのかなぁ.......
などと思いつつ、
折角ですので今回はMaaさんへのお答えも兼ねて、その
「猿田彦神社近くのオススメの所」
の話しを記してみようかと思います。
勿論!ノーマル!?で(^^)
Maaさんにお話しをした、
「彼女に合いそうで、猿田彦近くのオススメの所」
という神社さんはこちら。
伊勢神宮「内宮」の別宮「倭姫宮=やまとひめのみや」
外宮から内宮に向かう参道の途中、
小高い丘を登りきった辺りの右側に然りげなく佇んでいる宮です。
Maaさんの様に「猿田彦神社」「月読宮」「月夜見宮」など、
伊勢市内にある比較的目につきやすい宮は
「もう、みんな行っちゃったお!」
というような方に
「デワ是非ココも!」
......という感じでお話し出来る様なところでしょうか。
個人的にはとても好きな宮なのです(^^)
伊勢に広がる数々の神社というのは
どれも古の昔から有るようなものばかりなのですが、この神社は、
その中でも一番最近に創建された神社で、
大正時代に出来たそうです。
ココに祀られている神様は「倭姫命=やまとひめのみこと」さん。
何を隠そう!?伊勢神宮を創建!し、
現在に至るまで数千年に渡り粛々と続けられている数多くの祭祀や法、
奉仕者の職責や多くの摂末社、別宮など迄決められた人でもあります。
マサに「現」伊勢神宮の聖なる母!太陽!天照(アマテラス)!
といった人.......神様なのです。
つい先日行われた20年に一度の
「式年遷宮=しきねんせんぐう」
の儀において、神宮最高位の宮司でもあり、
遷宮の祭主を務められた黒田清子さんの立場というのも、
実はこの倭姫さんが起源であり、「初代」となるほどの神様です。
......遠い昔。
大和国の祭祀を司る最高の巫女であり、
「皇女=こうじょ」であった倭姫は、
時の天皇より「陽昇る国」の最高神として祀られる太陽神
「天照大御神=アマテラスオオミカミ」の御魂(みたま)が
安心して安住するに値する場所を探し出し、移し、
それと共に国と民の更なる生活安定と発展に力添えを頂けるよう、
大きな感謝を示し、捧げる様に......と、そんな命を下されました。
しかし「記紀」によると、
実はその「命」を受けたのは彼女が最初だったというワケではなく、
倭姫の前の皇女である
「豊鍬入姫命=とよすきいりびめのみこと」
さんという方が最初だったと伝わっています。
トヨスキさんは天照にふさわしい聖地を探して、
各地を転々と回った様なのですが、
ソレに相応しい地は彼女の代だけでは最後まで見つけることが出来ず、
その「重要な仕事」は、
そのまま次世代の「倭姫」さんに受け継がれることとなりました。
仕事を引き継がれた倭姫さんは、
天照大御神の御魂......「御神体=八咫の鏡=やたのかがみ」を背負い、
国家の命運をも背負い、多くの家臣達を引き連れながら、
大和一帯は勿論、近畿圏を中心とした様々な所を旅して回ります。
探し回った地を現在の地名で言えば、奈良、京都、琵琶湖一帯の全て。
そこから日本海にも抜け出て、丹後、若狭、岐阜......
戻って名古屋の地に至るまで。
彼女は天皇の命にふさわしい場所を探して動き続けました。
全てはアマテラスの御魂を安置させる為に、です。
それは二世代に渡った、長く厳しい旅だったようです。
まるで神の「歩く杖」となるようなこの旅をする人は、古来、
畏敬の念を込めて「御杖代=みつえしろ」と呼ばれてきたそうです。
面白いことに、
記した辺りの地域では「元伊勢」と呼ばれる
起源の古い神社や地名などが幾つか残っていて。
それらは皆、倭姫さんやトヨスキ姫さんが旅の途中で
「もしかしたらココじゃね!?」
と、神様の御魂を一旦鎮座させた場所として今に伝わっていたりします。
それらの場所は、言わば「伊勢の原型」がある所。
そして、更にその足跡を姫さん達以前にまで深ーく辿れば......
九州のそこかしこ?!や対馬!辺りにまで辿り着いたりなんかして......
天照さんの御魂を背負い、運ぶ「御杖代」の旅というのは本当に長く、
難しい旅であったのではないだろうか、と。
そんな印象も受けます。
まるで僕等の人生の様。。
女性でコレだけの旅をするということも凄いことだと思います。
古の天皇やこの国にとって、
アマテラスの御魂を安住させるということが如何に大切な
「一大事」
であったのか......
というようなことも思い計れます。
そんな、多くの苦難もあったであろう長い旅路で、
彼女はクタクタになりながら?も、ついに!
アマテラスの御魂さんに合う
理想的な地に巡り会うことが出来ます。.゜ヽ(*´∀`)ノ゜ヤタァー!
それが現在の伊勢、内宮のある地なのです。
伊勢というのは、こんな物語が残る地なのです。
聖書で言えば......
「約束の地」
とでも言える所なのでしょうか。
伝承では、倭姫さんが最初に伊勢の地に入った時、
彼女が背中に背負っていたアマテラスの御魂から
こんなメッセージが降りて来たそうです。
この神風(かむかぜ)の伊勢の国は
常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。
傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。
この国に居(を)らむと欲(おも)ふ。
――――――この神の風が吹く伊勢の地は、
常世の国からの波が何重も寄り来る国です。
辺境ではあるが美しい国。
なので私はこの国に住もうと思う――――――
こうして伊勢の地に「アマテラスオオミカミ」の宮が創建されました。
トヨスキ姫(豊鋤姫)さんと倭姫さんが二世代に渡り、
生涯をかけて運んだ神の御魂。
その御魂が載る御神体「八咫の鏡」。
神を背負い、未だ見ぬ安住の地を求めて旅をするその姫さん達の姿は、
住む世界の違いこそあれ、
僕等の過ごす毎日とあまり変わりない様にも思われます。
そんなワケで僕はこの倭姫さんを祀る宮が......「も」、好きなのです。
御宮は女性らしく線が細く、決して強力なパワーがある......
という印象では無いのですが、上品で清廉。
然りげなく美しく、奥ゆかしい力をも感じられる宮です。
それはやはり、
倭姫さんの姿を映している様にも僕には思えるのです(^^)
倭姫さんは古代大和国(やまとこく)の姫。
大和の姫......で、「倭姫」
太古の昔、科学万能以前。
科学や学術、
知識に相当する部分まで担っていた「占術」や「祈り」「祭祀」
それらを全て司どっていた巫女(みこ)さん。
その中でも一番高い位にいたであろう姫さん。
太陽信仰における巫女とは「日の御子=ひのみこ」のことでもあり、
「日の巫女」でもあります。
「日の巫女」は「ひみこ」でもあり、
「日御子」であり「卑弥呼」。
そう、
倭姫というのはおそらく「卑弥呼」だった方。
もっと言えば、タブン最後の卑弥呼。
「卑弥呼」とはおそらく役職の名前の様なものであり、
古代大和国の祭祀を司る「大臣」や「内閣総理大臣」的な役割の人。
となると、その職に就く人は代々数多く居たわけで、
卑弥呼は一人ではないとも思われます......たぶん......
先にも書いた様に、少なくとも伝承では、
倭姫さんが仕事を受け継いだという先代「トヨスキ」さんはいたわけで。
この辺りの話をよくよく読み込むだけでも、
こんな考え方は自然と出来てきます。
歴史的、学術的に「卑弥呼」の謎や矛盾などが
今もってナカナカ解けないでいるのは、
「卑弥呼」をたった一人の存在としてしまうことから生まれている様な気もしていて。
もし、この名が「役職」であり、時代時代で幾人も存在していたと仮定するならば、
この国の歴史の霧は結構スッキリと晴れて来るようにも?
僕には思われます。きっと。ハイ。
決してノーマル!です。ええ。d(・ω・*)
こんな倭姫さんの物語を心に忍ばせつつ見る伊勢というのは、
またちょっと違った景色に変化したりもして。
倭姫さんが来る前からいた神様も居たはずですし......外宮の裏あたり!?か?な?
Maaさんもまた、何時もとは違った伊勢の風景を感じられると良いなぁ......と。
今日はそんな感じで記し残しておきます。ハイ。
いってらっさい!(^^)
「倭姫宮」への入口もある、
内宮へと続く参道には沢山の石塔が並んでいます。
その石塔をよく見ると......
「六芒星=ろくぼうせい」が刻まれていたりします。
ユダヤ、ダビデ......イスラエルの紋章とも同じ。
コレ如何に!?
また何時か記せれば......でしょうか(^^)
そうそう!!
「おかげ横丁」の内宮入口、宇治橋の鳥居直前にあるのお店の大きな看板には、
いわゆる「おかめ」と「ひょっとこ」の「おかめ」さんが大きく掲げられています。
偶然?とはいえ「聖域」の入り口直前にある店に何故か大きく描かれている
愛嬌のある女性の顔は、
不思議と倭姫さんに見られている様な......気もします......
「よく来ましたねぇ。」
と、笑顔で言ってくれている様な、
そんな気がしたりします。
お確かめあれ。(*^-^)
以前はみうらじゅん的マニアック世界であった神社、仏閣の参拝が、
「パワースポット」という言葉と共に再定義や再認識もされて。
色々なメディアでも取り上げられるようになり、
とても多くの人々に広がっていったように思います。
中でも「伊勢神宮」などは、それまで
「なんか聞いたことあるけど、、何?ソレ?
美味しいの?ん?(・ー・)」
......みたいなニュアンスでしたが、
それが、最近は
「行ってみたい!」
という感じに変っていたりもして。
特に若い世代にも。
本当に面白い流れというか、何と言うか......
ただ、そんな変化に驚きつつも、
個人的にはなんだかとても喜ばしいことの様にも思えていて、
「何が起ってるんだ!?るのだ!?この国に!?」
みたいな。
ちょっと不思議な気持ちになったりなんかもします。
そして、このブログをちびちび......と記し出して、
今ぐらいの時期によく頂くメールというのが、やはり
「今度、伊勢神宮に行こうと思うのですが......
◯△◎▽......を教えてもらえますか?」
という感じの質問。
つい最近も、うら若き湾岸OL嬢の「Maa」さんから
「今週末、伊勢に行くんですーー(^^)♪
前にuzmetさんが言ってた、
猿田彦の近くのオススメの所ってなんてとこでしたっけ??
時間あったら行きたいなと思って......」
なんていうメールもいただきましたし。
確か、昨年のこの時期は、
「おかげ横丁でお勧めのお店とか有りますかー!?」
という質問だったと思うのですが、
それでこの「おかげ横丁」や、
「心の御柱」という記事などを返答的に書いてみたりもしていたのです。
しかし、今年は皆さんけっこう深め!?の質問が多く。
このMaaさんの質問にしても、
よくよく話し出すと伊勢神宮の「起源」に関わるようなコトでもあるワケで......
そんなメールへの答えをウラオモテ全てココに書いちゃったりなんかすると
「コイツ、マニアックでチトきもももも~い( ̄‐ ̄*)」
なーんて!
言われそうな気もするので、
「厳選!ギリギリノーマル情報!?」
みたいな感じであれば、
何かの?誰かの?役に立つようなこともあるのかなぁ.......
などと思いつつ、
折角ですので今回はMaaさんへのお答えも兼ねて、その
「猿田彦神社近くのオススメの所」
の話しを記してみようかと思います。
勿論!ノーマル!?で(^^)
Maaさんにお話しをした、
「彼女に合いそうで、猿田彦近くのオススメの所」
という神社さんはこちら。
伊勢神宮「内宮」の別宮「倭姫宮=やまとひめのみや」
外宮から内宮に向かう参道の途中、
小高い丘を登りきった辺りの右側に然りげなく佇んでいる宮です。
Maaさんの様に「猿田彦神社」「月読宮」「月夜見宮」など、
伊勢市内にある比較的目につきやすい宮は
「もう、みんな行っちゃったお!」
というような方に
「デワ是非ココも!」
......という感じでお話し出来る様なところでしょうか。
個人的にはとても好きな宮なのです(^^)
伊勢に広がる数々の神社というのは
どれも古の昔から有るようなものばかりなのですが、この神社は、
その中でも一番最近に創建された神社で、
大正時代に出来たそうです。
ココに祀られている神様は「倭姫命=やまとひめのみこと」さん。
何を隠そう!?伊勢神宮を創建!し、
現在に至るまで数千年に渡り粛々と続けられている数多くの祭祀や法、
奉仕者の職責や多くの摂末社、別宮など迄決められた人でもあります。
マサに「現」伊勢神宮の聖なる母!太陽!天照(アマテラス)!
といった人.......神様なのです。
つい先日行われた20年に一度の
「式年遷宮=しきねんせんぐう」
の儀において、神宮最高位の宮司でもあり、
遷宮の祭主を務められた黒田清子さんの立場というのも、
実はこの倭姫さんが起源であり、「初代」となるほどの神様です。
......遠い昔。
大和国の祭祀を司る最高の巫女であり、
「皇女=こうじょ」であった倭姫は、
時の天皇より「陽昇る国」の最高神として祀られる太陽神
「天照大御神=アマテラスオオミカミ」の御魂(みたま)が
安心して安住するに値する場所を探し出し、移し、
それと共に国と民の更なる生活安定と発展に力添えを頂けるよう、
大きな感謝を示し、捧げる様に......と、そんな命を下されました。
しかし「記紀」によると、
実はその「命」を受けたのは彼女が最初だったというワケではなく、
倭姫の前の皇女である
「豊鍬入姫命=とよすきいりびめのみこと」
さんという方が最初だったと伝わっています。
トヨスキさんは天照にふさわしい聖地を探して、
各地を転々と回った様なのですが、
ソレに相応しい地は彼女の代だけでは最後まで見つけることが出来ず、
その「重要な仕事」は、
そのまま次世代の「倭姫」さんに受け継がれることとなりました。
仕事を引き継がれた倭姫さんは、
天照大御神の御魂......「御神体=八咫の鏡=やたのかがみ」を背負い、
国家の命運をも背負い、多くの家臣達を引き連れながら、
大和一帯は勿論、近畿圏を中心とした様々な所を旅して回ります。
探し回った地を現在の地名で言えば、奈良、京都、琵琶湖一帯の全て。
そこから日本海にも抜け出て、丹後、若狭、岐阜......
戻って名古屋の地に至るまで。
彼女は天皇の命にふさわしい場所を探して動き続けました。
全てはアマテラスの御魂を安置させる為に、です。
それは二世代に渡った、長く厳しい旅だったようです。
まるで神の「歩く杖」となるようなこの旅をする人は、古来、
畏敬の念を込めて「御杖代=みつえしろ」と呼ばれてきたそうです。
面白いことに、
記した辺りの地域では「元伊勢」と呼ばれる
起源の古い神社や地名などが幾つか残っていて。
それらは皆、倭姫さんやトヨスキ姫さんが旅の途中で
「もしかしたらココじゃね!?」
と、神様の御魂を一旦鎮座させた場所として今に伝わっていたりします。
それらの場所は、言わば「伊勢の原型」がある所。
そして、更にその足跡を姫さん達以前にまで深ーく辿れば......
九州のそこかしこ?!や対馬!辺りにまで辿り着いたりなんかして......
天照さんの御魂を背負い、運ぶ「御杖代」の旅というのは本当に長く、
難しい旅であったのではないだろうか、と。
そんな印象も受けます。
まるで僕等の人生の様。。
女性でコレだけの旅をするということも凄いことだと思います。
古の天皇やこの国にとって、
アマテラスの御魂を安住させるということが如何に大切な
「一大事」
であったのか......
というようなことも思い計れます。
そんな、多くの苦難もあったであろう長い旅路で、
彼女はクタクタになりながら?も、ついに!
アマテラスの御魂さんに合う
理想的な地に巡り会うことが出来ます。.゜ヽ(*´∀`)ノ゜ヤタァー!
それが現在の伊勢、内宮のある地なのです。
伊勢というのは、こんな物語が残る地なのです。
聖書で言えば......
「約束の地」
とでも言える所なのでしょうか。
伝承では、倭姫さんが最初に伊勢の地に入った時、
彼女が背中に背負っていたアマテラスの御魂から
こんなメッセージが降りて来たそうです。
この神風(かむかぜ)の伊勢の国は
常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。
傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。
この国に居(を)らむと欲(おも)ふ。
――――――この神の風が吹く伊勢の地は、
常世の国からの波が何重も寄り来る国です。
辺境ではあるが美しい国。
なので私はこの国に住もうと思う――――――
こうして伊勢の地に「アマテラスオオミカミ」の宮が創建されました。
トヨスキ姫(豊鋤姫)さんと倭姫さんが二世代に渡り、
生涯をかけて運んだ神の御魂。
その御魂が載る御神体「八咫の鏡」。
神を背負い、未だ見ぬ安住の地を求めて旅をするその姫さん達の姿は、
住む世界の違いこそあれ、
僕等の過ごす毎日とあまり変わりない様にも思われます。
そんなワケで僕はこの倭姫さんを祀る宮が......「も」、好きなのです。
御宮は女性らしく線が細く、決して強力なパワーがある......
という印象では無いのですが、上品で清廉。
然りげなく美しく、奥ゆかしい力をも感じられる宮です。
それはやはり、
倭姫さんの姿を映している様にも僕には思えるのです(^^)
倭姫さんは古代大和国(やまとこく)の姫。
大和の姫......で、「倭姫」
太古の昔、科学万能以前。
科学や学術、
知識に相当する部分まで担っていた「占術」や「祈り」「祭祀」
それらを全て司どっていた巫女(みこ)さん。
その中でも一番高い位にいたであろう姫さん。
太陽信仰における巫女とは「日の御子=ひのみこ」のことでもあり、
「日の巫女」でもあります。
「日の巫女」は「ひみこ」でもあり、
「日御子」であり「卑弥呼」。
そう、
倭姫というのはおそらく「卑弥呼」だった方。
もっと言えば、タブン最後の卑弥呼。
「卑弥呼」とはおそらく役職の名前の様なものであり、
古代大和国の祭祀を司る「大臣」や「内閣総理大臣」的な役割の人。
となると、その職に就く人は代々数多く居たわけで、
卑弥呼は一人ではないとも思われます......たぶん......
先にも書いた様に、少なくとも伝承では、
倭姫さんが仕事を受け継いだという先代「トヨスキ」さんはいたわけで。
この辺りの話をよくよく読み込むだけでも、
こんな考え方は自然と出来てきます。
歴史的、学術的に「卑弥呼」の謎や矛盾などが
今もってナカナカ解けないでいるのは、
「卑弥呼」をたった一人の存在としてしまうことから生まれている様な気もしていて。
もし、この名が「役職」であり、時代時代で幾人も存在していたと仮定するならば、
この国の歴史の霧は結構スッキリと晴れて来るようにも?
僕には思われます。きっと。ハイ。
決してノーマル!です。ええ。d(・ω・*)
こんな倭姫さんの物語を心に忍ばせつつ見る伊勢というのは、
またちょっと違った景色に変化したりもして。
倭姫さんが来る前からいた神様も居たはずですし......外宮の裏あたり!?か?な?
Maaさんもまた、何時もとは違った伊勢の風景を感じられると良いなぁ......と。
今日はそんな感じで記し残しておきます。ハイ。
いってらっさい!(^^)
「倭姫宮」への入口もある、
内宮へと続く参道には沢山の石塔が並んでいます。
その石塔をよく見ると......
「六芒星=ろくぼうせい」が刻まれていたりします。
ユダヤ、ダビデ......イスラエルの紋章とも同じ。
コレ如何に!?
また何時か記せれば......でしょうか(^^)
そうそう!!
「おかげ横丁」の内宮入口、宇治橋の鳥居直前にあるのお店の大きな看板には、
いわゆる「おかめ」と「ひょっとこ」の「おかめ」さんが大きく掲げられています。
偶然?とはいえ「聖域」の入り口直前にある店に何故か大きく描かれている
愛嬌のある女性の顔は、
不思議と倭姫さんに見られている様な......気もします......
「よく来ましたねぇ。」
と、笑顔で言ってくれている様な、
そんな気がしたりします。
お確かめあれ。(*^-^)
そして、先日来
たくさんのご教授を
ありがとうございます!
粛々と進めております。
ご存知かと思いますが
倭姫さん、ゆかりの
御杖村
倭姫さんが杖を置いたと
される神社があります
また
姫石神社は御神体が
もちろん磐座ですが
ほんとうにひっそりとあります。
強いご神気だとおもいます。
amenouzmetさん
少し前に
うすいピンクかベージュ色の
スーパーのカゴに
缶ビールかカップのお酒?!
5本いれておられたように
思いました。
妄想ですね。
わたしもノーマルです。
瀧原宮はアマテラスさんの別荘みたいなものなので、内宮よりよくいらっしゃる!?と思いますよ(^^)