熊本地震。
被害に遭われた方々。
とてつもなく理不尽な悲しみに直面されている方々。
途方に暮れている方々。
言葉もありません。
僕はこんな時にいつも、自分の無力さにおののき、
心さいなまれてしまう様な小さな人間ですが、それでも、
被災者や地域のことを他人事とは決して思わない、思えない、
最低限の誇りを持っていることを確信できる人間でもあります。
そんな僕に出来ることは、例え少しのことでも、
祈りでも、何でも、していきますし、やります。
東日本大震災から5年。
未だ心痛む様々な状況、出来事を抱えているこの国。
その憂い。
自分の生活のことだけで精一杯......という毎日の中で、
どうしても薄れていってしまう災害の記憶。
情報。反省心。改善心。努力。
被災者支援の不足。
支援策への無関心さの拡大。
未だ収拾出来ない原発問題。
大きな地震が沢山起こるこの国に、
それでも数多く存在している原子力発電所。
そんな原発の再稼働。
電力や生活インフラに関する利権問題。法律の問題。
法律そのものの考え方の古さ。
立法化のシステム、ルールの不全。不足。
未来の電力システムやインフラ整備へ向けての政府指針の不明瞭さ。
そんな国家戦略が不確定であるという事実。怖さ。不信。
そんなコトゴトに対する僕自身の無抵抗さ加減。声の低さ。
そんなものものを変えられない、許してしまう、力なき自分......
僕ら?でしょうか。
熊本地震と名付けられた、今、目前で起きている悪夢に、もし、何か、
タグのように隠れている意味のようなものがあるのであれば、
そんなことすらもちゃんと捉え、考え、対処もしていかなければ......
とも思っています。
少しでも多くの人々と一緒に考えることをしなければ......
などとも考えてしまいます。
そんなコトゴトや思い、考えを、
いま一度自分自身に強く問いかけて。
自分に出来ることをやろうと、再決意します。
ここ数日、
毎日伝わり来る災害情報から思い起こさせられてしまうことは、
僕自身の中にある地震災害の経験と記憶。
札幌で味わった1993年の釧路沖地震の記憶。
大阪、豊中に住んでいた時に遭遇した阪神大震災の沢山の経験と記憶。
東日本大震災には東京、港区で遭遇しました。
そんな地震という出来事に対する記憶や想いは、過去に少しだけ......
このブログの中でも記してもいましたが、
今一度、自分自身で読み返してみても、
そこには未だ癒えぬ、人にも語れぬ傷があることを再自覚もさせられます。
「1月17日」
「国破れて山河あり」
でも、そんなことも、
今、この瞬間、大変な現実と向かい合い、
戦っている多くの方々に比べれば何ともないことでしょう。
痛くも痒くもないことでしょう。
一人でも多くの人が助かりますように。
傷つきませんように。
平穏な日々を取り戻せますように。
必ず、僕らに良い未来がありますように。
創れますように。
ちゃんと、実行します。
もう一度頑張ります。
もう一度誓います。
被害に遭われた方々。
とてつもなく理不尽な悲しみに直面されている方々。
途方に暮れている方々。
言葉もありません。
僕はこんな時にいつも、自分の無力さにおののき、
心さいなまれてしまう様な小さな人間ですが、それでも、
被災者や地域のことを他人事とは決して思わない、思えない、
最低限の誇りを持っていることを確信できる人間でもあります。
そんな僕に出来ることは、例え少しのことでも、
祈りでも、何でも、していきますし、やります。
東日本大震災から5年。
未だ心痛む様々な状況、出来事を抱えているこの国。
その憂い。
自分の生活のことだけで精一杯......という毎日の中で、
どうしても薄れていってしまう災害の記憶。
情報。反省心。改善心。努力。
被災者支援の不足。
支援策への無関心さの拡大。
未だ収拾出来ない原発問題。
大きな地震が沢山起こるこの国に、
それでも数多く存在している原子力発電所。
そんな原発の再稼働。
電力や生活インフラに関する利権問題。法律の問題。
法律そのものの考え方の古さ。
立法化のシステム、ルールの不全。不足。
未来の電力システムやインフラ整備へ向けての政府指針の不明瞭さ。
そんな国家戦略が不確定であるという事実。怖さ。不信。
そんなコトゴトに対する僕自身の無抵抗さ加減。声の低さ。
そんなものものを変えられない、許してしまう、力なき自分......
僕ら?でしょうか。
熊本地震と名付けられた、今、目前で起きている悪夢に、もし、何か、
タグのように隠れている意味のようなものがあるのであれば、
そんなことすらもちゃんと捉え、考え、対処もしていかなければ......
とも思っています。
少しでも多くの人々と一緒に考えることをしなければ......
などとも考えてしまいます。
そんなコトゴトや思い、考えを、
いま一度自分自身に強く問いかけて。
自分に出来ることをやろうと、再決意します。
ここ数日、
毎日伝わり来る災害情報から思い起こさせられてしまうことは、
僕自身の中にある地震災害の経験と記憶。
札幌で味わった1993年の釧路沖地震の記憶。
大阪、豊中に住んでいた時に遭遇した阪神大震災の沢山の経験と記憶。
東日本大震災には東京、港区で遭遇しました。
そんな地震という出来事に対する記憶や想いは、過去に少しだけ......
このブログの中でも記してもいましたが、
今一度、自分自身で読み返してみても、
そこには未だ癒えぬ、人にも語れぬ傷があることを再自覚もさせられます。
「1月17日」
「国破れて山河あり」
でも、そんなことも、
今、この瞬間、大変な現実と向かい合い、
戦っている多くの方々に比べれば何ともないことでしょう。
痛くも痒くもないことでしょう。
一人でも多くの人が助かりますように。
傷つきませんように。
平穏な日々を取り戻せますように。
必ず、僕らに良い未来がありますように。
創れますように。
ちゃんと、実行します。
もう一度頑張ります。
もう一度誓います。
小学生バレーボールチームの子供達で募金活動をしてきました
恥ずかしがりやの次女が
「熊本の人の為にがんばってきたよ
知ってる人も沢山通ったけど楽しかったよ
クラスの男子も130円募金していってくれた
今日は5万円集まったみたい」
と、キラキラした新しい次女発見でした
困っている人の為に何かしてあげれる姿はとても嬉しい姿でした
娘の姿を見て母も頑張りたいと思いました
沢山の方が心豊かに過ごせますように
本当の幸せを思い出せますように
どもどもーー。おんぞ祭もご苦労様でした。
神様喜んでますね。宮司さんも。きっと。
なんだか感動するコメント有難うございます。
俺も負けずに頑張るっす!(`_´)ゞビシッ
神服部さんは入院中で、ご子息が懸命にお役を果たされていました。
神明社の滝はあの案内してくださった氏子さんが、一生懸命整えて下さり、少し水も流れるようになりました。
ブログ読むだけの私が、初コメントです!
この国のこの世界のより良い未来のために、どんなささいなことでも行動するのだ!無茶はしないけど無理はしてみる、出来ることはなんだってするのだ!
uzmetさんの誓いに便乗して私も誓います( ̄^ ̄)
写真に込めた思いを代弁していただきありがとうございます(^^)
どんな場所でも、生きるしなやかさを持たないと、これからは生きていけないのかもしれません。
樹齢何百年、何千年の巨木のように、悲しみや憂いを浄化して生きたいと思います。