サインもらいまちた!(^_^)☆
このブログに時たま登場する仲の良いH嬢さんの旦那さんは
気鋭の作家さんなのですね。新刊
「あなたの明かりが消えること/柴崎竜人」
をリリースした時に、本と共にいただいちゃいまちた。
とてーも嬉しいでやんす(^ω^)
全ての職業の中で「創造の領域」で勝負している人達というのは
僕はとても好きなのです。
「職業の中で」です。
「職業」ではありません。
この意味の違いは大きいのです。
僕の個人的世界観では「創造の仕事」というのは職業の種類にはよらず。
全ての仕事、生活、所作、思考......「人」の中に存在していて。
それを多く使っている人、
アマリ使わないでいる人に分かれているように感じられていたりします。
自らの内にある創造の力を使わなすぎるとどうなるか?
作れないので、
産めないので、
奪いに走ります。
創造の力を使って生きている、働いている人というのは、
だから人から何かを奪ったり、
何かの芽を摘んだりするようなことはありません。
自ら生み出せるのですからそんな必要はないわけです。
むしろ、産めない人たちから奪われ続けます。
それでも、作り続けられるのか?
そういう勝負をしています。
僕はそういう人を敬愛します。
お金?地位?名誉?
とてーーーーーーも大事です。
くれるならおくれっ!(=゜ω゜)ノもらっちゃうよっ!
でも、
創造的な仕事をしている人々はそんなモノ以上に尊敬するに値します。
僕はいつもそう思っています。
作家、ミュージシャン、エンジニア、映画監督、建築家、デザイナー、調理師さん......
そんな肩書きを持つ人の中でも、
真に創造力のある人というのはいったいどれくらいいるのでしょうか。
営業、会計、管理職、事務、デスク、主婦にドライバーにカフェの店員さん......
そんな仕事をしている人達の中でも常に想像力を働かせ、
素晴らしい創造的御技を現している人達がどれくらいいるのでしょうか。
子供に作る毎日のお弁当だって、
お掃除の工夫だって、
エクセルシートの工夫だって、
延々と繰り返される同じ作業や毎日に少しの変化を作り出すことだって、
ちょっとした挨拶だって、
人を心地よくする会話一つをとってみても素晴らしき創造です。
僕はクリエイティブの世界に身を置き生活をして来た人間です。
白地で黒がよく見えるように、
そんな世界であればあるほど、
創造という名の下に他人から何かを奪うことで生きている黒いクリエーターや、
周辺で様々な立場をとり、動く、黒い人々もとても綺麗に見えていたりもします。
創造者は決して奪いません。
ただ生み出すのみです。
ただ創り出すのみです。
創造というテーブルにおいては、
成果、結果、評価はまた違う所に置かれるのだと思います。
ニュースの向こうでは戦争が沢山。
ナントカ国とナントカ国がナントカな理由で争ってます。
ナントカな理由で沢山の命が軽々と消えていきます。
本当は誰のものでもない、
地球という美しき星が創造した資源を奪い合っています。
そんな現実を眺めている国は、政治家は、人々は、
自分が平和であれば、
何かが損なわれなければ、
それらには関わりたくないと知恵を絞っています。
そんなふうにして建っている一見平和な国でも、
国民の家々では醜い争いが沢山。
血を分けた者同士で命を奪い合うようなことまでしています。
友達だって平気で殺せたりなんかします。
誰かが作ったものを平気で奪います。
誰かが生み出したものを平気で奪います。
それも、これも、みーーーーーーーーーーーーーーーーーんな。
みーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんな。
自らの内にある創造の力を見失っているからです。
使わなくなっているから......イヤ、
「使わなくしている」からです。
それは、自らの才能に対する冒涜です。
天から与えられしモノに対する盲目的行為です。
天からのサインは常に出ているのだと思います。
見て見ぬフリとはどういうことでしょうか。
何を見ていないのでしょうか。
自らの内にある何かを?見て見ぬフリをしているのでしょうか。
どんな人にでも、その人なりの創造力があるはずなのです。
どんな物事にも、それなりの創造の領域があるはずなのです。
それは知恵や知能といったものだけでなく、
体や力、性格、個性の内にもあるものだと思うのです。
ソレゾレが生み出せるものはソレゾレのもので、
それで十分価値あるものだと思うのです。
価値の大小や上下など付けなくて良いモノだと思うのです。
しかし、それもこれも仕方ないのかもしれません。
創造より狡猾に、てい良く、
ズル賢く「見えないように奪う」人を高く評価し、
高い地位にもつけてしまう社会構造が未だ息づいているからでしょう。
残っているからでしょう。
しかし、創造者は、それでも生むのです。
だから、奪わずに生き抜くことができれば、
それだけで「創造者」なのです。
そんな創造力の核力となるものの一つは、
もしかしたら「家族」なのかもしれません。
家族という社会的コミュニティーの最小単位。
それが多くの創造の「因」となりえているものなのかもしれません。
有り難き創造者のサイン入りでいただいた本の内容からは、
僕はそんなことを思うのです。
良き家庭、家族の多い国は幸せな国で創造力のあふれる国。
逆もまた成り立つのか。
良い本でした(^ω^)
親愛なるH嬢夫妻。ありがとうでやんす。
宝物にするでやんす。
ココにしっかりと記しておきます。
サブ・タイトルにある通り、いつの日か、愛する誰かが
「アイツはこんな事考えて生きていたのか。。」
と見つけてもらえたら、
そんな思いで書き記しておきます。
因みに、
とてーも不思議な出会いから頂いてしまった、アノノノッ!
丹波哲郎さんの本とサインなんかも!
何故か?持ってたりして......
だーーーれも......
羨ましがってくれないの!(=゜ω゜)ノ 007にデテルノニッ!
このブログに時たま登場する仲の良いH嬢さんの旦那さんは
気鋭の作家さんなのですね。新刊
「あなたの明かりが消えること/柴崎竜人」
をリリースした時に、本と共にいただいちゃいまちた。
とてーも嬉しいでやんす(^ω^)
全ての職業の中で「創造の領域」で勝負している人達というのは
僕はとても好きなのです。
「職業の中で」です。
「職業」ではありません。
この意味の違いは大きいのです。
僕の個人的世界観では「創造の仕事」というのは職業の種類にはよらず。
全ての仕事、生活、所作、思考......「人」の中に存在していて。
それを多く使っている人、
アマリ使わないでいる人に分かれているように感じられていたりします。
自らの内にある創造の力を使わなすぎるとどうなるか?
作れないので、
産めないので、
奪いに走ります。
創造の力を使って生きている、働いている人というのは、
だから人から何かを奪ったり、
何かの芽を摘んだりするようなことはありません。
自ら生み出せるのですからそんな必要はないわけです。
むしろ、産めない人たちから奪われ続けます。
それでも、作り続けられるのか?
そういう勝負をしています。
僕はそういう人を敬愛します。
お金?地位?名誉?
とてーーーーーーも大事です。
くれるならおくれっ!(=゜ω゜)ノもらっちゃうよっ!
でも、
創造的な仕事をしている人々はそんなモノ以上に尊敬するに値します。
僕はいつもそう思っています。
作家、ミュージシャン、エンジニア、映画監督、建築家、デザイナー、調理師さん......
そんな肩書きを持つ人の中でも、
真に創造力のある人というのはいったいどれくらいいるのでしょうか。
営業、会計、管理職、事務、デスク、主婦にドライバーにカフェの店員さん......
そんな仕事をしている人達の中でも常に想像力を働かせ、
素晴らしい創造的御技を現している人達がどれくらいいるのでしょうか。
子供に作る毎日のお弁当だって、
お掃除の工夫だって、
エクセルシートの工夫だって、
延々と繰り返される同じ作業や毎日に少しの変化を作り出すことだって、
ちょっとした挨拶だって、
人を心地よくする会話一つをとってみても素晴らしき創造です。
僕はクリエイティブの世界に身を置き生活をして来た人間です。
白地で黒がよく見えるように、
そんな世界であればあるほど、
創造という名の下に他人から何かを奪うことで生きている黒いクリエーターや、
周辺で様々な立場をとり、動く、黒い人々もとても綺麗に見えていたりもします。
創造者は決して奪いません。
ただ生み出すのみです。
ただ創り出すのみです。
創造というテーブルにおいては、
成果、結果、評価はまた違う所に置かれるのだと思います。
ニュースの向こうでは戦争が沢山。
ナントカ国とナントカ国がナントカな理由で争ってます。
ナントカな理由で沢山の命が軽々と消えていきます。
本当は誰のものでもない、
地球という美しき星が創造した資源を奪い合っています。
そんな現実を眺めている国は、政治家は、人々は、
自分が平和であれば、
何かが損なわれなければ、
それらには関わりたくないと知恵を絞っています。
そんなふうにして建っている一見平和な国でも、
国民の家々では醜い争いが沢山。
血を分けた者同士で命を奪い合うようなことまでしています。
友達だって平気で殺せたりなんかします。
誰かが作ったものを平気で奪います。
誰かが生み出したものを平気で奪います。
それも、これも、みーーーーーーーーーーーーーーーーーんな。
みーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんな。
自らの内にある創造の力を見失っているからです。
使わなくなっているから......イヤ、
「使わなくしている」からです。
それは、自らの才能に対する冒涜です。
天から与えられしモノに対する盲目的行為です。
天からのサインは常に出ているのだと思います。
見て見ぬフリとはどういうことでしょうか。
何を見ていないのでしょうか。
自らの内にある何かを?見て見ぬフリをしているのでしょうか。
どんな人にでも、その人なりの創造力があるはずなのです。
どんな物事にも、それなりの創造の領域があるはずなのです。
それは知恵や知能といったものだけでなく、
体や力、性格、個性の内にもあるものだと思うのです。
ソレゾレが生み出せるものはソレゾレのもので、
それで十分価値あるものだと思うのです。
価値の大小や上下など付けなくて良いモノだと思うのです。
しかし、それもこれも仕方ないのかもしれません。
創造より狡猾に、てい良く、
ズル賢く「見えないように奪う」人を高く評価し、
高い地位にもつけてしまう社会構造が未だ息づいているからでしょう。
残っているからでしょう。
しかし、創造者は、それでも生むのです。
だから、奪わずに生き抜くことができれば、
それだけで「創造者」なのです。
そんな創造力の核力となるものの一つは、
もしかしたら「家族」なのかもしれません。
家族という社会的コミュニティーの最小単位。
それが多くの創造の「因」となりえているものなのかもしれません。
有り難き創造者のサイン入りでいただいた本の内容からは、
僕はそんなことを思うのです。
良き家庭、家族の多い国は幸せな国で創造力のあふれる国。
逆もまた成り立つのか。
良い本でした(^ω^)
親愛なるH嬢夫妻。ありがとうでやんす。
宝物にするでやんす。
ココにしっかりと記しておきます。
サブ・タイトルにある通り、いつの日か、愛する誰かが
「アイツはこんな事考えて生きていたのか。。」
と見つけてもらえたら、
そんな思いで書き記しておきます。
因みに、
とてーも不思議な出会いから頂いてしまった、アノノノッ!
丹波哲郎さんの本とサインなんかも!
何故か?持ってたりして......
だーーーれも......
羨ましがってくれないの!(=゜ω゜)ノ 007にデテルノニッ!
強い人、なのでしょうね。
反射しないのが
透明です。
搾取することなく、
あるがままを受け入れる人が
清らかな人なのでしょうね。
富士の不動さん!ですな!お疲れ様です(^_^)
いや、ねーさんの話を辿ってたらロールプレイングゲームみたいでしたわ(@_@)
虹龍の表現力、文章力が素晴らしい~尊敬
ハワイは、お役目、本当お疲れ様でごさいました