「ヌシは地蔵の意味をわかっておるかの?」
さいわい辺りに人はいない。
これなら少しであれば大丈夫かもしれない......
僕はその非現実的な世界に身を置く意思を固めることにした。
自分の意識をお地蔵さんのものと思しき声に
合わせてみることにしたのだ—————
————————続く。
「地蔵とは大地の功徳(くどく)のことじゃ」
「は?はぁ、い、、」
「ヌシは知らぬであろう。
ここで少し学ぶが良い」
「......」
「太陽が東に昇るときの功徳を薬師といい、
南天で照らすときの功徳を大日といい、
西に落ちるときの功徳を阿弥陀というのだ」
「......」
「そして、
大地の功徳を地蔵といい、
空中の功徳を虚空蔵という。
世に響きわたる音の功徳は観世音というのだ。
観世音の観とは心眼で見るということじゃの。
それ故に目で見るという字ではなかろう。
音は心で聞くものじゃ」
「......」
「ほっほっほっ。
知らぬであろう?
ワシらのことをよくわかっていた
二宮尊徳(にのみやそんとく)という御仁の書にも
そのまま記されていたと思うがの。
今のヌシには良い書かもしれぬ。
ヌシの漠たる悩みが目についての、
ついつい話しかけてしもうたが、
今一度、ヌシも少しばかり学ぶのが良いかと思うての。
そんな話じゃ。
まぁ、また、ゆるりと話そうかの。
湯あみをしてくるがよいぞ。
ここは昔から良き湯が沸き出でておる。
ヌシはの、
大昔にもここに来たことがあるのじゃ。
よう来たの」
端から見れば、
エレベーターの前に少しボーーーッとした男が
ジッと突っ立っているような状況であり、
僕はそんな奇妙な風景の一部として数分間そこに存在していた。
そうして、少しすると、
フロントの方から浴衣を着た2人の女性が
楽しそうに話をしながら歩いてくるのが見えた。
その二人の声でフト我に返った僕は、
突然電気が通ったおもちゃの人形のように
カクカクとしたぎこちない動きで再び廊下を歩き出した。
歩き出すと、
ついさっきまで聞こえていたお地蔵さんの声と気配は、
スッと、霧のように消えていった。
夕暮れ時のお風呂場に着くと自分の他に人は見当たらず。
たった一人、
貸し切り状態の心地よい露天温泉に入ることができた。
するとまた、
さっきの不思議なお地蔵さんの声が聞こえて来た。
この宿にそんなお地蔵さんが棲んでいることを
既に知っていた僕は、さっきとは違い、
特にボーッとするでもなく。
慌てるでもなく。
いたって平静に、
とてもゆったりとした心でお地蔵さんの話を聞いていた。
勿論それは、
心地よい温泉の効力のおかげでもあると思うのだが......
「迷うでない。
ヌシは神の道と人の道を混同しているところがある。
それ故に迷うのだ」
「確かに......
そういう部分はあるかも......」
「庭や畑の草は取るであろう。
蚊が飛んでくればヌシは迷わずピシャリとやる。
ゴキブリなる虫も害虫として駆除もするじゃろ。
しかし、太陽はどうじゃ。
アマテラスさんや大日の如来さんはどうじゃ。
ただひたすらに、草にも蚊にも、
ヌシらの言う害虫にも分け隔てなくそのチカラを注ぎ、
慈しみ、育てておる。
そこに人の道における善悪や正誤などはない。
全ての存在を照らし、支え、育んでおる」
「......」
「人の道と神の道は違うでの。
ヒトである限り、神になれるはずもない。
神もまた、神である限り人になれるものでもない。
道はそれぞれにある。
神の道の前に、まず人の道を磨くことが先であろう。
人として生きているのであるから当然じゃの。
そのために生まれたのかもしれぬしの。
人としての正しき道を見つけ、歩まねばならぬ。
仏や神を目指してなんとなる。
迷うでない。
三界は三界じゃ。
迷うものでも、
永劫に住む城とするようなものでもなかろう」
そんな三国峠にある温泉宿から東京の自宅に帰った僕は、
帰るなり、早速、近所の大きい本屋に駆け込んだ。
勿論、お地蔵さんが話していた本を見つけるためだ。
お店に無ければ、即、Amazon。
そんな感じで、
先ずは本屋の棚を探してみることにしたのだ——————
—————次回は、陳腐でおバカな物語!?の中で、
お地蔵さんが話していた本に関して、
少しばかり記し残しておこうかと思います。
ええ。ええ。(^^)
☆アホで陳腐な小説風の!?過去記事さん達☆
「マグリット」
「マグリット 2」
「マグリット 3」
「大丈夫」
さいわい辺りに人はいない。
これなら少しであれば大丈夫かもしれない......
僕はその非現実的な世界に身を置く意思を固めることにした。
自分の意識をお地蔵さんのものと思しき声に
合わせてみることにしたのだ—————
————————続く。
「地蔵とは大地の功徳(くどく)のことじゃ」
「は?はぁ、い、、」
「ヌシは知らぬであろう。
ここで少し学ぶが良い」
「......」
「太陽が東に昇るときの功徳を薬師といい、
南天で照らすときの功徳を大日といい、
西に落ちるときの功徳を阿弥陀というのだ」
「......」
「そして、
大地の功徳を地蔵といい、
空中の功徳を虚空蔵という。
世に響きわたる音の功徳は観世音というのだ。
観世音の観とは心眼で見るということじゃの。
それ故に目で見るという字ではなかろう。
音は心で聞くものじゃ」
「......」
「ほっほっほっ。
知らぬであろう?
ワシらのことをよくわかっていた
二宮尊徳(にのみやそんとく)という御仁の書にも
そのまま記されていたと思うがの。
今のヌシには良い書かもしれぬ。
ヌシの漠たる悩みが目についての、
ついつい話しかけてしもうたが、
今一度、ヌシも少しばかり学ぶのが良いかと思うての。
そんな話じゃ。
まぁ、また、ゆるりと話そうかの。
湯あみをしてくるがよいぞ。
ここは昔から良き湯が沸き出でておる。
ヌシはの、
大昔にもここに来たことがあるのじゃ。
よう来たの」
端から見れば、
エレベーターの前に少しボーーーッとした男が
ジッと突っ立っているような状況であり、
僕はそんな奇妙な風景の一部として数分間そこに存在していた。
そうして、少しすると、
フロントの方から浴衣を着た2人の女性が
楽しそうに話をしながら歩いてくるのが見えた。
その二人の声でフト我に返った僕は、
突然電気が通ったおもちゃの人形のように
カクカクとしたぎこちない動きで再び廊下を歩き出した。
歩き出すと、
ついさっきまで聞こえていたお地蔵さんの声と気配は、
スッと、霧のように消えていった。
夕暮れ時のお風呂場に着くと自分の他に人は見当たらず。
たった一人、
貸し切り状態の心地よい露天温泉に入ることができた。
するとまた、
さっきの不思議なお地蔵さんの声が聞こえて来た。
この宿にそんなお地蔵さんが棲んでいることを
既に知っていた僕は、さっきとは違い、
特にボーッとするでもなく。
慌てるでもなく。
いたって平静に、
とてもゆったりとした心でお地蔵さんの話を聞いていた。
勿論それは、
心地よい温泉の効力のおかげでもあると思うのだが......
「迷うでない。
ヌシは神の道と人の道を混同しているところがある。
それ故に迷うのだ」
「確かに......
そういう部分はあるかも......」
「庭や畑の草は取るであろう。
蚊が飛んでくればヌシは迷わずピシャリとやる。
ゴキブリなる虫も害虫として駆除もするじゃろ。
しかし、太陽はどうじゃ。
アマテラスさんや大日の如来さんはどうじゃ。
ただひたすらに、草にも蚊にも、
ヌシらの言う害虫にも分け隔てなくそのチカラを注ぎ、
慈しみ、育てておる。
そこに人の道における善悪や正誤などはない。
全ての存在を照らし、支え、育んでおる」
「......」
「人の道と神の道は違うでの。
ヒトである限り、神になれるはずもない。
神もまた、神である限り人になれるものでもない。
道はそれぞれにある。
神の道の前に、まず人の道を磨くことが先であろう。
人として生きているのであるから当然じゃの。
そのために生まれたのかもしれぬしの。
人としての正しき道を見つけ、歩まねばならぬ。
仏や神を目指してなんとなる。
迷うでない。
三界は三界じゃ。
迷うものでも、
永劫に住む城とするようなものでもなかろう」
そんな三国峠にある温泉宿から東京の自宅に帰った僕は、
帰るなり、早速、近所の大きい本屋に駆け込んだ。
勿論、お地蔵さんが話していた本を見つけるためだ。
お店に無ければ、即、Amazon。
そんな感じで、
先ずは本屋の棚を探してみることにしたのだ——————
—————次回は、陳腐でおバカな物語!?の中で、
お地蔵さんが話していた本に関して、
少しばかり記し残しておこうかと思います。
ええ。ええ。(^^)
☆アホで陳腐な小説風の!?過去記事さん達☆
「マグリット」
「マグリット 2」
「マグリット 3」
「大丈夫」
僕と同じですねー(^^)
お地蔵様、ありがとうございます。
amenouzmetさん、ブログの記事にして下さり、ありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。
すっきり謎解きできました。
ありがとうございます😊
「全てに感謝」しながらですね。改めて実感しました。😊。
まずは、70柱近い神神様へ感謝の祈りから始めます。
ありがとうございます!(^^)
ありがたすぎます!
キミちゃんは少し前まで北極圏にいて、
つい最近はスコットランドのお城にいると聞いてます。
相変わらず龍神さんと修行の旅?をしているみたいです。
閻魔様とお地蔵様は違う存在だと思われます。
基本、名前が違えば存在も変わります。
「仮に」元やルーツが同じだとしても、どんな生命でも、
モノでも名前が違えば違うものになるかと。
過去記事の「意味論への入口」や「お・ま・じ・ま・い」あたりを
読んでいただけたらより理解していただけるでしょうか。
刈る草に謝罪...ではなく、それこそ感謝!なのではないかと思いますが(^^)
過去記事の「いただきます。」や「理不尽の海」あたりを
読んでもらえたらどうかなぁ、と思います。
福岡の南蔵院涅槃像の時々行ってたのですが、今回こんなところに?まじですか?とまぬかれました。
銀色の龍様に会いました。凄いパワーかと思います。写真撮影はできないのですが、思わず目の前の水を谷掬ってしまいました。底を見ると小銭沢山で、これはすくうための水でなかったと、、。1人笑いしてしまいましたが、圧巻です。😊福岡にきたら是非に😊
いつも、神様と繋がりたい気持ちで、?何でだろう?思いながらと色々調べています。
ツカヘイ様を始めハナ様と子供様お元気でしょうか?
キミ様のその後もきになります。
所で今回の地蔵様話は、くらいついてます。
地蔵堂は、私の勝手な解釈では、閻魔大王様の化身だったと解釈してました。
閻魔大王様は、地獄に送る裁定をするたびに嘆き、自らをおとしめてる。とも。そのためにも地蔵として化身として人を人として導いてるとも解釈してました。
実家の広い土地の二束三文の土地の草刈機で草刈りしながら、この生ある物を刈る事は正しいのか?人間ならいいのか?悩んでました。
今日のブログで、踏ん切りできました。
人間として、私の価値観で刈らして下さい。
申し訳ありません。と言えるようになりました。
もしかすると、本質が私に伝わってないかもしれませんが、人間の生きるエゴとして、謝罪しながらも生きる道が見出せたような気がします。
ありがとうございます😊。
僕の方がとてーも愚か者!なので安心なさって下さいませ。
愚か過ぎて、この記事のようにいつも怒られてばかりなのです。
とにかく、僕らは、
昨日の自分より今日の自分の方がより良い人となっているように
頑張るだけでしょうか、ね。(^^)
ありがとうございます。