雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

集中力の先 2

2012-08-18 00:19:57 | 不思議
そんなヘリゲルを見て取った阿波は、ある夜、
彼を自分の道場に呼び出します......




そこは屋外の道場。
辺りは真っ暗で何も見えません。
阿波は数十メートル先にある道場の的(まと)に向かって歩いていき、
そこに蚊取り線香に火を点して戻って来ました。
夜の広い道場に蚊取り線香の僅かな明かりなど見えるはずもありません。

そして、そのまま、
ヘリゲルが見つめる前で阿波は黙って二本の矢を射ました。
ヘリゲルによると、その時、阿波は目を閉じていたそうです。
体にも微塵も力が入っていなかったように見えたそうです。

二本の矢は暗闇をまっすぐに飛んでいき、
一本目は的(まと)の真ん中に。
二本目は、
刺さっているその一本目の矢を後ろから真っ二つに引き裂きながら、
またしても的の中央に突き刺さりました。



あっけにとられているヘリゲルに阿波は言いました。



「的(まと)が次第にボヤケて見えるほど目を閉じる。
すると的の方から私に近づいてくるように思われる。
そして次第に私は的と一体になる。
それは自分と仏が一体になることです。
そして私が的と一体になるならば、
的は自己の有と非有の不動の中心にある。
したがってまた的の中心に在ることになる。
矢は中心から出て中心に入るのである。
それ故にあなたは的を狙わず自分自身を狙いなさい。
するとあなたは、
あなた自身と仏と的とを同時に射当てます」



......的(まと)はあなたの中心にあるのだから、
狙う必要も無く、
ただあなたはあなた自身に向かって矢を放てばよいだけ。
的に矢を当てるのではなく、
矢が勝手に的に当たってゆく。
そう、阿波は言ったのです。

「弓禅一如」のなんたるか。

ヘリゲルはこの一件以来、
阿波の語る弓術について疑うことも、問うことも、
思い悩むこともやめたと言います。
射るのではなく、
射られることを掴むように練習に励んだそうです。



「弓が離れる瞬間の、
その人間の無心な態度が無くてはならない」

「自分を離れて弓を射よ」

「あなたの矢が的まで届かないのは、
あなたの精神が的まで届いていないからです」

「弓道の奥義は、的のことを関知しません」



僕は忘れっぽいのですが、
本当に忘れてしまうのでは無く。
自覚している原因としては
「気に入った」何か一つのことを考え出すと、
それ以外考えられなくなります。
瞬間的に集中のスイッチみたいなものが入る時もあるので、
そうなると1秒前に考えていたことや、
見ていた景色が消えてなくなります。
アイデアが浮かんだ時など、
今迄何度?財布や携帯を無くしてきたことか(T.T)
学生の頃などは、
試験や受験での赤点や留年を免れるため、
決死、且つ、得意の「一夜漬け戦法」で乗り越えていたのですが、
時折、あまりの決死さでもって集中をし過ぎて、
晩ご飯を食べるのを忘れてしまったようなことが何度もあります。
なにせ、夜中の二時過ぎに

「母ちゃん晩ご飯まだぁーーっ!!??」

と、まるで

「今、夜七時ぐらいだべ?」

ってな感じで、
家中に響く大声で怒りながら叫ぶようなことが
幾度も幾度もあったもので。
その脳障害気味の僕の生態は当時から身内にはとても有名でした。
インスタント珈琲を一晩に50杯以上飲んで、
大事な試験を受けれなくなったこともあります。
何杯ぐらい飲んだのか記憶にないのです。必死で。
授業中などは、タマニ

「これ面白い!」

と思い、
理解しようと集中しだすと、
隣の可愛い女の子に肩を叩かれ、

「何怒ってんの!?」

と言われてしまうパターン。
顔が悪いのはさておいて、
自分でもどうしてそうなるのか不思議でした。



本当に「時間がまったく消えてしまう時」があるのです。
本当に......



しんじてくれよぉぉぉぉーーヽ(;▽;)



......横道にそれましたが、
阿波さんの世界はそんな低俗レベルと同じとはとても思えませんが、
ナントナク、僕には理解出来る部分があるのです。
今迄、そんな世界を
「意識的でなく偶然に」感じられたような体験もあって。
そんなことも影響していますが......それはいつも単純で、
ただ「一生懸命」「一心不乱」に何かに打ち込めていた時に、
フッ、と、
そんな時間の消失した世界にいるようなことがあるのです。
そんなこと以外に、
この世界を感じられる経験や方法を
浅はかな僕は未だ知らないのですが、
そんな集中......集中力の先にある感覚や世界......
が存在しているということだけは確信しています。
確信はしてますが、実践は出来ません。
悪しからず。
出来ていたら今頃スーパースターです。(T.T)
ですから、
この話は妙なリアリティを持って僕の心に刻まれています。
そして、実は、
この話が僕が「禅」というものに興味を持ち出す
きっかけでもありました。




集中力より先にある世界。
集中とは少し違う力。次元。
それを「無」というのか、
なんと言うのか。



そんな世界に意図的に、
意志力でもって「自在に」行ったり来たりできる。
それが阿波研造や宮本武蔵が住んでいた世界なのかもしれません。



「あなたの代わりに誰が射るかが分かるようになったら、
あなたにはもう師匠はいらなくなる」



阿波研造はヘリゲルにそう伝えたそうです。



京都、嵐山。
世界遺産「天龍寺」に上がりこんだ所にある「禅」の開祖、
達磨=ダルマさんの襖絵。
ここは禅寺の基本みたいなところです(^.^)


にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 集中力の先 | トップ | 朧げな線 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あわあわ (ミラーイースト)
2018-07-31 10:08:27
的と一体になる。。。
的から出て的に当たる。。
目と頭が点になりました(´・ω・`)すごいですね。

少しわかるような感覚があったりもしますが、
意図的に行ったり来たりできるようになったら、、
テンテンテンでした(´・ω・`)ムーン
返信する
ミラーイーストさんへ。 (amenouzmet)
2018-07-31 14:39:40
そーなんですよねー。
なんかわかりますよねー(^ν^)
返信する

コメントを投稿